ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

10月19日(金)のFB

2018-10-21 11:23:46 | ツイッター
10月19日(金)、主の平和。お早うございます。昨日は体調がよく、仕事をしすぎ、その反動として今日は朝から疲労感が漂っています。午前中に訪問看護師が来訪しリハビリが予定されています。
体温:36.5、血圧:125/83、心拍:82、血液酸素:96%。
今日は病人らしく、パジャマのままで過ごします。
体調・不良。チュンチュン。
コメント4件
43Kei Kurosawaさん、永島大資さん、他41人

コメント
村田 多鶴子 おはようございます~♪
お守りの内に、体調が整えられて行きますようにm(__)m

小貫 ツマ お早うございます。呉々もご無理なさいませんように!主の平和。

久保和男 主の平和。

Mabune Tatsuo おはようございます。
大いなる主の御名を誉め称えます。
今日も主に忠実に全ての事に感謝を持って歩めますように!
アーメン。

文屋 善明
お目覚めの花。どんよりとした金曜日。
画像に含まれている可能性があるもの:花、植物、屋外、自然
コメント3件
39柳沢武二さん、永島大資さん、他37人

コメント
村田 多鶴子 黄色のショウキズイセン(ヒガンバナ科)…、い~い感じですね~♪(^^♪

小貫 ツマ 初めて見ました。

Minae Moriwaki リコリスにはかわいい色がありますね。
今晩の安きをお祈りいたします💞

文屋 善明
2018 日々の聖句 10月19日㈮
(その世代の中で、)ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ。(創世記6:9)
あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。(マタイ5:16)
私の黙想:
一人の人間の評価を一言で言い表すことは非常に難しい。その難しさを表現しているのが今日の聖句である。後半はともかく前半が問題である。「無垢な人」とはどういうイメージであろうか。口語訳ではこの部分を「ノアはその時代の人々の中で正しく、かつ全き人であった」。文語訳では「ノアは義人にしてその世の完全き者なりき」。ここでの「義人」とは何か。「全き人」とはどういう人間をイメージしているのだろう。伝統的には「義人」とか「全き人」という表現はキリスト教臭い。ノアが完全な人とは何か。アダムが完全な人であるというのとはかなり異なる。そのアダムも不完全であったことがすぐに露わになる。こういう文脈の中で「無垢の人」とは何か。まだ罪に満ちた世界にあって、罪を知らない幼子のようなイメージである。
フランシスコ会訳では「ノアは当時の人々の中で正しく、かつ非の打ちどころのない人であった」、岩波訳は「その時代にあって正しく、非の打ちどころがなかった」。この訳は参考になる。ノアの人格はあくまでも当時の人々との相対的な関係の中で「まとも」であったという意味であろう。
25永島大資さん、磯野 眞紀子さん、他23人

文屋 善明
「断想:聖霊降臨後第22主日(特定24)(2018.10.21)」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

22柳沢武二さん、永島大資さん、他20人

文屋 善明
「10月18日(木)のFB」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP
1
18柳沢武二さん、磯野 眞紀子さん、他16人

文屋 善明さんが過去の思い出をシェアしました。
私が生まれて1年目の時の三木清の論文。80年前の論文が今もいや今こそ有効だ。
3年前
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文屋 善明
2015年10月19日 ·
2015年と1937年、78年の差、何でこんなに似ているのだろう。三木清の言葉が、そのまま現在の日本に当てはまるとは。その間、日本はなにも成長しなかったのだろうか。

言論統制と精神の自由(「時局と思想」1937年9月「日本評論」188頁)

北支事変の勃発と同時に、政府はジャーナリズムの代表者を集めて懇談した。その内容の詳細は分らないが、その結果が言論の統制となって現はれたことは事実である。すでに数年前から言論の統制は次第に強化される傾向にあったのであるが、今や事変を契機としてそれが一段と強化されることになったのである。一度強化された以上、それが事変の終結と共に緩和されるであろうと考えることは、甘い空想に過ぎないかも知れない。

この重大時におい て言論の統制が行われるのはやむを得ない ことであろう。 しかしまた翻って考えるならば、この重大時に当っては国民が時局の真相を十分に認識することが大切であり、そのためには先づ報道の自由が要求されるのである。もとよりそれは無制限の自由ではあり得ない。しかし時局の真相を伝えるに足りるだけの報道の自由は必要である。時局の真相が分らないようでは「時局認識」を深めようにも深めようがない。統制の強化のために事件の一部分一方面が伝えられるのみで全般が伝えられない場合には、真相は掴めないであろう。また検閲の強化のために報道が遅れるようでは事件に対して的確な判断を下すことができないであろう。

政府は国民に向って「時局認識」を深めることを要求している。それは極めて当然なことである。時局に就いて正しい詔識がなければ、国民は完全に協力することができないであろう。しかし国民に認識を要求するならば、その認識に達するために必要なものを国民に知らせることを忘れてはならないであろう。 然るに実際は「時局認識」の重要性がしきりに説かれるようになって以来かえってその認識に欠くことのできない報道がますます不足してゆくように感ぜられてはいないであろうか。
この重大時に当って言論の自由が拘束されるのはやむを得ないことであろう。しかしまた他面から考えるならば、このような重大時には衆智をあつめて遺憾なきことを期することがいよいよ肝要なわけである。衆智をあつめるためには言論の自由が許されねばならない。もとより無制限な自由が可能であるとは考えない。しかし国民の批判を聞くということは政府としても万全の策を立てるために大切なことである。いづれも国を思ひ国を憂うるの至情から出たものである限り、たとえ反対者の意見であるにしても、それから学び、それを利用しないようでは真の政治は行はれ難いであろう。他人の口を塞ぐことは自己を無智ならしめることである。 自分に都合の好い ことしか耳に入れないようにすることは危険であるといわなければならない。批判を通じてのみ真の認識に達することができるのである。

もっとも、日本人は、政府が統制を唱えると、必要以上にそれに対して過敏になる傾向がある。そうでなくても、言論の統制が行われれそうな気配があると、日本人は自分から自然に統制されていくという傾向を持っている。日本ほど政治の行いやすい国はないということも出来るであろう。日本人のこのような性質は何処から来ているのであろうか。

誰もが先づ挙げるのは、日本において自由主義が十分に発達するに至らず、従って日本人は自由というものを真に味ったことがないということである。これは確かに重要な理由であろう。日本人は確かに自由を経験したことがない故に、たとえ言論の自由が存在するとしても、自己の個性的な意見をしっかりと持っている者は稀であって、大抵は事大主義的に権力のある思想や流行になっている思想に追随していくのである。即ち言論の自由がある場合にも精神の自由はないのである。精神の自由といえば、直ちに個人主義とか自由主義とかといわれ、すでに時代遅れの思想のようにいわれであらう。それが自由主義の産物であるにしても、自由主義のすべてが廃棄すべきものであるのではない。自由主義のうちにも勝れたものがあり、一部の真理が含まれているのであって、それを正しく継承するのでなければ今後の真の文化は発展し得ないのである。日本人には精神の自由が乏しい故に、言論の自由が興ヘられてもそれを十分に利用し得ず、また言論の自由が奪われてもそれほど苦痛に感じないのである。挙国一致も附和雷同では困るであろう。精神の自由が欠けている場合には、何かの具合である思想に全部一致していても、事情が少し変って来ると、今度は全部の者が全く反対の思想に感染してしまうということも生じるのである。

精神の自由と言論の自由とは区別されるべきものであるが、両者はまた互に関連している。精神の自由がなければ言論の自由も死んだもの、意味のないものになるであろうし、言論の自由がなければ精神の自由も発達し得ないであろう。我が国において必要なものは言諭の自由のみでなく精神の自由であり、しかし精神の自由を発達させるためには言諭の自由が許されることが必要なのである。

日本のインテリゲンチャが容易に統制されるのみか、自ら進んで統制に応じる傾向を有するという理由には、また例えば彼等の生活程度が低く、つねに生活に脅かされているということもあるであろう。そしてそのこととも関連して考えられる一層重要な理由は、日本のインテリゲンチヤの活動の範囲が狭いということである。例えば、ドイツではナチスの政策に依って多敵の学者が大学から追放された。それらの学者はあるいはイギリスへ、あるいはアメリカへ行って、相変らず学者として活動を続けている。中にもアメリカに渡った者は多く、そのためにアメリカの学問は現在注目すべき発達を遂げつつある。ナチスのユダヤ人追放によって得をしたのはアメリカであり、損をしたのはドィツ自身である。

ところで仮に日本のインテリゲンチャが同様の事情におかれたと想像する場合、彼らは一体何処へ行きうるであろうか。学問や芸術の有する本質的な国際性にもかかわらず、彼等は恐らく行くベきところがないであろう。いづれにしても日本のインテリゲンチャにとって活動の範園の狭いということが彼等の精神の自由にとって妨害となっている。日本の学者や芸術家にしても、支那において活動の天地が興えられているとしたならば、事情はよほど変わってくるであろう。その場合には彼等の学問や芸術の性質も変わってきて、一層国際性を有するものとなって来るであろう。精神の自由は文化の国際性の意識とも結び附いている。このようにして現在の支那問題の発展は日本のインテリゲンチャにとって注視すベき重要な問題であるのである。

9宮田 真也さん、國安千鶴さん、他7人

文屋 善明
リツイート:小沢一郎(事務所)@ozawa_jimusho
油圧機器メーカーによる免震・制振装置のデータ改ざん。大勢の人々の命に関わる問題。信じられない。今や大手企業によるデータ改ざんは日常茶飯事で日本製造業の権威は失墜。こうした中、安倍政権下での公文書改ざん、数値改ざんも止まらない。「ばれなきゃいい」という発想。いつでも魚は頭から腐る。
<一言>日本の上層部は政界も経済界も腐っている。
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20Noriko Tama Corlさん、磯野 眞紀子さん、他18人

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