四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

太平記絵巻 女沼古戦場跡(埼玉県熊谷市)

2022年01月24日 | 古戦場・陣所


『女沼古戦場跡』 埼玉県熊谷市大字妻沼字一本木(旧・大里郡妻沼町)
を訪ねてみました。

延元2年/建武4年(1337)12月13日 西上する南朝新田義貞勢の北畠顕家の奥州軍と北朝足利義詮・上杉
憲顕らの鎌倉軍は利根川を隔てて対陣した。新田方に与した北畠顕家配下の斎藤実永・実季兄弟が先陣
を競って、増水した川に馬を乗り入れたが、激流に飲まれて溺死した。この果敢な行動に元気づけれた
奥州軍は一時に利根川を渡り、不意を突かれた鎌倉軍を敗走させ、『女沼の合戦』に勝利したと言いま
す。
斎藤実永・実季兄弟とは、駒王丸(のちの木曽義仲)を助けた斎藤別当実盛の6世孫にあたるそうです。
斎藤別当実盛が加賀国の篠原の戦いで義仲の部将・手塚光盛によって討ち取られたのが寿永2年(1183)
の事ですから、実に150余年が過ぎてのことです。
この間に、鎌倉幕府の成立と滅亡がありました。鎌倉幕府討幕にともに戦った新田氏と足利氏は鎌倉幕
府滅亡後は敵対する関係になり、この女沼の合戦もそのひとつでしょう。





古戦場跡ですから遺構があるわけではありません。
ただ『太平記絵巻 女沼古戦場跡 斎藤実永 実季利根川の先陣』と書かれた標柱が建つのみです。
民家の後方を利根川が流れています。
さて、それでは先陣はどんな状況だったのでしょうか? ということで絵図を見に・・・




歓喜院(妻沼聖天山)の某建物の壁に掲げてある『利根川の先陣絵図』の複製
現物の『太平記絵巻』は、埼玉県立歴史と民族の博物館に所蔵されているようです。
歓喜院は、斉藤別当実盛が守り本尊の大聖歓喜天(聖天)を祀る聖天宮を建立し、長井庄の総鎮守
としたのが始まりとされ、その後の建久8年(1197)、斎藤別当実盛の次男である実長が聖天宮の
別当寺院(本坊)として歓喜院長楽寺を建立したもの。




正月3元日は過ぎましたが、初詣ということで・・・




歓喜院に来たら斎藤別当実盛公に会わずに帰るわけにはいきません。
兜と足の間には注連縄が・・・お正月ですから

散策日:令和4年(2022)1月5日(水)