中3の学年が卒業に向けて学年集会をするというので、のぞきに行ってきました。学年の担任をしている田上さんが生徒たちに向かって、「自分たちの卒業をつくってほしい」というメッセージを発していました。
終わりのつくり方というものは、大変むずかしいことだと思います。田上さんの言う「何かを生み出す人」になること。そうなるためには、この3年間という時間そのものを、自分の中に蓄えていくことでもあると思います。
3年生の人たちのひとりひとりの内側につくられていくものが、やがて表に現れてくることが楽しみでもあります。それはこの先ずっと後のことなのかも知れないし、次に進む高校での話なのかも知れません。
卒業というのは誰かから与えられるものもあるけれど、自分自身でつくり出すものでもある。のこりの時間、やり残したことや中途半端に終わっていること、そういうものをやりきってほしい。卒業というものは、学校に入って3年経つと、自動的にやってきます。だけど、勝手にやってくる「終わり」をどんなものにしていくかは、その人がどのような「終わり」をつくるのかにかかっている。
この3年間ずっと一緒に過ごしてきて、様々な場面を通して仲間だと思っている。そうした関わりのあるみんなに、なってほしいものがある。それは「表現者」になること。
この学校をつくり出した遠藤豊という人を、自分は表現者だと思っている。表現者とは、何かを生み出そうとする人のこと。みんなには表現者になってほしいと願っている。
終わりのつくり方というものは、大変むずかしいことだと思います。田上さんの言う「何かを生み出す人」になること。そうなるためには、この3年間という時間そのものを、自分の中に蓄えていくことでもあると思います。
3年生の人たちのひとりひとりの内側につくられていくものが、やがて表に現れてくることが楽しみでもあります。それはこの先ずっと後のことなのかも知れないし、次に進む高校での話なのかも知れません。
なかの