トドクロちゃんと山登り

自然が好きで日本アルプスと近郊の山登り。
高山植物や四季折々の花を愛で。
史跡・歴史・ドライブがすきな自由人です。

大鹿村のヒマラヤの青いケシと歴史探訪

2016年06月21日 | データ
■2016.06.19 以前から気になっていた「青いケシ」を見るために大鹿村へロングドライブへ出かける。
事前にネットで情報をググリ、青いケシだけでなく軽い山登りや古の足跡も追って見ようと思う。

高速→下道→高速と走り8時過ぎに小渋ダムを抜け大鹿村に到着。
大鹿村の鹿塩地区からは狭い山道となりくねくねと上がって行く。
今日は大鹿村の一斉清掃のようで住民の方々が草刈りをして道路脇を整備していた。

標高1500mの中村農園には9時頃到着。
入場料500円を払いさっそく見学へ。

・ヒマラヤの青いケシ(メコノプシス・グランディス)
ヒマラヤの高山地帯に咲くこの花は「天上の妖精」と称えられる。

メコノプシス属自体は西ヨーロッパ、中央アジア、ヒマラヤ、ミャンマー北部及び中国横断山脈にも隔離分布するがこのグランディスはヒマラヤにしか咲いていない。

透き通るような青い花で妖艶ですね。

そして奥茶臼岳をバックに(中央の三角ピーク)
他の花も咲いていますが主役はヒマラヤの青いケシです。

1時間ほど見学、次に軽く山歩きをすべく更に林道を上がる。
林道の最高点近くから黒川牧場の中を抜け登山口まで行く道が悪路(ダート)で大変。
何とか到着。
登山口にはこれまでの悪路に反して駐車場が整備してある。
ここの標高は2016m。

雲が多くなり始め様子見のため少し上がって見る。
奥が二児山です。

やっぱり天候は下り坂で雲が多くなる。
・天空の池

中央アルプスは何とか見えるが、山歩きは止めて次なる目的地へ。

・伝説の大池

そして「クリンソウ(九輪草)」

群生しています。

・他に本日出会った花達(中村農園+伝説の大池)

そして雨が降り出した中、鹿塩地区まで降りてきて塩の里直売所で買い物と食事をする。
「山菜そば」と「とうふ定食」意外といけます。

一息ついた後は歴史探訪へ。
葦原神社→福徳寺→信濃宮→宝篋印塔→御所平→赤石荘(温泉)

・葦原神社

この大鹿村鹿塩梨原にある葦原神社は明治の神社合併時によるものだが、それ以前は本諏訪社と呼ばれていた。祭神は建御名方神で建御雷神との力くらべに負けて出雲から洲羽(諏訪)に逃げる際に一時的に滞在していたとする説がある。
また鹿塩の塩泉は建御名方神が鹿狩りをしているときに発見したという伝説や、御頭郷の最上位の席は鹿塩であったことなどいくつかの傍証となる事実があるそうです。
地元の伝承では御柱祭の元祖は『葦原神社』の御柱祭と伝えられています。
立ったばかりの御柱1本。(詳しくはググってね)

地区を移動し大河原方面へ。

・福徳寺

・国重要文化財「福徳寺本堂」
ここは南北朝時代「宗良親王」大河原ご在住の折りは天台仏教修法の道場であったという。

・信濃宮
南北朝時代に南朝方の宗良親王が奉られている。
(昭和十五年皇紀二千六百年を迎え、信濃宮神社造営)


この宗良親王とは
後醍醐天皇の皇子。ここ(現大鹿村)では豪族香坂高宗に庇護され、以後30余年に渡って信濃宮方(南朝)の本拠地となった。比叡山延暦寺に入り天台座主となるが父の討幕運動にしたがい、建武の新政の失敗後は還俗。そして南朝の征夷大将軍として、信濃を中心に各地を転戦した。
しかし戦に負け衰退を極める事となり南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に三種の神器を渡し、南北朝が合体した(明徳の和約)。晩年に「新葉和歌集」を撰した。

異母兄弟に義良親王(後村上天皇)がおり、1338年(延元3年)親王が東国に渡る途中、嵐で篠島に
漂着され、この島にしばらく滞在されたときに掘られた井戸が帝井である。

・宝篋印塔
石質は多孔性安山岩で通称伊豆石、室町時代初期の建立。伝承によると地元では九輪之塔とよび、宗良親王の墓標塔として祭っていました。

塔身には四面に四種の梵字があり、蓋上部四隅には馬耳型突起がみられます。室町時代初期の姿を示し、宗良親王の大河原薨去説を裏付ける貴重な史跡です。この塔の苔を煎じて服用すれば、おこり病にかからないと語り伝えられています。


これでもか?と言うくらい細い林道を行く
天気が良ければ赤石岳が見える筈なのだか。

とどん詰まりに

・御所平
南北朝時代・興国五年(1344)に、宗良親王が入村され香坂高宗の守護のもと古い開墾地のこの土地を安住の地とした。


まとめると。(宗良親王とは)
1)後醍醐天皇の皇子。
2)比叡山延暦寺の天台座主。
3)征夷大将軍。
4)歌人。

親王が歌ったものを・・・・

信濃国大川原と申し侍りける深山の中に、心うつくしう庵一二ばかりしてすみ侍りける。谷あひの空もいくほどならぬに、月をみてよみ侍りし
(李花集から)
いづかたも山の端ちかき柴の戸は月見る空やすくなかるらむ
【釈】どちらの方角も山の稜線が迫っている庵からは、月を眺めようにも、空が少ししか見えないだろうなあ

(李花集から)
われを世にありやととはば信濃なるいなとこたへよ嶺の松風
【釈】もし誰かが私のことをまだ生きているのかと尋ねたら、信濃の伊那という所で……否々、もはやこの世を去ったと答えてくれ、峰の松風よ。

(新葉和歌集から)
君がため世のため何か惜しからむ捨ててかひある命なりせば
【釈】君の御為、世の人々の為、何を惜しむことがあろう。捨てて甲斐のある命であったなら。

参考→千人万首

この地で歌ったのか。
・・・古へ思いを馳せる。


〆は温泉です。
・赤石温泉


リニア中央新幹線の工事が本格化すると
大鹿村では一日最大1736台の工事用車両が通過する

・・・・・大鹿村が遠くなる。

宗良親王は何を思うか?

過去の大鹿村
2009.10 塩見岳
2011.07 山に行かない平日の休日の過ごし方
2013.07 小河内岳、塩見岳、蝙蝠岳、仙塩尾根縦走
2013.10 塩見岳の登山口、鳥倉林道の紅葉(大鹿村)

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