池田湖通信

指宿市池田湖から鳥見人の写真エッセイ

76号「モンキアゲハ」

2010年08月29日 | Weblog
建て付けが悪くなった網戸をすべて取り払いました。これが2年前の夏。その後春・夏・秋の昼間私が家にいるときは、家と外は誰でも自由に通行できる状態であります。

普通の家は壁の部分が我が家はサッシになっています。おそらく大工が手間を省いてアルミサッシにしてしまったのだろうと想像しているのですが、サッシの外に薄いベニヤ板の雨戸がありますが、普段雨戸を閉めたことがないので、サッシを明けると家の中と外が素通し状態となります。
こんな状態にしている人は多いと思われますが、我が家が他の人と少々違うのではないかと思っているのは家の周りが伸び放題の樹木と草に取り巻かれていると言うことです。
私のずぼらな性格からそのようになってしまったのですが、普通の人なら草刈りをしたり掃除したりして、いわゆる人間の棲まいらしくするのでしょうが、そこがずぼらのずぼらたるゆえん。(ずぼらとは標準語?)

夏は夜。付きの頃はさらなり。と昔の人がエッセイに書いているように、夜が素敵になる。18:00頃になると昼間は30℃でも少し過ごしやすくなる。眼前のイヌガヤにキジバトのつがいが帰ってくる。さらに池田湖との関係で凪いでいた風が吹き始める。ヒグラシが2匹くらい鳴き始める。清少納言は夏は夜。と書いているけれど、私は今風に言うなら、「夜の始まる頃」しかしこの言葉、NHKの天気予報が使い始めたと思うけれど、情緒がない。昔で言えば「逢魔が時」です。この方がいいよ。この時分。私は電灯をつけずに過ごしている。先日は樫の木で、アオバズクが鳴いてkれた。この鳥は巨木がないと来てくれない鳥だから山の中の我らの村でもそんなに聞けるわけではない。

やがてあたりはすっかり暗くなり、「逢魔が時」の魔物さえ見えなくなる時分、空だけが白さを残している時間になると、地面にいる飛行する虫達が一斉に白い空を目指して飛び立つ。電灯をつけるとだんだん暗くなる空より明るい電灯の灯りに集まることになります。我が家で一番多いのがカナブンの仲間(昨年よりすくないけれど)で、次が蛾の仲間、すっかり暗くなると、鳴く虫の合唱が始まる。大音声はクツワムシ、先日は夜中に枕元でこいつに鳴かれて目覚めてしまった。心地良いのはマツムシだけれどこいつは数が少ない。ウマオイも悪くない。この虫の声を聞くと私は秋が来たな、と思う。未明にはアカショウビンの声も聞ける。

昼間もいいのです。子育てが終わったカイツブリが、ケレケレケレと鳴き、今年はどうしたのか数が少ないけれど、キリギリス、セミでは今はツクツクホウシ、家の中と外を行き来するのはトンボ達、近年は池田湖のオニヤンマがめっきり少なくなったけれど、この原因は外来魚のジルテラピアの数が増えるのと反比例して数を減らしていると思っているのだが、生まれたばかりのヤゴをこの魚が食べてしまうのではないか。
そして皆さん私は今でも心ときめくことがありますか、私は、玉虫♂を見つけたとき、オニヤンマ・ギンヤンマが家に入って来たとき、そして、ブーンと一段と低音の羽音を響かせてカブトムシが夜入ってきたとき。昼間ニホンアナグマが我が家に通じている獣道を通ってひょっこり顔を出してくれたとき、です。黒い大きな蝶がふらふら飛び込んできたとき。です。