呪いの時代 | |
内田樹 | |
新潮社 |
「う~ん」と唸ったあと、私ひとりで味わうのはもったいないので、妻に読んであげた。
内田樹『呪いの時代』の中の一文である。
結婚が必要とするのは、「他者と共生する力」です。よく理解もできないし、共感もできない他人と、それにもかかわらず生活を共にし、支え合い、慰め合うことができる、その能力は人間が共同体を営んでゆくときの基礎的な能力に通じていると僕は思います。
日本社会の深刻な問題は、他者との共生能力が劣化していることです。
「うん、うん、そのとおりだ」と頷く私は、かいつまんで言ってしまうとこれだけでいいのだとも思うのだが、内田さんが更に説明を加えてくれているので、ついでにそっちも紹介してしまおう。
社会人としての成熟の指標のひとつは他者と共生できる能力、他者と協働できる能力です。
この能力を開発する上で結婚というのはきわめてすぐれた制度だと僕は思います。とりわけ、配偶者が示す自分には理解できないさまざまな言動の背後に、「主観的に合理的で首尾一貫した秩序」があることを予測し、それを推論するためには、想像力を駆使し、自分のそれとは違う論理の回路をトレースする能力を結婚は要求します。
「あ、こういう表現好きだなあ」と感心しつつ次へ進む。
もちろん、配偶者を「まったくランダムに思考し、思いつきで行動している人」と思いなすこともできないわけではありません。
おっと恐ろしいことを口走ってしまった。他人の文章を読み上げるという形式をとっているとはいえ、恐ろしすぎるので、この部分少し早口に。
でも、現実にはそんな人間は存在しません。
おお、良かった。そう、(断じて)「存在しません」(キリッ)。
あらゆる人間の行動は、「主観的には首尾一貫したロジック」によって貫かれているのです。ですから、配偶者のうちなるこの「ロジック」をおのれの全知全能を尽くして見出そうという努力が結婚生活において最優先の仕事になります。
名文です(考えようによってはこっちのほうがスゴイことを言っているが)。
この仕事が開発する能力は単に結婚生活を支援するにとどまらず、きわめて汎用性の高いものです。というのは、一見するとランダムに生起する事象の背後に反復する定常的な「パターン」の発見こそ、知性のもっとも始原的な形式だからです。
(『第5章「婚活」と他者との共生』より、P.120~121)
近ごろ我が家では、結婚を目前にした若者と話しをすることが度々あり、ちょうどこの前の日は前の日で、そんな若いカップルと今後のことなどを話し合ったところだった。
だからということもあるだろうが、私がかねがね思っていたことが次の日に読み始めたこの本から現れたとき、思わず、堰を切ったようにある種の感情があふれ出したのである。
色々あらあな、イロイロと。
でも、そのイロイロを経験することが、そして乗り越えることが、いっちょ前の男であり女でありを形づくってくれるのだ。
なぜならそれは、
よく理解もできないし、共感もできない他人と、それにもかかわらず生活を共にし、支え合い、慰め合うことができる、その能力は人間が共同体を営んでゆくときの基礎的な能力に通じている
からなのだよと、相変わらずの受け売りながら、そう思う。
内はまだ、若い二人のお話はありませんが、
そのうちにあることでしょう。
この文章を読んだとき、私たちの来し方に想いを馳せ、私は危うく落ちかけました。