記憶について、聞いたことがある。
人間は、体験したことを、すべて覚えていて、
「忘れた」と思っているのは、実のところ、
『記憶を引き出せなくなっている』だけなのだ、と。
この話が本当かどうか、僕は知らない。
確かめる術もないし、その必要も感じない。
記憶に関する領域に踏み込むのは危険だ。
何かを無理やり思い出そうとする行為は、
てんかん発作の引き金になる。
ただ、何かのはずみに、「思い出す」ことはある。
発作後、『夢』という形で
過去の記憶がよみがえることもある。
正直、自分でも、
「こんなことを覚えていたんだ」と
びっくりする。
頭の中を、毎日、ひっかき回されているからだろうか、
よく分らないので、とりあえず、そう納得している。
この、もやもやした状況に、
耐えられなくなってしまったことがある。
2006年の6月頃だ。
自分の頭の中にあることを、手当たりしだい、
紙に書きこんでいた。
用紙はB5サイズから、A4サイズになり、
最後には、模造紙になった。
僕は、実家の机の上に、真っ白な模造紙を広げ、
自分の頭の中に入っているものを、
全部そこに書き写そうとした。
そうすれば、
少しは頭が晴れるのではないかと思った。
さんざん迷って、模造紙の中心に
『花』と書いた。
縦へ、横へ、斜めへ、あらゆる方向に、
僕は言葉を書きこんでいった。
書き続けて、
模造紙を言葉で埋め尽くすつもりだった。
10分の1も書かないところで、
発作が始まった。
吐いて窒息しないように、
とっさに、からだを横向きにした。
でも、からだが、よじれてしまい、
僕はうつぶせの姿勢のまま、
顔を床に打ち付けることになってしまった。
目を閉じることができなくて、
近づいたり遠ざかったりする床を
僕は見つめた。
バスケットボールの中に入ったら、
こんな感じだろうな、と思った。
発作はしばらく続いたが、
その合間に、僕は病院へ運ばれることになった。
救急隊員が、僕をストレッチャーに乗せながら、
机の上の模造紙を見て、「なんだこりゃ??」
という表情をしたのを覚えている。
それ以来、僕は、
このもやもやした状況を分析し、
発作と共存する道を模索し始めた。
たまに見る懐かしい夢は、
それ自体を甘い思い出として、
心の中に保管している。
ありがたかった処置だった)とき、言葉では知っていた「ヒステリー」と「幻覚」を体験しました。その後、どうしてあのような状態になったんだろうと分析を試みましたが、いつの間にか忘れてしまってました。
2つ前の記事がら『花』ね。
jiveさんの文章は私には不思議です。
一度目はとてもフラットな感覚が伝わって来ます。
もう一度読むと、今度は表情を感じます。
不思議でしょう?
(単なる私の読解力じゃあない気がして…)
くちゃくちゃ画像はなにかなあと考えてます。
大災害で家を失った人に通じるものがあります
裸にされて
路頭に迷い
行く先も分からない
天に地にもたった一人取り残された孤独感
もやもやした状態と共存する道の模索…
たまにはそれさえも忘れることが
【大慈】かな?
たとえば、夢の中で過去を必死に思い出そうとしたりして・・・。
ありがとうございます。
多くを乗り越えて来られたのですよね…。
それでいて、
「忘れちゃった」と言えるかめさんを
尊敬しています。
たくさん持とうとするより、
手放すことのほうが、
ずっと勇気が要ることだよなぁ、と
僕は思っています。
>きーちゃん様
ありがとうございます。
たくさん褒めていただいて、
ありがとうございます。
嬉しいです。
きーちゃんさんのように、
読んでくださるかたがいるからこそ、
僕は毎日書くことができると思います。
これからもよろしくお願いします。
>リスペクト様
ありがとうございます。
当時、僕の頭の中には、
「花」という単語がくっついていて、
そればかり考えていました。
今、実際に、
ベランダで花を育てるようになって、
僕の中で、実際に
「線がつながった」ように
感じる部分があります。
『くちゃくちゃな画像』は、
BIOSの設定画面を加工したものです。
Windowsより、もっと、
パソコン『本体』に近いプログラム、です。
>ポレポレ様
ありがとうございます。
1日でいいから、
「元の状態」に戻してほしい。
と願うことが、よくあります。
笑ったり、泣いたり、
眠ったり、考えたり、
からだを動かしたり……
自然に湧いてくるものを、
常に薬と意志の力で抑えこみ続ける生活に、
疲れを覚えることもあります。
でも、今は、この道を歩むほか、
ありません。
道は、さらに険しくなりそうですが、
それでも、僕は前進すると思います。
そういう性格、なのだと思います。
>nissinn様
ありがとうございます。
「目覚めてすぐ発作」という
手痛いミスを繰り返した結果、
僕は、夢の中でも
『自分は病気なんだから
喜怒哀楽は殺すんだ』と
思えるようになりました。
先日、ずっと会っていない友だちに
再会する夢を見ました。
僕の話を聴いて、夢の中での友だちは、
泣いてくれましたが、
僕は、ただ、見つめていました。