今日も魚が旨い

ノーバイトを楽しむブラックバス釣行記と、アマチュア演劇人としての演劇日記。たまに詩吟の話。まぁ要するに趣味の語り場。

ミニ公演、終了

2015年09月27日 | 演劇
2日間にわたる「雨女」の上演を終えた。

公共ホールの中にこさえた小劇場は、客席と演者が近く、臨場感あふれる舞台となった。

なれない受付の仕事も、なんとかお客様からの苦情もなく済ませることができた。

舞台の解体から、ホールの原状復帰の作業でもけが人を出すことなく無事に終わることができた。



ただ、

レンタカーのトラックを返しにに行く道すがら、
急に頭痛と腹痛に見舞われ、急遽自宅に立ち寄った。
強烈な吐き気と下痢で、フラフラになっていたが、
ひとまず仕事はすべて終えていたので、誰にも迷惑をかけずに済んだことは幸いした。

1時間ほど寝たら、そこそこスッキリしたので、
明日も何事もなかったように出勤できそうだ。

いや、
何事かなって、お休みさせていただく方が良かったんだが。



ご来場いただいたみなさまには、改めて感謝いたします。

あんな感じの舞台も結構いいなと、我ながら楽しんで作ることができました。
ので、
懲りずにまたやりたいと画策しています。

良かったら、次の機会もぜひどうぞ。







おまけ。

久しぶりに会ったAキ代さんが、きれいなお姉さん風だったのには驚かされた。
でもやっぱり、一番似合うのは全身タイツだって、知ってるぞ(笑)

ミニ公演、初日終了

2015年09月26日 | 演劇
2015年番外ミニ公演『雨女』、初日を無事に終えた。

ホールの中に、小さな劇場を作って、観客と演者の距離が近い舞台でやったが、
なかなかの雰囲気を作り上げられたと思う。

若手中心のキャストだったが、
ベテランが一枚かむことで、グッとしまった感じになったと自負している。

まだ、観客のアンケートに目を通せていないが、
あの舞台をどのように感じてもらえたか、とても気になるところだ。



明日もある。

日々成長していくキャストたちが、明日の舞台も盛り上げてくれることを祈る。
(こういう時は、出演しない私には、祈るほかないのが実にもどかしい)


写真はゲネプロでの一枚。









今日ご来場いただいた皆様には、改めて感謝いたします。
こんな小さな規模の公演にもかかわらず、チラシを挟み込みに来ていただいた他劇団の方々も含めて、
たくさんの応援、そして、差し入れなどのお心遣いをいただいて、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

明日も、がんばります(キャストとスタッフたちが)。
私も、ご来場いただいた観客の皆様に快く観劇していただけるようがんばります。

劇団公式サイトやこのブログへのレス、上演アンケートにいただくなど、叱咤激励の言葉をぜひともお聞かせください。








おまけ。

受付で、リピーターの方から、
「どっかで見たことあるよね?」
と声をかけていただいた。
「はい。普段は出演している方が多いので、舞台でお目にかかっていると思います。」と答えた。
「やっぱりそうだよね。」と仰って、会場へ入っていった。
顔を覚えてもらえていたことが嬉しかった。

何がいつもと違うって、
受付と会場担当が、ニック、サン、さわだの3名体制ってのがレアすぎる。
やってる自分たちが、違和感を覚えながらだった。
お客様を迎えるのって、舞台袖で控えてるより、ずっと緊張した。

そんなところでも、「いつもの彗じゃない感じ」が出せていたなら、それも有りかも。

今更ジタバタしても仕方ないんだけど

2015年09月21日 | 演劇
本番まで1週間を切ったミニ公演「雨女」。

『彗』での舞台経験の少ない若手俳優は、苦戦を強いられている。

正直、
いろいろ心配だ。

この時期に言うべきことかどうか随分と悩みながらも、
「役作り」について、もう一度きつく言い渡した。

残り3回の稽古は、その全てを通し稽古に費やす。

もう反復練習なんてできない。


もっとあがけ!
もっと苦しめ!

自分のできなさ加減を痛感しろ。


それでも本番は待ってくれない。
本番は観客に提供する時間だ。
提供するには、十分な稽古を積んだ成果を見せなければならない。


足りない分は、自分たちで何とかしろ。



最後の最後まで足掻いた分だけ、クオリティーは上がるし、
必ず次につながる。


目の前に迫った舞台に、緊張感を増す稽古場。





たぶん、私自身も、
そうしてやってきたんだろう。


彼らが、こういう緊張感の中で自分の技量を磨いて行くことが、この公演の一番の狙い。

願わくは、
演じることの本質的な楽しみを見出してくれるといいが。
そして、彼らの頑張りが、舞台で発揮されることを祈る。

演出としては、
この時期が一番もどかしい。

ティータイムコンサート

2015年09月19日 | その他
娘は、町主催の文化サークルで三味線を習いに行っていた。
月1回で半年の合計6回のシリーズ。
これまで5回の練習を経て、今日が発表会だった。

レパートリーは「さくら」の1曲だが、
始めたばかりのド素人が、人前で1曲弾けるようになるものなのかと、感心したり、
たった5回の練習だけで、人前に立たせるのかと思ったり。

それでも、
習い事をすれば、人前に立つのは一つの目標。

リハビリ入院中のばあさんも、一時帰宅を申請して見に来てくれた。



小学生3人のうち、娘以外の二人は3年生。
5年生の娘も含めて、やや緊張気味だった。
始めてから6回目の割には、みんなちゃんと三味線の音を奏でていた。

間違いもするし、上手くいかないこともあったが、
ああして文化交流することの意義は、肌で感じてくれていたんじゃないだろうか。




下半期は、お琴をやりたいんだとさ。

去年はお茶を習いに行っていたし、今年は三味線にお琴。
随分と古風なことに興味を持ってくれるのは、うれしいんだが、
親がやってる詩吟には興味を示さないのは、ちょっと残念。



ちょっと齧ってみる程度の習い事にできない親の性格をよく理解しているからなんだろうな。

台風の影響

2015年09月09日 | その他
朝6時の時点で、出張は延期が決定したので、通常出勤した。

交通機関にも影響あったようだし、仕方ないこと。

娘は、
学校が休校になったおかげで、風邪気味の体を休めるのにちょうどよかった様子。



正午ごろ、雨も風もない時間帯があった。
あれは、台風の目だったんだろうか。

昼食のため、食堂がある建屋に移動するときは良かったが、
一服してデスクに戻る時には、土砂降りだったには驚いたが。



雨の日は、長靴を履いて徒歩通勤。
帰り晴れてたりすると、少しだけ恥ずかしい。

そして、何より長靴の中で脱げてしまう靴下には、毎度困っている。

秋雨前線と台風のコンボ

2015年09月08日 | その他
今夜から明日にかけて東海地方は大荒れの予報。

そんな中、
台風に向かっていくかのように三重県に出張。
9日朝7時発。

電車、動くのかねぇ。


日帰りの予定が宿泊になるほど長くはなさそうだけど、
どうなる事やら。


心配で、寝つきの悪い夜。

30年ぶりの賞状

2015年09月06日 | その他
今日は、芝居よりも芸歴の長い詩吟の話。


第60回 神心流尚道館 吟詠・剣舞・扇舞全国コンクール(吟詠の部)に出場してきた。

エントリーしたのは、「師範代の部」。
(当たり前のことだが、自分の段位のところでしかエントリーできない)

およそ30年前、
小学校5年生の時に、「少年の部」で優勝して以来、随分長い間出場していなかった。

2年前、
職格者(師範代以上)になる前に、一般会員としての最上位の部で久しぶりに出場したが、
入賞すらできなかった。
去年、
師範代の部で出場したが、これもまたダメだった。

復帰後の2回は、どちらも理由ははっきりしていた。
「申告したキーと違っていたから。」

それをようやく克服し、
30年ぶりに手にした優勝カップ。

しかも、10人出場するかしないかの子供の時とは違い、
激戦区の師範代の部での優勝はうれしかった。


30~40代の出場者は稀。
もちろん、20代は皆無。
詩吟の世界とは、年配者がほとんどだ。

いまは、和楽器バンドのボーカルが詩吟の実力者とかで、ほんの少しだが詩吟というものが若い世代にも認識されつつありそうだが、
現実はやはり年配者の趣味・・・というのには変わりない。

私が詩吟を続ける理由は、自分自身もよくわかっていない。

それでも、
芸事に終わりがないってところに、やり続ける意味があると思っている。




漢詩の世界は奥が深い。
日本の俳句に似た感覚がある。

李白、杜甫、杜牧・・・中国の有名な詩人の作品も多いが、
詩吟は日本独自の文化だ。
戦後しばらくの間は、GHQによって禁止されていた。
「戦意高揚や愛国心高揚を図るものだ」と言うのが主な理由だったそうだ。
ゆえに、
乃木希典など、当時の有力者の作品も多い。
幕末~文明開化の頃の文化人の作品も多い。
(ここで言う“作品”とは漢詩のこと。詩吟の譜面はお家元が作曲している。)

歴史を知り、
当時の社会や世相を知り、
その詩にどんな思いが込められていたのかに思いを馳せながら、朗々と吟ずるのは、
なかなかオツなものだ。と、
ようやく思えるようになってきた。



今日の優勝で、また稽古に身が入りそうだ。



劇団の活動には、主に発声練習に詩吟の鍛錬が影響している。
そして、
芝居を演出する感覚が、詩吟の詩情表現に一役買っている。

私の場合、
相乗効果があったわけだ。

そんなことを思うと、
文化・芸術とは、カテゴリーが違えども、どこか共通する何かがあるのかも知れない。