歌舞伎蔵(かぶきぐら)

歌舞伎を題材にした小説、歴史的時代背景を主に、観劇記録、読書ノート、随想などを適宜、掲載する。

7.レクイエム・雪

2018-03-17 09:25:35 | 余計者に

7.レクイエム・雪
   今日降る雪の
    いやし(重)け よごと (大伴家持「万葉集」第四五一六番)
 万葉集の掉尾、第四五一六番の大伴家持の歌、「新しき 年の始めの 初春の 今日降る雪の いやしけよごと」の終わり二句である。
 「餘其謄(よごと)」が「慶事(吉事)」あるいは「寿詞」(小野寛解釈)とは、すぐに思いつかなかった。「餘」すなわち「余り」という言葉は「余計」「余分」などエコの現代ではマイナスイメージが強い。しかし、考えてみれば、万葉集の時代には食物に限らず「あり余る」ほど物があるということは最高に素晴らしいことであったろう。「余事」は「慶事」そのものなのだ。
 大雪の年は豊作だと言われているらしい。事実かどうか知らないが、寒ければ寒いだけ害虫が死ぬと理由づけられている。それでなくとも、しんしんと凍る夜に降り続く雪にはむしろ暖かさを感じる。近頃、めっきりと少なくなった雪の夜の静けさは心も落ち着き、深い眠りにさそわれる。これは都会人の感慨であり、豪雪地帯ではまた異なった気持ちが湧くものかもしれない。
 そしてまた降り続く雪にはまた別の思いに誘われる。雪で死んでゆく害虫は死ぬことで豊穣をもたらすのだろうか?
 たとえば戦争中なら戦死は犬死ではなく、来るべき時代の礎として称美される。戦争でなく革命にあっても、銃に倒れることが無駄死にだとは考えられてはいないだろう。敗戦や敗北が死を無駄死にと思わせることがあるにしても、無駄死にと分って死んで行った者は少ないだろう。しかし、結果として、無駄死に、いやそれ以上に犯罪者として扱われることも少なくない。
 害虫は無駄死にに過ぎないのだろうか?雪の下に埋もれた死者の墓標にも唾やペンキが掛けられることさえある。あれから数十年が経った今も豊穣の気配はない。それどころか、ますます吐きかけられる唾ばかりが増えているように思える。だが彼らが無駄死にだったとしても、生き残った者はそれほどに豊かさをもたらしたのか?無駄に生き続けているに過ぎないのではないだろうか。同じように余計者なのではないか。しかし、生き残った者の不甲斐なさを見るにつけ、余計者、半端者とされた者こそ善き者だったように思えるのだ。

6.縛られたプロメテウス

2018-03-16 07:41:42 | 余計者に

6.縛られたプロメテウス
   母は大地、父は天空、
     そして、おれは宇宙 (ビートルズ「ヤア・ブルース」)
 ビートルズの『ヤアー・ブルース』はジョン・レノンのしゃがれ声にマッチしたロックンロールとなっている。しかし、あまりビートルズらしくない絶望感は当時のジョンの焦りと怒りによるものかもしれない。
「朝に死にたいと思う、夜に死にたいと思う、まだ死ねないわけは、ご存知だろう」
「鷲が目をえぐる、蛆虫は骨をついばむ、早く殺してくれ、ディランのように、ジョーンズ氏よ」
『ヤアー・ブルース』はプロメテウスの苦悶をイメージしていると思われる。
「おお輝りわたる大空、(略)万物の母なる大地、さらにまた世界を見渡す日輪を呼び訴える、(略)よく見ておいてくれ、どのような辱しめに身を切り苛まれつ、永劫の歳月を私がこれから苦悩にすごすか。かくも無慚な縛めを、私に対して、あの新しい神々の頭目は、工夫したのだ」(アイスキュロス『縛られたプロメテウス』呉茂一訳)
 アイスキュロスでは、プロメテウスはテミスの子とされており、テミスは地母神ガイヤと一心同体とされることもあるそうだ。ギリシアの古い神々は新しくやって来たゼウスを中心とする神々にあるいは服従し、あるいは罰せられたと想定している。
 そしてまた、三方約1メートルの立体の檻に手錠、足枷で縛り付けられ、二十四時間に渡る拷問を受け続け、殺してくれと叫ぶしかなかった男を思い出す。
「神々の怒りも一向こわがらずに、人間どもへ、正当以上のもてなしを与えたのだから。(略)直立したまま、眠るのも、膝を折るのもかなわず、どれほど嘆き悲しもうと、もう、甲斐はなかろう、ゼウスの心を宥めすかしもむつかしいのだ」(アイスキュロス同上)
 殴打や汚物を浴びせられ続けながらも、殺されずに屈辱にまみれ、発狂したと伝えられ、ようやく二十数年後に捕虜交換によりキャンプに生還した。わずかに残された正気によりキャンプの仲間に幽閉の実情を伝えた後、手榴弾で自死した。まだ、死ねないわけは、というより、殺されなかったわけは、無差別殺人を頑強に認めず、無差別殺人は警備兵のものだと主張し続けたためという。
「説得の甘い口説の魔術とても、この私を賺しはえまい、また残酷なおどかしに恐れすくんで、その秘密を私がもらすはずもない」(アイスキュロス同上)
 一切の改悛を拒み、いかなる説得にも応じなかった頑強な精神は、正義感と原点、手榴弾の不発により自死しそこねて囚われた、その正義のための自死という原点を求めてのことという。こうしたことは映画『幽閉者』の解釈なのかもしれない。それにしても間違いなく、プロメテウスは苦悶の中で誇りを持ち続けていただろう。

5.連帯を求め

2018-03-15 09:16:48 | 余計者に

5.連帯を求め
   時に利あらず 騅行かず
     騅行かずんば 如何にすべき (項羽「垓下の歌」)
 項羽軍は孤立無援、四面楚歌の中で、項羽の作った「垓下の歌」を繰り返し歌い、決死の戦いに臨んだという。
「力は山を抜き、気は世を覆う、時に利あらず、騅行かず、騅行かずんば、如何にすべき、虞や虞や汝を、如何にせん」
 『史記』では劉邦が漢の兵に楚歌を歌わせ、楚の人々が楚王項羽を裏切って劉邦軍に寝返ったと思わせたとも、漢軍にはすでに楚兵も多く加わっていたとも書かれている。しかし、巷説の一つに、楚人が寝返ったというのは項羽の早合点であり、項羽の支援に趣いたものだというものもあるそうだ。
「連帯を求めて孤立を恐れず」
 これはある造船大手の第三組合のスローガンである。七十年代末、総評系の第一組合は百名余、同盟系の第二組合は数千人、それに対して独立系の第三組合は十数名だと聞いたように記憶している。しかもその十数名はある者は九州、ある者は四国、ある者は関西と配置転換され、ほとんどみな職場は異なっていたという。それでも、問題があれば、第一組合や第二組合の者でも自分たちのところに相談に来ると意気盛んであり、休日を利用して、あちこちの支部や他の組合との会合に出ていた。まだ三十代が中心のエネルギッシュな組合だった。
 しかし、当時、労働運動の環境は急速に悪化していた。国労がスト権ストに敗北し、国鉄の分割民営化の脅しがかけられていた。数年後、それが現実になった時、雪崩を打って国労からの脱退者が相次いだ。毎日、数十人、数百人という単位で脱退届が出され、事務処理に休む間もなかったと、国労本部の事務職員の一人から聞いた。その国労職員も組合員の大量脱退により、まもなく退職せざるを得なくなった。仕方ないけど、まさかこんなことになるとは、と嘆いていた。
 それから三十年、日本からストは消えた。労働組合は悪の権化のようにさえ言われている。労働組合など不要なこんな天国になろうとは思いもしなかった。休みを利用して飛び回っていたあの組合活動家はどうしているだろう。今でもあの組合は残っているのだろうか。
 そしてまた、七十年代の多くの活動は四面楚歌の中で分裂し、空中分解していった。
 今、思う。項羽は正しかった。やはり楚歌を歌った人々は劉邦軍に寝返ったのだ。しかし、一抹の罪悪感が残り、項羽の支援のため集まったという一説を生んだのだろう。うしろめたき生を選ぶにせよ、雄々しき死を選ぶにせよ、どちらにしても、それは苦い選択だったに違いない。

もうひとつの現実(無間)

2018-03-14 08:52:09 | 余計者に

4.もうひとつの現実(無間)
   また見つかった
     何が?-----永遠が  (アルチュール・ランボー「永遠」) 
            
 ランボーを最も暴力的な詩人と呼ぶジョルジュ・バタイユは「私たちを永遠に、死に導き、死によって連続性に導く」(澁澤龍彦訳『エロティシズム』)という。バタイユはまた、この詩を愛と暴力を描いたものだと言っていたと思う。バタイユの「連続性」とは「神学者の神の観念とは絶対に混同され得ない」(同書)もので非連続性から引き離されたものである。もっとも暴力的に引き離されたものがすなわち死であるという。さらに「エロティシズムの領域は本質的に暴力の領域」(同書)だという。死、連続性、永遠、エロティシズム、暴力というものはバタイユの中ではほとんど同じ一つの観念として混淆している。「正常な状態からエロティックな欲望の状態への移行は、非連続の秩序の中で組織された存在の相対的な解体が、私たちの内部で起こっていることを予想させる」(同書)解体もまた同一の観念の一つといえよう。
「もう秋!だが何ゆえ永遠の太陽を惜しむのだ。季節に死にゆく人々から遠く離れ、神々しい輝きを見つけようというのに」(『地獄の季節』別れ)
 十一月の始めだったと思う。授業からの帰り際に、料理するから、食べにおいでねと言われた。その次の日か、その次の次の日かの深夜、その人は自室の窓や戸に目張りをして、ガス管を咥えて死んだ。公孫樹の落ち葉が風に舞う中で、眩しそうに目を細めて笑っていた顔が今も目に浮かぶ。
 それほど死を身近にまとっていたとは思いもよらなかった。それから幾人かの死を聞いても、やはり分かることは出来なかった。
「また見つかった 何が? 永遠が 太陽と行ってしまった 海だ」
「代議員選挙からも 十一月祭からも おまえは背を向けて ひとり、飛び去った」
「何故、これ程までに現実から逃れようとするのか、(略)生き方を変えようとするには秘密でもあるのだろうか?」(『地獄の季節』錯乱I)
「突然、私は予感した。彼と離れ、幻覚の餌食となり、この上なく恐怖に満ちた暗闇、死に向かうだろう」(同)
 外から見ては分からない、このようなものがつきまとっていたのかもしれないと今では思う。「解体的交感」というのは、あのサックス奏者の残した数少ないレコードのアルバム名である。
「煙と職人の立てる物音にあふれた街、いくつもの道を経て遥か遠くまで来た。おお、もうひとつの世界、空と樹陰にめぐまれた住い」(ランボー『イリュミナシオン』労働者)
「もうひとつの世界(現実)」とは何だったのか、その日常性に違和感を感じていたのかもしれないとも思う。
「青年の限りない利己主義、象牙の塔の楽観主義、この夏、世界は花ざかりだ!精神も肉体も死にゆくというに・・・無力を鎮めよ、空虚を沈めよ、こだまする歌声よ!」(『イリュミナシオン』青春Ⅲ二十歳)

3.喇叭と機関銃

2018-03-12 09:26:33 | 余計者に

3.喇叭と機関銃
   時が来た、時が来た
      恍惚の時が来た (アルチュール・ランボー「最高塔の歌」)
 フランス語を習い始めた次の年の夏、アルチュール・ランボーの『地獄の季節』を読み始めた。辞書だけを片手に、時には喫茶店で、時には東京行の普通列車で、気の向くままに訳していた。ようやく十一月の中頃、読み終えた。誤訳ばかりのものだっただろうが、訳したノートも、とうの昔になくして今はない。
「かつて、思い起こせば、心躍る饗宴の日々だった」
 その七月から十一月の間には、羽田があり、まもなく佐世保、そして三里塚へと続いていった。パリの五月革命は三里塚の前だったか?パリ=コンミューンを生きたランボーの詩は同時代の詩人としか思えなかったのかもしれない。
 三里塚で行われた幻野祭で一人のサックス奏者が話題になったと聞いた。いわゆるフリージャズの極限にいた彼のジャズは、そこでさえ野次や紙コップの的になったという。やがて、それでも吹き続ける小柄な若者、二十歳を少し過ぎたくらいだったろう、のエネルギーあふれる音に野次も静まり返ったという。翌年、京大農学部グランドで開かれた第二回の幻野祭にも出たと聞いた。
 この二回ともに居合わせなかったが、その後、京都や大阪のジャズ喫茶でしばしば行われたソロ・ライブにはほぼすべて聞きに行った。といっても三回か四回くらいだろうか。少々小太りながら大変小柄な体のどこから、こんな音が出せるのか不思議に思ったものだ。
「俺は喇叭を吹く者と機関銃を持つ者しか信じない」
 ライブの後、客と一緒に酒を飲み、おしゃべりをしていた。どうして、そんなことを彼が言ったのか、おぼえていない。もしかすると、君の音は機関銃のようだ、とでも言ったのかもしれない。あるいは、彼がそう言ったということ自体が、酒の飲みすぎによる空耳か聞き間違いだったのかもしれない。テルアビブの数ヶ月後のことだ。
 彼は三十歳前に死んだ。まもなく夫人も幼い女の子を残して自死した。そういったことはジャズ雑誌や夫人の写真集で知ったことだ。二人をモデルにした映画『エンドレス・ワルツ』も見たが、暗いジャズ喫茶で一人吹く彼のアルトサックスの音が今も機関銃のように聞こえてくる気がする。