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いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

将棋の電脳戦とコンピュータ・・・将棋は、本来、盤上に場所を借りた人間同士の格闘技です。

2014年05月15日 18時32分49秒 | 日記

 将棋や囲碁をどうとらえるか。
大きく、二つの見方に分かれます。
すなわち、将棋を純然たる理論ゲーム、数理ゲームと見るのか、
あるいは、そうではなくもっと別のもの、具体的には、もっと
人間的なもの、人間的な要素の入ったものと見るのかです。

将棋や囲碁では、常識をはずれたような思わぬ手が決め手にな
ることがよくあります。
詰将棋では、それが非常によく現れます。
すぐ取られる所に飛車を打ち、相手の駒に飛車を取らせる。す
ると、相手の駒が、相手玉の逃げ道を自ら塞いでしまい、相手
玉が逃げられなくなる。
そういうのが、典型的です。
人間の常識の盲点をつくわけです。
そうした思わぬ手が、名手、妙手と呼ばれます。
訓練を積めば、常識の盲点を克服し、名手、妙手を打つことが
できるようになります。

ところが、コンピュータは、前回記したように、すべての手を
克明に読みます。人間から見れば、読む価値のない手、読む意
味のない手も、ひとつひとつ、全部、読みます。
 あらゆる手を、すべて読むのです。
 前回言及した「読む能力」です。
 そうするとどうなるかというと、人間にとって盲点となるよ
うな手も、コンピュータにとっては、ごく当たり前の手、数多
くある手のなかの普通の一手となってしまいます。
 言いかえると、コンピュータには、「盲点」になるような手
は、そもそも、存在しないということになるわけです。

だから、人間にとっては盲点となるような手筋を含んだ詰将棋
は、コンピュータにとっては、得意分野となります。

パソコンに将棋ソフトが出始めたとき、私も、盲点の手筋が入
った詰将棋を将棋ソフトに入力して、解かせてみました。
どのぐらいかかるのかなと思って見ていたら、なかなか、答え
を出しません。1分たち、5分たち、10分たちました。
あれっ?解けないのかな?と思って、よく見てみると、なんと、
すでに答えが表示されていました。
いつ、表示されたんだろう。
そこで、もう一度、同じ詰将棋を入力してみました。
スタート!
あらら、1秒もたたないうちに、答えが表示されてしまいまし
た。
あんまり短い時間で答えが出てしまったため、初めは、見逃し
ていたのです。

人間は、詰将棋で盲点の手があると、そこで、動けなくなって
しまいます。盲点の手が、そもそも、思い浮かばないのです。
それを乗り越えて、正しい手を指すには、発想の転換が必要に
なります。それが、いわゆる「手筋」とか「妙手」と呼ぶもの
です。

ところが、コンピュータは、すべての手を読むので、人間にと
っては盲点と思える手も、ほかの手と同じように、普通に読ん
でしまいます。
だから、詰将棋の盲点、難しい手も、別に、難しい手と認識す
ることなく、ふつうに読んでしまうのです。
だから、詰将棋を、あっけなく解いてしまう。

純然たる理論ゲーム、数理ゲームとして将棋をとらえると、結
局のところ、「読む力」の勝負になります。
「読む力」で勝負すると、人間は、コンピュータになかなか勝
てなくなるかもしれません。

では、将棋を「数理ゲーム」ではなく、もっと人間的なものと
してとらえると、どうなるか。
大山名人は、
「将棋は、盤上に場所を借りた格闘技である」
と述べました。
この言葉は、将棋は、ただのゲームではない。将棋盤の上で、
人間同士が戦うのが将棋なのだーーという意味です。
柔道が畳の上で闘い、ボクシングやレスリングがリングの上で
闘うように、将棋は将棋盤の上で人間同士が闘うものなのだと
いう意味です。

 大山名人は、この言葉を、自ら実践しました。
 強い若手と対局するときは、徹底的にその若手をたたく。完
膚なきまでに勝ち、「ああ、大山名人にはかなわない」と思わせ
る。
 そうすると、やがて、大山名人と対局するときには、委縮し
てしまって、いい手が指せなくなる。いわゆる「手が伸びない」
という状態になります。びびってしまうのです。
実際、大山名人の前に、そうやってしまった棋士はたくさんい
ます。
全盛期にぶつかったのが、二上九段です。二上九段は、名人に
なってもおかしくない素晴らしい棋士でしたが、大山名人と対
戦すると、手が伸びなくなり、どうしても、勝てない。

戦わずして勝つ。
そういう状態です。

将棋をそうやってとらえると、私たちは、プロ棋士の対局に、
人間同士の格闘技を見るわけです。

では、その大山名人がコンピュータと対戦したらどうでしょう。
コンピュータは、2、3局、どんなに大山名人に負けたとして
も、それで萎縮するということはありません。
コンピュータは、将棋を純然たる理論のゲームと見るわけです
から、大山名人に負けたら、プログラムを改修します。プログ
ラムを改修し、よりたくさん、手を読めるようにします。
大山名人が「将棋は格闘技だ」と思って対局しても、コンピュ
ータは何も考えず、ただひたすら、手を読む能力を向上させる
のです。コンピュータが大山名人を前にして、委縮するとか、
びびってしまうということは、絶対にありません。

 大山名人のように「将棋は盤上の格闘技」という考え方は、コ
ンピュータと対戦するときには、成立しないのです。
 まったくかみあわないのです。

 将棋の電脳戦で、プロ棋士がコンピュータと対局するときには、
「将棋は理論ゲーム、数理ゲーム」として、対局しています。コ
ンピュータはもともとそうですが、人間側もその考えに乗って対
局するわけです。
 電脳戦は、「盤上の格闘技」ではないのです。

私は、将棋や囲碁は盤上に場所を借りた格闘技――と考えたい
と思います。





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