もののはじめblog

コメント歓迎 ! 
必ずコメントに参ります by iina

陸奥

2013年04月29日 | 歴史街道
の内 ⑥


陸奥むつ出羽でわ奥羽おううつまり現在の東北には、はじめ蝦夷(えぞ、えみし。アイヌを含む)狩猟しゅりょう生活をしていた。
そこに西日本の水稲すいとう農業の耕地化が進み、武力で追われたわけではなく、ただ草獣がいないため東へ東へと移動したのかと思える。やがて、那須国造なすのくにのみやつこなどの農業集団ができあがるころには、ついに奥羽おううにたどり着いた。

七世紀後半、安部比羅夫あべのひらおが軍威を振りかざし北上。耕作して租税を納める者を「田夷でんい」といい、狩猟者を「山夷さんい」として討伐の対象にした。

天平の聖武天皇しょうむてんのうのころ、飢饉や疫病と権力争いが諸国に国分寺を造らせ大仏建立に願いをかけた。鑑真がんじんを唐より招いたのもこの時代だ。
仏は黄金で包まれるが、日本に金は産出しなかった。そこに天平21年(749)陸奥黄金が発見されたという朗報が舞い込んだ。
この瞬間から陸奥は朝廷にとり宝の蔵に変わり、蝦夷との果てしない戦いが何世紀にも亘って繰り広げられることになった。

平安期の桓武天皇は律令体制を推し進めるため、延暦23年(804)征夷大将軍坂上田村麻呂さかのうえたむらまろを派遣し岩手・水沢付近まで行き、まつろわぬ蝦夷の首領阿弖流為アテルイを征伐し、胆沢いさわ城を築き律令国家の北限にした。


- 鬼 -


桃太郎一寸法師で退治されるのは、いつも
鬼が日本に出現するのは古代にさかのぼり、ただ「あしきもの」といわれていた。鬼とは、中国では幽霊を指したものだった。
大和朝廷は、反体制勢力を鬼と呼び蔑視した。とくに東北や九州の勢力等は、鬼と呼ばれ朝廷から武力行使を受けた。
朝廷に従わぬ地方豪族を鬼に想定することで、討伐する大義名分を得た。そして、地方豪族が一掃されるや今度は盗賊等が鬼とされ、鬼は都を跋扈し山に潜んだ。
俗に幽霊が出るという夜中の2時は「丑みつ時うし どき」と呼ばれ、十二支の方角からきている。
即ち、干支の順に12時がねずみ、1時は牛、2時は寅...とふっていくと夜中の2時は丑が最も満ちた時間、つまり丑みつ時となる。
当然、これを方位に置き換えると「艮うしとら=鬼門きもん」ということになる。幽霊の出る時間と鬼の来る方角が一致している。
鬼のスタイルが、牛の角にトラのパンツなのも鬼が入って来る鬼門が丑寅であるから。まさしくオヤジギャグそのもの。

一方、桃太郎に従い鬼を討った3匹の動物は、猿・キジ(鳥)・犬であり、その方角は幸運が来るという西を指しており、方位が丑寅と対になっていて奥が深い。



  ①一条戻橋
  ②1+1
  ③三輪山
  ④四天王
  ⑤五王


コメント (16)    この記事についてブログを書く
« じーーっ | トップ | 姫女苑 »

16 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (らいちゃん)
2013-04-29 05:54:12
数字シリーズの「6」番は「陸奥」でしたか?
よく考えつきましたね。
私は「六波羅蜜寺」を取り上げるのかと思っていました。
東北の歴史には馴染みが薄いです。
数ヶ月前にNHKで「アテルイ伝」というドラマを放映していましたが、初めて聞くカタカナの題名だったので観ませんでした。
今日ご紹介された記事を読むと観ておけばよかったと悔やまれます。
返信する
(らいちゃん) へ (iina)
2013-04-29 09:32:23
すみれは、可憐な花です。宝塚歌劇団を象徴する『すみれの花咲く頃』は歌い易く爽やかな歌ですね。

『火怨・北の英雄 アテルイ伝』(吉川英治文学賞)の原作者は高橋克彦です。大河ドラマ『北条時宗』の作者でもあります。
他にも、『写楽殺人事件』で江戸川乱歩賞を取る等、いい小説を書いています。
氏は、岩手県出身ですから小説の舞台も東北が多いです。
この『火怨』の前の時代を扱った「風の陣」は全5巻もある壮大な物語りになっています。主役は、道嶋嶋足。
日本史上唯一、蝦夷出身でありながら平城京で正四位上にまで出世し、主要国の国司を勤めた人物です。

黄金発見に端を発する奥州動乱から「橘奈良麻呂の乱」が起こります。奈良麻呂を打倒し、天皇を擁して独裁政権を
確立した藤原仲麻呂(恵美押勝)が「恵美押勝の乱」を起こし、自らこのクーデターに失敗します。

次に現れるのが、巨根伝説の弓削道鏡です。孝謙女帝に接近し天皇になろうとした「宇佐八幡宮神託事件」があります。
それを和気清麻呂が阻止し、道鏡も失脚します。

前九年の役・後三年の役を描いた「火怨」の序章につながるこの時代を描いた小説は、はじめてとされています。
完結まで17年を要した小説でしたから、iinaも発表を心待ちにしていたひとりです。

もちろん、NHK「アテルイ伝」を観ました。
いままでの⑤までは、歴史の表舞台からとらえた題材ですが、⑥にいたって裏舞台から見た内容を置きました。
返信する
Unknown (延岡の山歩人K)
2013-04-29 13:49:34
私も(らいちゃん様)6番目の陸奥は予想外でした。

  >聖武天皇のころ、飢饉や疫病と権力争いが諸国に国分寺を造らせ大仏建立に願いをかけた。
  >鑑真がんじんを唐より招いたのもこの時代
そして井上靖の天平の甍=唐招提寺を思い出して興味深く拝見しました。

 >反体制勢力を鬼と呼び蔑視した 
頷けます。

 >桃太郎に従い鬼を討った3匹の動物は、猿・キジ(鳥)・犬であり、その方角は幸運が来るという西を指しており・・・
私は以前この3匹の家来は 犬の勇気、猿の知恵、キジの物事を見極める目
~と言う風に教わった記憶が有ります。
方位にも関係あるとは知りませんでした。


比叡山の岩は何のいわれもないと思いますが・・・
斜めになっているところから無理すれば「イルカ」に似ている~
そんなのイルカ(言われる前に)

リンクの「クジラ岩」も「尾道の千光寺」
以前にiinaさま宅で拝見していました。
いずれも何度拝見してもすごいですが、クジラ岩は本当に実在するのでしょうか?
千光寺の巨石群は是非一度参拝して実際お目にかかりたいものです。



返信する
エミシ (稲用)
2013-04-29 15:09:54
私のブログへのコメントありがとうございます。
linaさんもエミシに興味があるんですね。
私は祖父が青森県人で妻が岩手県人なのでエミシに親近感を抱いています。
アテルイは岩手のスーパーヒーローですね。
返信する
どもっ (くろ)
2013-04-29 22:01:28
TB、ありがとうございます。
このブログ、初めて拝見させていただきました。
歴史と神社仏閣が好きなんで、興味深く見させてもらいました。
富山にいらしたことがあるんですね。魚津在住の私より、富山に詳しくてびっくり。
返信する
コメントに ひとこと みこと (iina)
2013-04-30 09:24:25
(延岡の山歩人K) さん へ
大崩の辻とは、 荒木又右衛門の鍵屋の辻のように仇討でもあったのでしょうか。あるいは、襲われた方が大崩れ
して退散したのか、はたまた富士山の大崩れかと取りとめのない妄想にふりまわされました。
とは申せど「クジラ岩」は存在します。あの手の画像は本物です。笑撃そのものが嘘っぽいですから迷わせました。m(_ _)m

空は青く、どこまでも突き抜け、景色もどこまでも広いです。絶好のロケーションですね。
こんな広大な地は、阿蘇連峰と草津の白根山と立山の雄山ほどしかイメージが湧きません。明日がたのしみです。

そうでした、iina宅でも明日5月1日にKさんご所望の笑撃を[配信]します。[背信]にならぬよう、気をつかいました。




(稲用) さん へ
高橋克彦著の小説が興味深かったです。
前九年の役・後三年の役を描いた「火怨」と前の時代を扱った「風の陣」(全5巻)が面白いです。「風の陣」は、
道嶋を主人公にしていますが、蝦夷ではなかったのですか。
もっとも小説ですから、史実のよく分からないところは、想像力と筆の力で展開します。

前九年と後三年を掛算したとしても27年ですから、それより長い「三十八年戦争」も惹かれます。

昨年、平泉の中尊寺-毛越寺を観光して鳴子温泉につかってきました。
帰って気づきましたが、平泉の直ぐ北に水沢があって胆沢城跡があるのを知りました。残念。




(くろ)さん へ
田村麻呂は政府の命令に従う正義であり、迎えるアテルイも自分たちを防衛する正義です。正義と正義が闘う
理不尽というべきか不条理というものが歴史なのかも知れません。あゝ無常、レ・ミゼラブル。
そのように視点に立つと、鬼も可愛いではありませんか。

富山には、5年弱赴任してましたから、その間にずいぶんと彼方此方を観光というか生活しました。それをブログ
にも「富山(44)」として扱っています。はい、蜃気楼も見ました。 ↓
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/97c69969cf9ab7545c886df738492eeb
返信する
 (オジンガーZeit)
2013-05-01 18:20:35
ども遠いところから私のブログへお越し下さってありがとうございます。トラックバックというシステムがどういうものかよく理解できないのですが、それはさておき、鬼などの民俗的テーマや古代史にお詳しいようですが、一つコメントをさせて貰えば、私も一時期は梅原猛を熱心に読みましたが、彼ははあまりにも想像の翼を自由に広げすぎて、考古学や古代史の研究成果を無視しているようで、現在はなんだかなあという思いです。年齢的にも新しい研究成果を取り入れがたいのかもしれませんが、昔ながらの縄文人=侵略された人、弥生人=侵略者という構図は古くさいと思います。それでは日本人の心の原風景に縄文時代からの文化が根付いていることや、日本各地に残っている文化の多様性を説明できないように思えます。
返信する
(オジンガーZeit)さん へ (iina)
2013-05-02 09:26:11
>昔ながらの縄文人=侵略された人、弥生人=侵略者という構図は古くさい
此処では、「武力で追われたわけではなく、ただ草獣がいないため東へ東へと移動した」と、解釈しています。
梅原猛は、「③三輪山」で「神々の流竄説」に引用しましたが、惹かれるので引用もしますが、ひとつの説の域を
出ません。そんな立場でいたいと考えています。

縄文遺跡群世界遺産登録推進フォーラムを聴きました。
Zeitさんがこだわる縄文遺跡群は、農耕・牧畜の新石器時代の遺跡とは異なり、温暖湿潤な気候の自然環境の
中で約10,000年もの長期間にわたって日本列島に継続した狩猟・漁撈・採集を主たる生業とする、定住の生活実態
を表す独特の考古学的遺跡群として価値が高いというものでした。↓
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/1e29d0e01ee97efca017e1cab8f64bc6
世界遺産には、先に富士山が登録されることになりそうです。

せっかくブログを利用しているのですから、トラックバックを活用すると愉快かも分かりませんね。
「トラックバックの仕方」を参考にしてお試しください。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/144c738453518054fe1408faca861d7f
返信する
少し訂正します (オジンガーZeit)
2013-05-02 13:44:20
私の言葉が足りなかったようですので少し訂正します。私が批判したのは梅原猛で、あなたを批判したわけではありません。もし、あなたが学者だということなら訂正はしませんが、プロフィールを見る限りそうではないようですので、好きなことを楽しんで下さい。私もただ、好きで民俗や考古学や古代史の本を読んで、たまにそういう講演会に参加したりという程度の人間ですから。もし、誤解があったのならお詫びします。
返信する
(オジンガーZeit)さん へ (iina)
2013-05-03 09:54:25
講演会は愉しいです。それぞれの専門分野の知識のエキスを短時間にお披露目してもらえます。
どれほどに聴いたかと申しますと、Zeitさんにはかかわらぬことですが、下が過去の一覧です。↓
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/1a5bb70f427cbb4f58a7d8c95098f740
これらは、ブログ時代以降の講演会ですから、それ以前にもとんでもない数のご縁を引き寄せました。

正倉院と東大寺↓
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/2e83a669aa27c3f9ac405671b0638553
このときに、Zeitさんの嫌いな梅原猛が表彰式に現れて賞状を読み上げ、相手を表彰しました。

明日香村フォーラム↓
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/b6077c5e77445e957cd8374abc1c878b

⑥の次の⑦は、6日にアップ予定です。
返信する

コメントを投稿

歴史街道」カテゴリの最新記事