風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

伝教大師とのご縁

2016年11月20日 10時16分51秒 | 随想

終戦の前年に名古屋市民病院で誕生し、疎開で三重県を逃げ回り、終戦で戦闘機技術者の親父は職を求めて信州信濃の善光寺の門前町に移り住んだと母から聞かされた。従って三つ子の魂は風来坊なのである。

社会人となり大部分は家康誕生の岡崎城下町で平穏な毎日だったが、両親を引き取り延暦寺で修行した親鸞上人の浄土真宗の作法で連続して極楽に送った時に宗教心が芽生えた。

辞令なる紙切れで浦和に転勤、川越喜多院で家康の顧問の天台僧の天海和尚を知った。

二年後には再度の紙切れで彦根に転勤、酒井雄哉師の比叡山天台修験の千日回峰行に魅せられ、しばしば通った。

定年退職後は岡崎に戻り、飯田市のワーホリに参加したら、本田善光が浪速の堀で拾った一光三尊阿弥陀仏を最初に祀った元善光寺がある。

奈良の叔父を訪ねた時に宿泊した天川村の洞川温泉・花屋徳兵衛は役行者が開いた大峰修験の宿坊を兼ねていた。

最近、昼神温泉に遊んだら、信濃比叡があり、僧侶が善光寺如来を常時拝める岡崎の三河善光寺の住職が如月の天台修験火渡護摩に参加するとの事。

善光寺は宗派の誕生以前の奈良時代の創建だから無宗派の寺であるが、便宜的に最澄上人の大勧進貫主と弟子の法然上人の大本願上人が護持する。

心の趣くままに行動すると最澄こと伝教大師にお会いする不思議なご縁を感じる。

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