四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

月の名所は桂浜

2011年08月24日 | 花・鳥・風景




みませ (ヨイヤサノ サノ サノ) みせましょ 浦戸を開けて (ヨイヤサノ サノ サノ)
月の名所は桂浜 (ソレ) よさこい よさこい (ホイ ホイ)  

土佐の高知へ行ったら桂浜も見ておきたい所。
短時間でしたが行って来ました。月は見られませんでしたが・・・   




桂浜といえば、坂本龍馬の銅像でしょう。
いやー 台座がこんなに大きく高いとは・・・
 
ところで、「志国 龍馬ふるさと博」の関連企画として、やはり土佐の偉人武市半平太、中岡慎太郎両名の銅像(発泡スチロール製?)を、
この桂浜の龍馬像の両脇に並べて立てて、3人並べようと企画したようでした。しかし、「龍馬の聖地に相応しくない企画だ」等の反対の声が上がり、
それでは龍馬の後方に立てるということで一旦は話がまとまったようでした。無論、反対ばかりでなく賛成の意見もあったわけですが。
でも、結局はこの企画は流れたようですが・・・・




高知駅前広場にこんな形で・・・・

桂浜訪問日:2011年(平成23年)8月11日(木)             

高知城(高知県高知市)

2011年08月24日 | 現存12天守


追手門と天守  




追手門
現存の追手門から現存の天守を見上げることが出来るのは、この高知城だけだそうです 




僅かに残っている堀 




追手門西南矢狭間塀












西多聞と黒鉄門西北矢狭間塀




天守の忍び返し   




詰門 




三の丸石垣    




本丸御殿(懐徳館)と天守




天守 




廊下門 




黒鉄門と黒鉄門東南矢狭間塀  




山内一豊銅像    




山内一豊の妻(千代)銅像  


高知城が築かれた大高坂山は、南北朝時代には大高坂松王丸の居城があったという。関ヶ原の戦い後、山内一豊が掛川より入封、大高坂山に新たに近世城郭として高知城を築城し、
四重六階の天守を建てた。山頂に本丸と二の丸、東側の一段下に三の丸が配され、二の丸には藩主の居住空間である御殿が設けられた。現存する天守は、享保12年(1727)の
大火でほかの建物とともに焼失後、延享4年(1747)に望楼型天守として再建されたものである。築城当時の古い様式となっているのは、掛川5万石から一躍土佐24万石の太守
となった藩主山内一豊への想いからであるといわれている。また、天守に接続している本丸御殿(懐徳館)は全国でも数少ない現存する御殿遺構として貴重である。
                              (「日本100名城 公式ガイドブック 84高知城」 より引用転記)   
  
高知の城下へ 来てみいや(ソレ) じんばも ばんばも  よう踊る よう踊る 鳴子両手に よう踊る よう踊る

ということで、高知の城下まで「よさこい祭り」見学に行ってきましたが、折角、高知まで行って城下だけでは勿体ない。やはり高知城を見てこないと話になりません。
正直、どちらが主目的ということではなく、よさこい見学・高知城見学の両方が主目的でありました。
この目で見てみたいと思っていた城のひとつですが、期待を裏切るどころか期待以上の素晴しい城でした。
   
攻城日:2011年(平成23年)8月8日(月)・9日(火)