自己満足的電脳空間

完全自己満足主義。テーマはない。自分の趣味・関心事を偏った嗜好と思考でダラダラと書き綴る自分のための忘備録。

イビツで異常で規格外な形状の球場

2017-10-18 00:05:00 | ユニフォーム・球場考察
前日、NPBでは几帳面な日本人らしく球場の形状は左右対称(シンメトリー)であるということについて言及したので、今回は左右非対称(アシンメトリー)の球場が乱立するMLBについて。

球場内に丘を作ったり(HOU本拠地「ミニッツ・メイド・パーク」、CIN旧本拠地「クロスリー・フィールド」)、フィールド内にフラッグ・ポールを設置したり(DET旧本拠地「タイガー・スタジアム」、HOU本拠地「ミニッツ・メイド・パーク」)とNPBの球場を見慣れた日本人には理解不能な設計もあるMLBの球場だが、球場の形状もかなり大雑把、よく言えば個性的である。

2008年3月29日に開催されたドジャースのロサンゼルス移転50周年記念ゲーム(オープン戦)ドジャースVSレッドソックスを旧本拠地の「ロサンゼルス・メモリアル・コロシアム」で開催。(米国スポーツ史上最多、そして世界の野球史上も最多となる11万5300人の観客を動員)そのレイアウトがメチャクチャ!もうアシンメトリーとかいうレベルを超えた形状だった。

レフトが異様に狭い!左翼手の守備位置はもうほとんど内野!なのにライトは異様に広い!



「ロサンゼルス・メモリアル・コロシアム」はブルックリンから移転したドジャースが、1958年から1962年のドジャー・スタジアム完成までの4年間使用した伝説の楕円型球場。元々陸上競技場だったロサンゼルス・メモリアル・コロシアムを無理やり野球用に使用したため、異型なレイアウトになる…。よく、こんなレイアウトでゴーサインが出たもんだ…。日本なら絶対NGだと思われるが…。

当時の野球場としての規模は下記の通り。
左翼 - 251.6 ft(約76.7 m)
左中間 - 320 ft(約97.5 m)
中堅 - 420 ft(約128.0 m)
右中間 - 380 ft(約115.8 m)
右翼 - 300 ft(約91.4 m)
バックネット - 66 ft(約20.1 m)


ちなみに1959年の試合の映像。内野のすぐ後ろに見えるレフトスタンドと、遥か遠くで守っているセンターとライトの守備位置がむちゃくちゃ過ぎて、このザックリ感にMLBの奥深さを感じさせてくれる。



1959年ワールドシリーズ CHW@LAD]上記オープン戦開催時より、ややレフトは奥行きがあるがそれでも狭い…


10:59辺りから「ロサンゼルス・メモリアル・コロシアム」登場


いびつだ…(苦笑)しかし、これなら1959年のワールドシリーズで9万人以上の観客が入ったことも納得行く。

ロサンゼルス・メモリアル・コロシアムが野球場として使用された時の上面図


レフトに打てば即ホームラン、右は果てしなく遠いというトンでもない変形態だった訳だが、これで4年間も試合をしたというから驚きである。ネット上でも「左に打てば楽々ホームラン、右に打ったらランニングホームラン」との突っ込みがあるが、確かにその通りだと思う。本塁打対策として高さ40フィート(約12m)のスクリーンを立てたが、ちょっとした飛球でもこれに当たって跳ね返り、単打になるのでドジャースのジム・ギリアムなどスイッチヒッターはこれを狙って右投手に対してもしばしば右打席に入るほどであった。

#19 ジム・ギリアム








もう一つ、超異型・変形球場として名高い?のが、ニューヨークにあった「ポロ・グラウンズ」

ニューヨーク・ジャイアンツが開場した1891年~1957年から本拠地として使用、他にもニューヨーク・ヤンキースが1913年~1922年まで、ニューヨーク・メッツが1962年~1963年まで本拠地として使用した球場である。

超異型というか変態的なレイアウトがこれ…









サッカーやアメフトの方が明らかに適しているだろうと思われるグラウンドの形状である

球場規模は下記の通り
左翼 - 279 ft (約85.0 m)
左中間 - 455 ft (約138.7 m)
中堅 - 483 ft (約147.2 m)
右中間 - 449 ft (約136.9 m)
右翼 - 257.67 ft (約78.5 m)
バックネット - 65 ft (約19.8 m)
※球場の形状は常に一定ではないため上記数字は1923年の球場規模。1911年当時の形状はこちらを参照。

形は馬蹄型。そのため両翼が極端に狭く(左翼85m、右翼78.5m)、その代わり中堅が恐ろしく広い(最大時153.9m ウィリー・メイズの「ザ・キャッチ」時は147m)。おまけに2階スタンドがフィールドにせり出しており、(下記写真)本塁からせり出している2階スタンドまでは左翼で76.2m、右翼で75.9mしかなかった。そのため外野手が楽々とれるフライでも高く上がればせり出している2階席に入りホームランとなることがあった。


ウィリー・メイズの「ザ・キャッチ」!(1954年9月29日 ワールドシリーズ第1戦 CLE@NYG)


逆に極端に広いセンターのブリーチャー(外野席)へは、たった3人(ジョー・アドコック、ルー・ブロック、ハンク・アーロン)しかホームランを打っていない。って、打った人いるんだ! しかし、これならオーバフェンスしなくてもセンターオーバーならランニングホームランになりそうだ…。


1923年、スタンドの増築を開始時。レフトのポールまでは85m(279フィート)。


1954年のワールドシリーズ第2戦。ライトのポールまでは僅か79m(258フィート)であった。

ここで60年以上も野球が開催されていたことがスゴイ…。

ポロ・グラウンズの伝説はこちら

※他にユニフォームのこともゴチャゴチャ言ってます(笑)