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本日の到着便 古代編 『埴輪論叢 4』  など

2015年05月31日 | 初期国家・古代遊記

                         ▲『埴輪論叢 4』 埴輪検討会 2003年 

 

 

 安西俊史 「河内における円筒埴輪編年」 は、前期と、後期の編年の論考。

河内の円筒埴輪中期の編年は上田睦の論文が4号には間に合わず、5号に別稿が掲載されることになったようだ。

『埴輪論叢 4』 を入手したのだが『埴輪論叢 5』も合わせて参照しないと、円筒埴輪の河内編年は通観できないことになっていたのだったのが残念!

長いこと、『埴輪論叢 』 は入手困難になっていた。事務局となっている住所もわからず。連絡を取りようがない。古書店を探すのだが注文段階で直前に売り切れてしまうことが多かった。

『埴輪論叢 』は引用文献で紹介されることも多く、刊行から10年以上も経ってしまったのだが、これを読まぬことには先へ進めないので、頻繁に書店を探して、ようやく入手。

細部にわたる読書記録は『埴輪論叢 5』に収載してある上田睦の論文を見てからでないといけないが、今回は、巻頭にある、小浜 成 「円筒埴輪の観察視点と編年方法 ー畿内円筒埴輪編年の提示に向けてー」 のV期16段階区分編年を記憶しておこう。

 

 

 ▲ 埴輪検討会による「円筒埴輪共通編年」 巻頭の編年図表

大区分の5期ⅠーV期は、1978年の川西宏幸が提唱したものと齟齬がないように配慮されている。過去の資料を比較対照するのも煩雑な作業を経由しないですむので、これはよかったと思う。

 

V期16段階区分編年

Ⅰ期 5段階

  Ⅰー1 宮山型特殊器台・都月型特殊器台埴輪・都月系円筒埴輪の出現

  Ⅰー2 普通円筒埴輪の出現・突帯間隔設定技法の創出

  Ⅰー3 朝顔形・鰭付・楕円形円筒埴輪の出現

  Ⅰー4 鰭付円筒ⅠB類の出現、各地での埴輪製作が本格化

  Ⅰー5 鰭付円筒ⅠCⅡ類の出現

 

Ⅱ期 2段階

  Ⅱー1 埴輪形態の斉一化開始

  Ⅱー2 Ca種ヨコハケの普及

  

Ⅲ期 2段階

  Ⅲー1 B種ヨコハケの出現 突帯間隔の縮小顕在化

  Ⅲー2 B種ヨコハケの普及 Bb種ヨコハケの顕在化

  

Ⅳ期 3段階

  Ⅳー1 Bc種ヨコハケの出現 製作技法の規格化開始

  Ⅳー2 Bc種ヨコハケの普及 規格の確立

  Ⅳー3 Bd種ヨコハケの顕在化 規格の縮小化

 

Ⅴ期 4段階

  Ⅴー1 Ⅴ群系の出現

  Ⅴー2 断続ナデBの出現

  Ⅴー3 復古調埴輪の顕在化

  Ⅴー4 日置荘窯系の出現 円筒埴輪の終焉 

 

小浜 成 が整理した埴輪検討会による今回の編年では、川西宏幸・赤塚次郎、一瀬和夫などの基礎的な研究の成果を基に、それ以降の埴輪研究で明らかになってきたことは、川西が認識していた以上に埴輪には地域差があるということだった。

しかしこれも円筒埴輪編年の大枠を川西らが、明らかにしてきたが故に、微細なものの区別と認識がその基盤の上で明らかになってきたということだ。

古くは近藤義郎・春成秀爾、都出比呂志らの分析視覚の蓄積の上に赤塚次郎・川西宏幸・一瀬和夫、そして埴輪検討会があり、東では埴輪研究会の活動があるということだ。

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さて、『埴輪論叢 4』 の編集後記で、編集者が編年基準の尺度のでたらめさを指摘している。

いわく、旧石器時代・縄文時代・弥生時代・古墳時代・飛鳥時代・・・・・・・・

時代区分の名称も基準も根拠もみな統一性に欠けている・・・・・

たしかに編集者が変だといっているのはその通りなのだなぁ

しかし、

では、それらすべての時代を貫通する、理念や理論を再整理・再構築しようという動きはどうなのか・・・・・というと、まだまだ、対案を出せるようものはなく、暗中模索の域を出ていない・・・・と思うのは、だれしもが認めざるを得ないのではないだろうか。

遺物や遺構は、ことばそのものではないわけだし、遺物の相対的編年が確立したとしても、それを、政治的・文化的用語に逐次翻訳できるだろうか?ということ、またそのようなものなのかをも含めて、基礎になる、妥当性を持つ解釈理論はあるのだろうかと、ちょっと考えてもかなり困難なことはすぐに見えてくる。

憲法や法律の法解釈の理論があり、相変わらず解釈を巡って果てしない論争を引き起こしているように、

もともと基準を提示しないで、またその基準の吟味と、根拠を問いただすことのない論争や政争は、この世界で事欠かない。

暴力の火種をまいた上、自由主義か社会主義か、民主主義か、独裁主義かなんていうのはよくある偽の問題なのだが、ほとんどが、予め作為されたプロパガンダ的論争にこの種の偽課題が極めて多いのは確かである。

一度、時代や空間を、括弧にくくり、(理念的に)解体した上で、共同体や国家、価値、イデオロギーなどを対話可能にするための動的な運動概念として提案して、討議したらと思うときがある。

文学や絵画のような芸術作品の解釈では、テクスト理論が定着してきて、ナショナリズムの主観が、作品の解釈に直接影響するようなことは、目立たなくなってきているのだが。

こと、共同体の表象・象徴や、境界認識の問題となると、まだまだ、「認識を認識の対象化としていない」というか、無意識の価値意識を対象に投影し、押しつけていることがあるものだ。

文学が文学理解のしかたをめぐって、作品とその解釈のテキスト関係と捉えた直したように、物・歴史・出来事もそのようなありかた含んで出来事を再構築していくことが求められているのではないだろうか。

それにしても、5世紀の王墓の比定と、宋書に記される倭の五王との関連を探るつもりで、はや○十年いつまでたっても、私の中で、遺物や、古墳の距離が追いつかない。歴史を文学にするつもりはないが、有限な自らの生に合わせて、一件落着といきたいところなのだが。

古市古墳群と百舌鳥古墳群との間にも埴輪の地域性が、細心の注意を払って語られる時期に至ってきたのは長い共同研究の賜物で喜ばしい限り。さらに九州や、吉備など、王権と関連深い地域でも、古墳時代の解釈の再検討が進むことになるだろう。

 

 つづく

 

 

 

  

 



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