池田湖通信

指宿市池田湖から鳥見人の写真エッセイ

59号「ざ・ですとろいやー」

2010年02月24日 | Weblog
本日は早朝からアカハラ、ホオジロのさえずりが聞こえる。午前10時頃、隣人が「カワセミが巣穴を掘っている」と知らせてくれた。家の樫の木にはハシボソガラスが今年も産卵したらしく、上空を飛ぶ鳶にスクランブルをしている。鳶は鳶で交尾鳴きをしている。今年も野鳥達が繁殖期を迎えたのです。

現在の気温、22℃。このあたりでは20℃を超える気温になると蚊が現れる。野鳥観察者にとってはかゆい季節を迎えたということでもある。ウグイスの初鳴きがあったのが2月17日。それから2日ばかり寒ののもどりがあってウグイスのさえずりは聞こえなくて、その後は聞けたけれど本日はまた聞こえない。昨日午後3時ころ指宿市街を歩いたらシジュウカラがせわしなく鳴いて巣穴探しをしていた。タチツボスミレ、ナズナ、オオイヌノフグリ、ツクシも裂いていました。

冬鳥のジョウビタキはまだ見かけるが、そろそろ冬鳥と別れる季節でもある。

今号の鳥も先号と同じホシハジロです。この個体は東京上野不忍池で1999年に写しました。ホシハジロです。先号の写真は♀ですがこの鳥は♂だと思われます。突然変異で羽毛が色変わりした個体だと思われますが、数年続けて現れて鳥好き達を喜ばせた個体でした。不忍池は身近でカモが見られる絶好のポイントで下駄履きでも缶ビール片手でも探鳥ができる、鳥好きにはたまらない場所ですが、当時不忍池で鳥見をしていた人々の間でだれいうともなくこの鳥をデストロイヤーと呼んでいました。「四の字固め」のあの人に似ていると誰かがいいだしたのでしょう。不忍池は珍鳥も現れるところでした。アカツクシガモ、アカハジロ♀、当時ゴリラ頭と呼んでいた、クビワキンクロなど私が初めて出会った野鳥もたくさんいました。

大都会の真ん中にあれだけの野鳥の天国がいつまでも変わらずあり続けることを私は心から願い続けています。


58号「ホシハジロ」海ガモ

2010年02月10日 | Weblog
前に書いた淡水ガモ、「オカヨシガモ」に対して今回は海ガモ「ホシハジロ」です。池田湖には相当渡ってくるものと思われるが、私が湖岸から見える範囲にはホシハジロは少ない。

ここまで書いてこの私のブログですが、題名だけ書いて二日ほどほおって置いたのだけれどそれでも140名ほど見てくれていました。ありがとう。私も文才に欠けるのだけれど、少し真剣に書かねばいけないなーと反省しました。

この写真ではわかりませんが、このカモは海ガモです。海ガモは日本では17種類が記録されているそうです。海ガモと淡水ガモの区別は水面に浮かんでいるときしっぽの先が上を向いているかそれとも下を向いているかで区別します。東京湾に無数とも言えるほどたくさんいたスズガモも海ガモです。海ガモは潜水が上手です。対して淡水ガモは潜りません。淡水ガモの代表はしっぽがわかりやすいのでオナガガモあたりでしょうか。だけど雛のうち、(飛べないうち)は潜ることもできます。私は天敵から逃げるためだろうと考えています。

ホシハジロの餌は海苔や水草だそうです。私はホシハジロが池田湖にたくさん渡来することを期待を込めて待っています。たくさん来てくれるということは藻が復活した証左だろうと思うからです。池田湖は内水面(水の出入り口の無い)ですが数十年にわたり澱粉工場が岸辺にあって、排水を垂れ流しにしていました。

鹿児島はサツマイモの産地です。鹿児島では「唐芋」と呼んでいます。これを原料にして澱粉を作るのです。その工場がありました。経営者はほぼ全員地元の人なんですが、私に言わせれば「デリカシーに欠ける」人たちで排水を池田湖に垂れ流してきたのです。数十年も。それを野放しにしていた地元住民にも問題ありますが。たった一軒残っていた工場が一昨年創業を止めました。しかし湖底にはおびただしいヘドロが堆積しているでしょう、本来なら工場経営者がヘドロをきれいにさらうべきなのでしょうが、ともかく創業は止めました。岸辺から見ても水草が見えるようになりました。藻や水草が生えてくると水が浄化されます。野鳥達の餌も増える。生息する魚類の産卵場所や稚魚のゆりかごにもなるでしょう。湖底のヘドロが消滅するには気の遠くなるような歳月が必要でしょうが、池田湖汚染原因の一つは無くなりました。

このまま昔のように澄んだ湖水をまんまんとたたえた湖になってほしいと心から願っています。


57号「イソシギ」磯鷸

2010年02月10日 | Weblog
チドリ目、シギ科の鳥。普通単独で生活している。池田湖では一年を通して観察できる。池田湖の汀でも見られるが、岸辺から割合離れたところでも見ることができる。肩の白い切れ込みが特徴なので見分けるのは難しくない。図鑑を見ると、水面を泳ぐこともある。と記載されているが、私は泳いでいるところはまだ見たことがない。しかし水中に潜ったところは谷津干潟で観察した。幅およそ6㍍ばかりの澪を飛び越えないで潜って渡ったところを見た。大きさは山の鳥、ヒヨドリを少し縮めたような大きさだが、水辺に生息する鳥達の特徴として体(羽毛)がしまっている感じなので、体型が、がっちりしているように見える。水辺に住んでいれば、水に入ることも多いので水辺の鳥は一体に足が長く嘴も長いものが多い。山の鳥スズメなどと比較すれば違いが鮮明だ。
しかしこの鳥が水中に潜る光景が初めてだったので、谷津干潟で見たときは、一瞬、「カワガラス」?と思った。カワガラスが海にいるわけはない。と思い、澪の向こう岸に出てきたところをよく観察したら、イソシギだとわかった。

このようなことがあるので、鳥はテレビ画面で見るのも楽しいけれどやっぱり野外で直に見た方が良いのだ、楽しいのだ、とこのとき再確認したのでした。

56号「白砂青松」

2010年02月07日 | Weblog
現在の池田湖岸辺です。これはコンクリート護岸に取り囲まれた池田湖のわずかに残った昔ながらの景色です。だいぶ前の話ですが、池田湖のある指宿市で海岸を白砂青松の昔ながらの風景を取り戻そうという運動があった。60年前は内陸の池田湖をはじめ錦江湾などすべての海岸に白砂青松の景色がありました。文部省唱歌「我は海の子」の歌詞の風景が見られたのです。その風景を取り戻そうというのである。良いんじゃないの。と私は思いました。池田湖を湖上から眺めるとさながら大きなラーメンどんぶりの内側から眺めたような風に見えます。昔(40年くらい前)は砂浜が見え、次に草むらそして松林がありその奥に人家があったのです。これが池田湖湖岸の風景でした。

2月5日新聞報道で熊本県球磨川中流にある荒瀬ダムが撤去されることになったことが報じられました。1955年に発電専用として作られたが、当時熊本県内の電気総需要量16%を供給していたが現在は1%に満たなくなった。またこの間ダム湖には汚泥がたまり、悪臭や赤潮などが目立ち、アユなどの魚の遡上も妨げているといる。これで撤去することにしたという。

当然でしょう。池田湖は近年ウナギを見かけなくなった。池田湖の護岸を固めて、貯水量を増やし南薩畑かん事業の水源にしたことで、海とのつながりが途切れて鰻の稚魚が池田湖へ遡上できなくなったのではないだろうか?と私は想像しているのだが、どうでしょう。南薩畑かん事業は巨額の国費を投じて建設されたものです。それで周辺の農家は水不足から解放され多大な恩恵を受けていると思われるけれど、大変残念だったのは池田湖に生息する生き物のことを配慮した工事をしておけばよかったと思う。ヨーロッパでは「自然工法」という生き物が住める、生きられる、工事の仕方で川や海岸工事を行ってる。

我が国も150年遅れながら漸く世界標準の民主主義を追求する政権が発足した。曰く「コンクリートから人へ」である。白砂青松を破壊した人々が同じ口で白砂青松の復活を唱えていることが私には大変気がかりだけれど、現政権もすべてのコンクリートがダメと言っているわけではないらしいから海岸護岸や池田湖の護岸をやり直すなら、是非ヨーロッパの「自然工法」を取り入れて生物多様性に合致した工事をやってほしいと思う。