池田湖通信

指宿市池田湖から鳥見人の写真エッセイ

85「白砂青松」2

2011年05月30日 | Weblog
2回目のテーマです。池田湖はカルデラ湖で周囲葉急峻な崖に取り囲まれている部分が3分の2くらいで砂浜があるのは少しだけです。3分の1の砂浜も灌漑用水の水源地と指宿市の宅地造成用の護岸が取り巻いていて、渇水期に砂浜が見えるのは、300mくらいしかない。「白砂青松」1で書いたように、砂浜(特に汀)は池田湖水の浄化に欠かせない微生物の住処である。池田湖の水をきれいにしてくれる生き物たちの住処なのです。わずかに松林が残っている私が10歳頃は幼木だった松が現在は大人の胴回りくらいに生長している。前回84号でお示しした図を参照していただきたいが、10mくらい砂浜があるが、ここもいきなり深くなっている。それでも成長した松と白い砂浜が作り出す風景は車から眺めても心が落ち着く日本の湖岸、海岸の原風景となっていて「いいなー」と思っていたのです。
ところが今年に入って、ここにブルドーザーが入ってきた。看板が出て、曰く「公園作成」とある。草をはがし、松の根方の土を削り始めた。ところが写真の用に2本の木が倒れてしまった。ダンプカーで土を入れて、土盛りを作り土管を埋めて歩道のような物を造ろうとしている。だけれども斜面だから即座に土は湖へと流れ込んでいる。

指宿市毎年「菜の花マラソン」「ウオークラリー」という物をやっていて、ここはそのコースとなっている。私の想像だけど、コース作りだと思われる。私はよく静岡県沼津の「千本松原」に行っていたが、ここの遊歩道は樹木を傷つけないように遊歩道を木を避けて
造ってある。造ってある訳ではなく人が通る「獣道」の風情である。それが普通の考え方であるでしょう。樹木という何百年の寿命を持つ生き物に対する人の礼儀というものでしょう。
また池田湖周辺の住民はほとんどが農民である。農民は「公園」に行かないのです。毎日の職場が「公園」のようなものですから行く必要がないのです。
先日、入手したてのカヤックで湖上から岸辺を眺めてみました。無惨な風景が広がっていました。ついたてのように護岸で固められた湖岸が見えるばかりです。子供の頃、近所の大人に連れて行ってもらった、早朝の延縄しかけをあげたときの喜びが昨日のようによみがえってきました。スッポンがかかっていると湖底まで見える気がしました。スッポンの白いおなかがひらひら動きながら徐々に船べりまであがってくる感じ、大きなウナギがぐるぐる巻きに糸に巻き付いてあがってくる。わくわく」する感覚。まだ私の手はその感じを記憶しています。
子供心にもいい池だ!と思ったものです。
私は東京で長く働いていました。池田湖の湖岸を歩くと、富士5湖の湖岸ではないかと錯覚するときがあります。現在では富士5湖なども昔の湖岸に戻そうという感覚があるのではないでしょうか?海では内のだから、頑丈な湖岸を自然破壊をしてまで造る必要は無いと私は思います。ただ土建業者の懐を肥やすために真っ白な砂浜をつぶし、松を切り倒し、湖水を浄化する植物を引っこ抜きコンクリートで固める。観光客が革靴やハイヒールで5m上から水を見下ろす。その水たるやだんだん都市近郊の湖に近づいてあるいは既に追い越して汚れた水となっていく。
上から眺めるだけで足を浸すこともかなわぬ湖水。いい加減にしてくれ。
私はこの結末を見届けようと思います。