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ティリッヒにおける宗教的象徴の意義──組織神学の根拠について──(1)

1968-03-01 13:04:43 | 論文
昭和42年度修士論文(関西学院大学神学部)
ティリッヒにおける宗教的象徴の意義──組織神学の根拠について──
文屋善明

目次
序論 問題とその仮説的解答
第1節 問題
第2節 仮説的解答

第1部 宗教的象徴論
第1章 宗教的象徴の概念
第1節 象徴の概念
第2節 宗教的象徴論の思想的背景
第3節 宗教と文化
第2章 宗教的象徴の現象
第1節 生の曖昧性
第2節 宗教的象徴の分類
第3節 キリスト教の象徴
第3章 宗教的象徴の解釈
第1節 象徴の解釈とは何か
第2節 解釈の消極面
第3節 解釈の積極面

第2部 組織神学成立の根拠
第1章 現代における組織神学への関心
第2章 組織神学の根拠
第1節 原理的考察
第2節 キリスト教と諸宗教
第3節 哲学と神学
第3章 神学的認識論に対する宗教的象徴の意義
結び

参考文献
凡例

序論 問題とその仮説的解答

第1節 問題
ティリッヒの『組織神学・』が著わされて以来、(1)彼に向けられた最も執拗な批判は、神学は組織的であり得るか、という神学の組織性に対する疑問である。K・ハミルトン(註1)はティリッヒ神学において最も重要なことはそれが組織的であるということであり、そこでは組織とは種々の特質の中でのひとつの特質ではなく神学そのものであると言う。(2)
ティリッヒも『組織神学・』の序文において「わたしにとって常に組織的以外の方法では神学的思惟は不可能であった」(3)と告白している。つまり彼にとって「組織神学」とは単に彼の主著の書名にのみとどまらず、神学的思惟そのものを意味している。
しかし、バルトによって神学と哲学の決別が宣言せられて以来、神学は哲学と異なりあくまでも「ある特殊な内容の理解に対する省察であり、それらの内容の理解への努力である」(4)とされた。つまり神学の本質は教会に与えられた特殊な内容の解釈であり、従って神学とは教会の学である。故に、パルトは組織神学ではなく、『教会教義学』(註2)を書いているのである。ここでは神学の組織性とは教会の教義の教案的秩序にすぎない。
もちろんティリッヒも神学の教会性、つまり特殊性を無視する訳ではなく、むしろ彼は『組織神学』を「神学とはキリスト教会の機能として教会の必要に仕えねばならない」(5)という言葉で始めるのである。教会は神学にとって成立の場であり、教会に与えられている啓示なくしては神学の内容は空虚である。神学にとって教会とは必要条件である。
しかし教会の本質を考えるときに、神学は教会内の知的機能にのみとどまることが出来るであろうか。教会に与えられている啓示は同時に世界にも与えられたものである。教会の主は同時に世界の主でもある。教会の神学は同時に「世界の神学」(註3)でもなければならない。この場合「世界」とは文化的世界であり、むしろティリッヒは「文化」という語を好んで用いる。「文化に受容せられない信仰と、信仰に受容せられない文化との間にある亀裂はわたしには我慢出来ない。」(5)これがティリッヒの「文化の神学」への情熱である。教会の神学は必然的に文化の神学でもなければならない。これが彼の確信である。
ここに教会の特殊性と文化の普遍性とに対応する神学における教会性と組織性の問題がある。
ティリッヒは彼が神学活動を始める頃の神学界の状況を回顧して、当時は神学とは何かという基礎的決断を迫られていたと言う。(7)シュライエルマッヘルに対する弁証法的神学運動のはげしい批判の嵐の中で、彼はむしろシュライエルマツヘルの側に立った。(註4)その理由はただ、神学とは「全ての要素を総合し、構築する」(8)学問である、という確信からである。シュライエルマッヘルの神学的モチーフは具体的教会の信仰を普遍的な宗教概念に基づいて理解することによって、教会の信仰的真理を普遍的真理とすることである。ティリッヒはシュライエルマッヘルにおいて組織神学は必ずしも成功しているとは考えていない。(9)動機の正しさは結果の正しさを保証しない。
組織神学の試みはシュライエルマッヘル以後にも繰り返されている。「たとえわれわれは失敗の連続の歴史を持っているとしても、それは組織神学の問題ではない。冒険と勇気のあるところに失敗もあるということはまさに人間の状況である。」(10)教会に与えられている具体的な使信は、普遍化され組織化されるときに、抽象化される危険性は常にともなう。「にもかかわらず、この危険は覚悟の元にかせられねばならない。一旦このことがわかったならば、この方向に進まねばならない。」(11)ティリッヒはこの課題をどのような根拠に立って遂行しているのであろうか。これが問題である。

第2節 仮説的解答
ティリッヒにとって神学とは二重の意味を持っている。狭義においては、教会に委託せられていろ使信を現代の状況に向って、現代の言葉で語る「宣教神学」(註5)である。彼はバルト神学がその典型であると考えている。(12)
広義においては、神学とは神についての学であり、宗教と共に生まれ、宗教と共に人間の精神的生活の全領域を包含する普遍的な営みである。全ての神話は神学を含んでいるし、神秘的思弁も、形而上学的思弁も、預言者的律法解釈も「神・学」である。これらの諸神学とは儀式とか神話とか宗教的象徴等の宗教的実体の合理的解釈である。(13)
「キリスト教神学も例外ではない」(14)とティリッヒは言葉を継いで、狭義の神学概念と広義の神学概念とを関係づける。教会の神学も広義の神学領域においては多くの諸神学の中の「一つの神学」つまり「キリスト教神学」(15)にすぎない。そのキリスト教神学が「神学そのもの」(16)である(註5)という主張の根拠を明きらかにするのが組織神学の任務である。
もし教会の神学的任務が教会に委託せられている使信を現代の思想と言葉で解釈するだけであるならば宣教神学のみが「真の神学」(17)であり、他に何も必要としないであろう。しかしそれでは、教会の宣教は他の諸々の神学と並んで、自己の主張を絶対化することになり、結果的には相対化してしまう。宣教神学がその任務を十分に遂行するためには組織神学が必要である。組織神学とはキリスト教神学の中心点が同時に広義の神学領域の中心点でもあること、つまりキリスト教神学と「神学そのもの」とが同心円の関係にあることを解明する弁証神学である。(18)(註7)
この課題が遂行せられるための第一歩は、キリスト教信仰と他の諸々の信仰との共通性を認めること、つまり文化における普遍的な宗教現象の一つとしてキリスト教信仰をも理解することである。全ての宗教に普遍的な共通性とは、それらが究極的関心の表現として宗教的象徴を中心としている、ということにほかならない。むしろ逆にティリッヒはたとえそれらが自らを宗教として自覚していないとしても、究極的関心を要求する象徴を持っている限りそれは宗教であると考える。(註8)
そこで問題はそれらの具体的な諸宗教の象徴が普遍的な何ものかをもっているか否かにかかって来る。(19)キリスト教神学が単に「一つの神学」であるのみならす、「神学そのもの」を形成し得る根拠は、教会の使信の中心である「キリストとしてのイエス」は絶対的な具体性と共に絶対的な普遍性を持つということにほかならない。(20)この中心点を跳躍板として「教会の神学」は「文化の神学」となることが出来る。つまり組織神学は「キリストとしてのイエス」における絶対的具体性と絶対的普遍性を根拠として成立する。そしてそのような理解の仕方は、教会を成立せしめている出来事を宗教的象徴の出来事として理解することによって達せられる。つまりティリッヒは宗教的象徴の概念を神学に導入することによって組織神学の根拠を確立することに成功することが出来たとわたしは思う。
ティリッヒ自身『組織神学・』において、「わたしのとり得る唯一の道はわたしたち自身の文化の表現を通して信仰の諸象徴を解釈するという企てである。この企ての結果が3巻の『組織神学』である」(21)と述べている。『組織神学・』が出版される4年前に発表された『神学的方法の問題』(22)においても、神学の対象は宗教的象徴である、と主張せられ、また第1巻の出版の4年後に発表された『神学と象徴』(23)においても同じことが主張せられている。(註9)
さらに『組織神学・』の教会の認識機能を論ずる部分において明確に「神学の主題としてとりあげる素材は原初的啓示経験とそれに基づく諸伝承によって与えられている諸象徴である」(24)と述べられている。
そこでこの論文の課題は以上に述べた仮説的解答を論証することである。まず第1部において宗教的象徴について考察し、第2部においてティリッヒの考え方にそって組織神学の根拠を宗教的象徴との関連において解明する。

(1) Tillich,P:Systematic Theology ・,1951
(2) Hamilton,Kenneth:The system and the Gospel,SCM, London,1963 p.13
(3) Tillich,P:Systematic Theo1ogy ・,Nisbet London,1964, p.・(以下ST1.と略す)以下に引用するティリッヒの諸論文の詳細については参考文献の部分を参照、この欄においてはただ論文名のみを記す。
(4) 0tt,Heinrich: What is systematic Theology? Ed. by J.M.Robinson and J.B.Cobb,The later Heidegger and Theology, New York,1963 p.78
(5) ST1. p.5
(6) Tillich,P:Systematic Theology ・,Nisbet,London,1964,p.5(以下単にST3.と略す)
(7) Tillich,P:Perspectives on 19th and 20th century Protestant Theology,p.91(以下Perspectives.と略す)
(8) Ibid.,p.91
(9) Ibid.,p.96
(10) Ibid.,p.91
(11) ST3. p.4
(12) ST1. p.4f
(13) Ibid.,p.18f
(14) Ibid.,p.19
(15) Ibid.,p.7
(16) "the theology", Ibid., p.20
(17) "the only real theology", Ibid., p.7
(18) Ibid., p.55
(19) Ibid., p.19
(20) Ibid., p.19f
(21) ST3. p.5
(22) The Problem of Theological Method,1947
(23) Theology and Symbolism,1955
(24) ST3. p.214

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