おおよそ35年ほど前の話である。といっても、そんなに大それた話ではない。
18歳の私は、とある先輩にご馳走になったお礼にと、次の機会がおとずれた際、そこの支払いをもとうとした。
そのとき先輩曰く、
「その気持ちはありがたい。しかし、アナタに返そうとする気持ちがあれば、それはオレに直接ではなく、アナタの後輩に対してしてやれ。それが世の中の順番というものだ」
今思ってみればその先輩が説いたのは、「贈与と返礼のサイクル」(内田樹)である。
どこか世の中斜に構えて見る、ひねた若者だった私だが、この言葉は素直に響いた。以来、私の行動指針になっている、といったらやや大げさに過ぎるかもしれないが、大いなる影響を与えたのは間違いがない。
奢った奢られたという話では、もちろんない。
技術の伝達について考えているのである。
ひとりで育ったような大きな顔をしていても、「技術を身につける」ということが、たった一人で出来得ることがあろうはずもない。そりゃあ、その人それぞれで、「目で見て盗んだ」とか「他人が見えないところで努力を重ねた」とか、様々な労苦の果てに、ある一定水準以上になったというようなことはあるだろう。
しかし、そのなかには他者との関わりが必ずあったはずなのだ。
誰かしらから「贈与」を受けたことによって、技術は向上していく。そしてそれは、直接的に「教えた教えられた」という意味だけではない。
であればその技術は、誰かしらかに「返礼」しなくてはいけないという性格のものなのである。
私はそういうふうに思っている。
それがたとえ「勘違い」であったとしても、私は私をいつのまにか、「技術を伝達する使命をもった者」だと思い込んでしまった。
そんな大それたレベルでの話ではない。「私と私の環境」での話である。
だから、これからは、もっと多くの人に勘違いさせなければいけない。そのためにはどうしたら良いのだろうか、などなど。
とある現場に立って作業を見ながら、つらつらとそんなことを考えていた。
(安全管理の上では、現場でこんな妄想を働かせるオジさんは失格なのだな、うん)
「私は私と私の環境である。そしてもしこの環境を救えないなら私も救えない」(オルテガ・イ・ガセット)
こんな言葉を口にするのも、ある意味「勘違い」、ではあるがね。