歌舞伎蔵(かぶきぐら)

歌舞伎を題材にした小説、歴史的時代背景を主に、観劇記録、読書ノート、随想などを適宜、掲載する。

5.連帯を求め

2018-03-15 09:16:48 | 余計者に

5.連帯を求め
   時に利あらず 騅行かず
     騅行かずんば 如何にすべき (項羽「垓下の歌」)
 項羽軍は孤立無援、四面楚歌の中で、項羽の作った「垓下の歌」を繰り返し歌い、決死の戦いに臨んだという。
「力は山を抜き、気は世を覆う、時に利あらず、騅行かず、騅行かずんば、如何にすべき、虞や虞や汝を、如何にせん」
 『史記』では劉邦が漢の兵に楚歌を歌わせ、楚の人々が楚王項羽を裏切って劉邦軍に寝返ったと思わせたとも、漢軍にはすでに楚兵も多く加わっていたとも書かれている。しかし、巷説の一つに、楚人が寝返ったというのは項羽の早合点であり、項羽の支援に趣いたものだというものもあるそうだ。
「連帯を求めて孤立を恐れず」
 これはある造船大手の第三組合のスローガンである。七十年代末、総評系の第一組合は百名余、同盟系の第二組合は数千人、それに対して独立系の第三組合は十数名だと聞いたように記憶している。しかもその十数名はある者は九州、ある者は四国、ある者は関西と配置転換され、ほとんどみな職場は異なっていたという。それでも、問題があれば、第一組合や第二組合の者でも自分たちのところに相談に来ると意気盛んであり、休日を利用して、あちこちの支部や他の組合との会合に出ていた。まだ三十代が中心のエネルギッシュな組合だった。
 しかし、当時、労働運動の環境は急速に悪化していた。国労がスト権ストに敗北し、国鉄の分割民営化の脅しがかけられていた。数年後、それが現実になった時、雪崩を打って国労からの脱退者が相次いだ。毎日、数十人、数百人という単位で脱退届が出され、事務処理に休む間もなかったと、国労本部の事務職員の一人から聞いた。その国労職員も組合員の大量脱退により、まもなく退職せざるを得なくなった。仕方ないけど、まさかこんなことになるとは、と嘆いていた。
 それから三十年、日本からストは消えた。労働組合は悪の権化のようにさえ言われている。労働組合など不要なこんな天国になろうとは思いもしなかった。休みを利用して飛び回っていたあの組合活動家はどうしているだろう。今でもあの組合は残っているのだろうか。
 そしてまた、七十年代の多くの活動は四面楚歌の中で分裂し、空中分解していった。
 今、思う。項羽は正しかった。やはり楚歌を歌った人々は劉邦軍に寝返ったのだ。しかし、一抹の罪悪感が残り、項羽の支援のため集まったという一説を生んだのだろう。うしろめたき生を選ぶにせよ、雄々しき死を選ぶにせよ、どちらにしても、それは苦い選択だったに違いない。

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