タケホープの酔いどれ走遊記

酒好きなおっさんランナーの日記です。

金沢 妙立寺 18年8月

2018年09月04日 | 石川県

寺町寺院群を続けて歩きます。

 

 

 

雨の夜はヒキガエルに注意 ゲロゲーロ

 

 

加賀百万石祈願所

日蓮宗 正久山 妙立寺(みょうりゅうじ)

人、呼んで 忍者寺

仏刹に仕組まれた 加賀藩の秘策

徳川幕府統制下

加賀三代藩主・前田利常が苦心の建立

 

妙立寺

  そびえ立つ屋根、その上の望楼、武者隠しのある本堂、数多くの隠し階段、切腹の間、そして落とし穴まで様々な仕掛けのある寺ーこれが日蓮宗「正久山・妙立山」の姿である。

 加賀三代藩主、前田利常公が寛永20年(1643)に金沢城近くに建立。1650年代・万治年間に現在地に移築した寺だが、何故このような複雑巧妙な建物となったのだろうか。

 初代藩主・前田利家公が金沢城に入城間もない天正13年(1583)、政治の理念を日蓮宗・法華経の中道精神に求め、藩を守護する祈願所として建立したのが、当妙立寺である。

 利常公の頃には、徳川幕府の基礎固めは着々と整い、逆に全国諸大名はいつ改易になるかと戦々恐々。公儀隠密の動きに震え上がっていた。

 こうした中、利常公は鼻毛を伸ばして馬鹿殿様を演じ、徳川家に対する謀叛などとんでもないと幕府を安心させる。その一方で芸能文化を奨励、産業を育成し、またその反面、いざというときに備えとして兵舎がわりの寺院群を移築ないし新しく建立した。その中心に監視所ー城でいう本丸ーになるような建物が必要とあって、現在の”要塞”のような当妙立寺が出来たわけである。したがって「出城」「祈願所」「忍者寺」いずれの呼称も当てはまる。

 結局、戦火にあうこともなく、まさに加賀百万石の繁栄は利常公の智略の賜物で、徳川幕府300年の歩みとともに歴代の加賀藩主は当妙立寺を祈願所として崇め、家紋「剣梅鉢」を守ってきたのである。

 

拝観には、予約がいるんですよ。

 

 

台風20号が近づいているんです。

東京より暑かった

 

 

お水をかけて、細君が予約した拝観時刻を待ちました。

これから拝観に行って来ます。

 

拝観が終わりました。

 

現在位置 妙立寺

 

 

最上階の物見台ともとれる望楼