Vision

2011-10-22 12:38:31 | Weblog
ヴィジョンというと、なんとなくその先の見通しっていうプロセスをイメージしていた。

だから人に「ヴィジョンはあるのかい?」と訊かれれば「これをこうして、こうすれば達成できる!!」みたいなそういう回答をしていたんですわね。


けど、最近はヴィジョンときくと、少し違った印象を受けるようになってきた。


まさに先にある風景。物事を達成している(もしくは完了している)状態を映像で思い浮かべるのだ。


だから全然プロセスのないことに対し、「ヴィジョンはあるのかい?」と訊かれると「あるけどプロセスはまだない」と答えることになる。

達成後のイメージはある。けどやり方は分からない。そういうこと。

でも歴史ではヴィジョンが明確な人が必ず成功者になっている。

プロセスはそのあと。






一番いい例がケネディ大統領だ。





「必ず人類を月に立たせてみせる」

と演説で言ったんだって。

でもね、実はそんな話NASAにはまったくプロセスもなければ、コンセプトもなくて。もっと言ってしまえば、こんなこと大統領から言われたこともなかったらしい。


それを公然と発表してしまう。

すっごい無責任。

すっごい無責任ですが、事実NASAは、たった8年後に月面に人間を立たせたのです。




プロセスはない。しかし鮮明なヴィジョンはある。ここが情熱の第一歩。



似たような話で言うとね

たとえばスカイツリー。あれは建設方法よりも先にデザインがあった。デザインありきで、さーどうやってこれ作る?って手順だったみたい。

進行形で言えば、メガソーラー。孫正義はどうやって作るかよりも、先にこれがあったら確実に人々の暮らしが豊かになっている、というヴィジョンがある。だからやる。苦難は現在多いですが。




でも成功を目指している人は過程を恐れたりしないわけです。

大きなヴィジョンは、どの時代でも「こいつバカなのか?」とか「現実を見ない愚か者」という懸念を与える。大風呂敷なら大風呂敷名だけこういう批判にさらされる傾向があります。特に日本はこういう発言に非常に厳しい風潮があります。

わかんないこともないですけどね、日常的な何かを変えたり、先の見えないものにお金を投資したり、時間を利用するって怖いですからね。浪費になったりしたら・・・・・って。


でも、こういう夢を見る人間がいるからこそ、人々の生活は豊かになってきたのです。

そして、その大風呂敷が後の世で正しかったと判断されれば、人々はその人間をヴィジョナリーというのでしょう。


まさにスティーブ・ジョブスが言うとおり。

Stay Hungry・Stay・Foolishです。そのヴィジョンにどれだけ貪欲になれるかが人生の意味を色濃くしてくれる。そう思うのです。


同じ前向きでも「何があるかわからない。でもがんばります」っていう人生ではなくて、「こういう未来にする!!だから今を変化させる!!」っていう人生にしたいですね。








書くことなかったわけじゃないからね。