ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

断想:大斎節前主日(2019.3.3)

2019-03-01 16:11:10 | 説教
断想:大斎節前主日(2019.3.3)

山上の変容  ルカ9:28~36

<テキスト>
28 この話をしてから八日ほどたったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。
29 祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。
30 見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。
31 二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。
32 ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると、栄光に輝くイエスと、そばに立っている二人の人が見えた。
33 その二人がイエスから離れようとしたとき、ペトロがイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、自分でも何を言っているのか、分からなかったのである。
34 ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。
35 すると、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言う声が雲の中から聞こえた。
36 その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった。

<以上>

1. 大斎節前主日の福音書
大斎節前主日は明らかに大斎節を意識している。今週の水曜日から教会内の祭色もキリストの成長の生涯を示す緑から受難の紫へと変わり、キリスト者の生活においても顕現節から大斎節へと変化する。イエスの生涯においても、前半におけるガリラヤでの明るい活動から、後半における十字架への苦難の道へと展開する。ちょうど、その転換の時の出来事が「イエスの姿変わりの出来事」である。従って、この大斎節前主日の福音書のテキストとしては相応しい。マタイの年はマタイ17:1~9、マルコの年はマルコ9:2~9で、いずれもイエスの姿変わりの出来事が取り上げられている。
イエスの姿変わり出来事は復活の出来事の先取りであると言われる。ということは、大斎節は、「復活の先取りとしての変容の出来事」と「復活の出来事」とに挟まれた期間ということになる。言い換えると、「輝かしい変容」と「栄光の復活」とに挟まれた喜びの期間である。決して罪を歎き、懺悔し、灰をかぶるべき期間ではない。もし大斎節における節制ということに意義があるとするなら、それは懺悔と苦行としての節制ではなく、自分自身の内的信仰を確認し、深め、歓喜へと昇華するための節制である。

2. イエスの姿が変わる出来事
この出来事は古い祈祷書では「容変貌」、新しい祈祷書では「変容」といわれる。日本のキリスト教界では従来「山上の変貌」と呼ばれてきた。この「貌」という字が漢字制限にひっかかってからは「山上の変容」と変更された。原語ではメタモルホーという単語が用いられているが、これは単に顔が変形しただけではなく「姿、形」の全体が変化したことを意味する。という訳で田川建三さんは「変身」と翻訳している。
この出来事についてはヨハネ福音書にはないが、3つの共観福音書が述べている。出来事の場所についてはマルコもマタイもただ「高い山」(マルコ9:2、マタイ17:1)という。ルカはただ「山」とだけしか言わない。という訳で私などは若い頃から「変貌山の出来事」と言い慣れてきた。
3つの福音書の記事を対比してみると登場人物と場所など基本的な点は一致しており、マタイもルカもマルコの記事を基本的な資料としていることは明らかであろう。ただ時についてマルコとマタイはイエス自身による死と復活の予告の「六日の後」(マルコ9:2)としているのに対しルカだけは「8日ほどたったとき」とする。この2日の違いは何を意味するのか分からない。その他ルカは10点ほど語句の訂正や付加など変更を加えているが、とくに重要と思われるものは次の5点であろう。が、それに触れる前、 この事件における基本的な語句を確認しておく。
ここに登場する歴史上の人物、エリアとモーセについて。当時の人々にとってエリアは最も重要な預言者と考えられていた。同様にモーセは律法の代表者を意味する。この2人について重要な点は2人とも死なずに昇天したと考えられていたことである。エリヤについては列王記2:11に明記されているが、モーセについては申命記34:6の「モーセの墓を知る者はいない」という言葉に基づいた信仰である。
この物語の重要な大道具である「仮小屋(スケナス)」とは単に「(雨露をしのぐための)覆われた場所」を意味する。通常はテントとか幕屋と訳される。ここでこの言葉がどういうイメージで捉えたらいいのか明白ではないが、少なくとも古代ユダヤにおいては「幕屋」とは神の顕現の場所であることと関係するのかも知れない。あるいはユダヤ教の三大祭りの一つである仮庵の祭りと関係があるのかも知れない。要するに宗教的祈念碑のようなものであろう。
なお、この「山上での変容」の出来事は、ペトロ自身の経験として2ペトロ1:16~18にも触れられている。
<わたしたちは、キリストの威光を目撃したのです。荘厳な栄光の中から、「これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者」というような声があって、主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました。わたしたちは、聖なる山にイエスといたとき、天から響いてきたこの声を聞いたのです。>
田川建三さんはペトロ第2の資料の方がマルコ福音書の記事よりも古い形態を残している可能性があると示唆している。

3. ルカの重要な変更点
(1) ルカは登山の目的を「祈るため」と明記している。 ルカ福音書においては重要な出来事に際しイエスは祈る。
(2) その時のペトロと仲間の様子とイエスの姿の描写。その時の「ペトロと仲間」の様子を描いているのもルカだけである。ペトロと他の2人の弟子たちが眠ってしまった。新共同訳では、「ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると」とあたかも眠っていないかのような表現になっているが、口語訳では「熟睡していたが、目を覚ますと」と訳されている。ここでは彼らが眠っていたのか、睡魔と闘っていたのかよく判らないが、これは本人たちに聞いたところではっきりしないことであろう。要するに、ここでルカが言いたいことは、この出来事が夜の出来事であったということであろう。それは、この物語のすぐ後で、「翌日」という言葉が用いられていることからも判断できる。ルカはこの出来事を「夜の事件」として描く。現代人は夜と昼との区別が希薄になり、ほとんど区別をしない。しかし、昔も今も、昼の判断と夜の判断とは異なる。とくに古代人にとっては夜と昼とでは世界が違うということを体験的に明白に知っている。夜は昼と同じ経験をしないし、昼の判断と夜の判断とは異なる。夜の世界は昼の世界と異なる。夜は昼の理性が通用しない。夜の力は昼間は眠っている。同様に、昼の支配は夜には及ばない。夜には夜の支配がある。それは夢の体験とも通じる経験であり、夜は人間の力の及ばない世界との交流の時間である。ルカがこの出来事を「夜の事件」と理解したことの背景には、現代人が理解できない世界観がある。
 (3) イエスとモーセとエリヤとの会話の内容を明記。
イエスとモーセとエリアとの会話の内容を述べているのはルカだけである。一体これを誰が聞いたのだろうか。まさかイエス自身がそのことを弟子たちに語ったとは思われない。マルコもマタイもそのことにはいっさい触れていない。このことについて触れ、語るということにはルカも勇気がいったことと思う。ルカはこのことを誰から教えてもらったのだろうか。誰も判らない。ルカの創作か。そうとも言える。しかし恐れ多くもさすがのルカといえどもそんなことを軽々しく創作できるのだろうか。私は思う。ルカは決して「軽々しく」創作したのではない。むしろ、このことにルカは自分の人生全体を掛けるほどの信仰を持って、確信して、このことを述べている、と私は信じる。この言葉の中にイエスの生涯を研究し、思索し、自分の人生を掛けたルカの信仰が示されていると思う。従って、ここでルカは一つ一つの言葉に注意を払い、選び、語っている。それが、「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について」(31)という言葉である。ルカがそれ程までに慎重に選び抜いた言葉を私たちは「軽々しく」翻訳してはならないと思う。私たちは、そしてルカによる福音書を読む全ての人々は「イエスがエルサレムで遂げようとしておられること」ということが、何なのかよく知っている。それは「死ぬこと」である。十字架上で死ぬこと、それ以外の何ものでもない。しかし、それは「最期」であろうか。日本において、「名人訳」として名高い永井訳では「エルサレムにて彼の将に成し就げんとし給う、死について」(新契約聖書)と訳している。有名なラゲ訳では「エルサレムにて遂げんとし給う逝去の事」と訳している。新共同訳が出版される前に、部分的な翻訳として聖書協会から出されたルカスによる福音書(共同訳)では、「イエススがエルサレムで果たそうとしている死の旅立ちについて」と訳されている。ついでに中国語の訳を見ると「去世」という言葉が見られる。昔の文語訳では「逝去」という言葉が見られる。
要するに、ここで用いられている言葉は「最期」という言葉ではなく、また「死」という言葉でもなく、まさに文字どおりに訳せば「世を出ること」(EXODOS)である。それは「死」というよりも「旅立ち」というニュアンスが強い言葉である。 「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期(旅立ち)について話していた」。この点がルカ福音書における山上の変容の出来事の中で最も重要な付加である。ルカはこの出来事をイエスの生涯における最大の転換と考える。この出来事の直前と直後にイエスは弟子たちにエルサレムでの十字架上での死を予告し、エルサレムへの旅を決意する(9:51)。いわばモーセとエリアとの会話は神の救済の実現へ向けての最終的決定である。これ以後、救済史は具体的なプログラムに入る。
(4) 弟子たちの恐怖
マルコは弟子たちが恐れていたことを漠然と描くが、ルカは恐れの原因を「彼らが雲の中に包まれていくので」と明記する。モーセとエリアの退場によって輝きの時は終わる。その寂しさが印象的である。それはまた、復活したイエスが昇天する出来事と重なる(使徒1:9)。
(5) その後の3人の弟子たちの態度。
マルコはこの出来事を次の言葉で結ぶ。「弟子たちは急いであたりを見回したが、もはや誰も見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた」。マルコは彼らと共にいるイエスを強調している。それに対して、ルカでは「その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった」という言葉で結ぶ。ここには沈黙は命じられていない。このことについてはマルコもマタイも触れていない。なぜ彼らは沈黙を守ったのか、その理由は明らかではない。従って最も単純な理由はこのことを誰も知らされていなかったということであろう。あるいは彼らは語っていたが、この経験を共有しなかった者には理解されなかったということか。謎である。

4. 事件の真相
これは不思議な事件である。事実こういうことが起こったのか。あるいは、3人の弟子たちが口を揃えてこういう事実、あるいは経験を報告したのだとしたら、いったいこの出来事は具体的なことは何であったのか。そのことについては、もはや誰も検証することは出来ない。ただ、この記事あるいはこの伝承は原始教会のイエス理解においてかなり重要視されたことは否めない。従って、この出来事は3人の弟子たちの作り話とは思えない。弟子たちの復活経験に先立ってイエス在世当時に3人の弟子たちは、何かイエスの復活を予感させるような特別な経験をしたのだろう。マルコが先ずその出来事を彼の福音書において文書化した。マタイも何の疑問も持たずにそれを継承した。ルカも同様であった。ヨハネだけが、もう再録する必要はないと考えたのか、取り上げなかったが、それに代わる出来事として「ラザロの甦り」の記事を載せた。これも「イエスの復活」を予感させる出来事であった。

5. この物語のメッセージ
ルカがこの物語に託して語るメッセージは何であろう。明らかな一点はこの物語がイエスの復活の先取りだということであろう。それではもう一歩踏み込んで、イエスの復活を信じるということは一体何を信じているということなのだろう。単に過去の出来事としてのイエスの復活という奇跡を信じるか否かという問題だけだろうか。私は思う。ルカがこの物語に託しているメッセージとは、この世界、私たちが知り、そして生きている現在の世界だけで世界は完結しているのではなく、この世界と密着し、この世界を支えている「もう一つの世界」があるということである。私たちは「祈りにおいて」その世界と交わり、夜、幻の中でその世界に触れ、この世を去ることはその世に旅立つことである。イエスがその生涯を通してわたしたちに示されたものは、その世界のことであり、その世界との関わりの中で現在のわたしたちの苦難も喜びに変わり、貧しさも豊かさに転換し、絶望の向こうに希望が見えてくる。しかし、この世しか見えない者、この世を完結したものとみなす人々、この世での損得を絶対視する者にとっては、たとえこの世でどの様な富を蓄積したとしても、また名声を獲得したとしても、この世の消滅と共に、全てが消滅してしまう。
さて、私たちはこのルカのメッセージをどう受け止めるのか。イエスの十字架の死は全く無駄な死であったのか。死によってイエスの生は完全に消滅してしまったのか。人間は死んだらそれでおしまいか。それがまさに大斎節のわたしたちの課題である。十字架の向こうに復活の主イエスを見る、これが大斎節のテーマである。

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