四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

「巾着田」の『曼珠沙華』

2010年09月25日 | 花・鳥・風景


本日は、日高市「巾着田」の『曼珠沙華』を観に行って来ました。
「5分咲き」という開花状況でしたが、十分見られる状態でした。沢山の見物客が訪れておりましたし、ツアー客も。


















人気を集めていたのは今年も木に咲く曼珠沙華
どうしてこんなところに?・・・つまらない詮索はやめましょう






コスモス畑にも多くの人が・・・内山牧場のコスモスよりは背丈が低いようです

散策日:2010年(平成22年)9月25日(土)         

コスモス・咲く・佐久

2010年09月20日 | 花・鳥・風景


彼岸入りの今日、菩提寺に墓参りに行き、ふたつのお墓に線香と花を。
この3連休どこにも出かけていなかったので、彼岸に合わせて彼岸花(曼珠沙華)でも観に行こうかと日高市の巾着田の曼珠沙華の開花状況を調べたらまだ開花していない様子。

春は「ぼたもち」、秋「おはぎ」。それなら茨城県日立市の偕楽園まで「萩」を観に行こうか・・・何せ昼ちょっと前の話なので、ちょっとこの時間では遠すぎるとこれも断念。
ほかにこの時季の花といえば・・・「コスモス」
そうだ。コスモスのさく(咲く)さく(佐久)市に行こう・・・ここもちょっと遠いけれど・・・と長野県佐久市の内山牧場に向かう。
途中、通行止めの道路に出くわせたため、同じ道を行ったり来たりするばかりでなかなか目的地に辿り着かず。












どうにか目的地に着いたら肌寒い。やはり高地だけある。上着を用意しておいて良かった。
どんよりしたお空である。ガスが発生し、広大なコスモス畑も先が霞んでいる。これでは花がきれいに撮れないと、腕のなさを天候に転嫁する。








内山牧場でのコスモス鑑賞を終えrて、次はやはり佐久市内254号線沿いの「コスモス街道」を走ってみた。
既に終えていたが、「佐久高原コスモスまつり」なんてのがあったようだ。

帰りの高速道路は、休日のお約束で、しっかりと大渋滞に巻き込まれたことは言うまでもないことですが。

散策日:2010年(平成22年)9月20日(月)          

庁鼻和城跡(埼玉県深谷市)

2010年09月13日 | 100名城以外の城館跡


深谷市国済寺にある「庁鼻和城跡」(こばなわじょう)を訪ねてきました。
室町時代に上杉憲英が築城したと言われる城で、現在は、国済寺と言う寺になっています。




国済寺黒門




山門




庁鼻和城と国済寺説明板




鐘楼




本堂




上杉家墓地

散策日:2010年(平成22年)9月12日(日)           

畠山重忠館跡(埼玉県深谷市)

2010年09月12日 | 100名城以外の城館跡






本日は、埼玉県深谷市(旧川本町)畠山にある「畠山重忠館跡」を訪ねてみた。
 
畠山重忠は、鎌倉時代の関東を代表する武将である。
畠山重忠館跡(畠山館跡)と言っても、遺構らしい遺構はなく、現在は「畠山重忠公史跡公園」となっている。
畠山重忠といえば、一ノ谷合戦における「ひよどりごえ」で愛馬三日月を背負って崖を下ったと言う話が有名であり、
公園内には三日月を背負った姿の銅像が建てられている。
歴史研究家によれば、重忠は一ノ谷合戦には出陣したという記録はなく、これ(愛馬を背負って崖を下った)と言うのは作り話である。
と言う説もある。事実であろうと作り話であろうと、そうした強い(?)武将であったと言う評価の結果であろうからそれはそれでよいではないか。










ここには、「重忠主従の墓」(県指定史跡)、「重忠産湯の井戸」が遺っている。上の写真がそれである。
畠山氏は、秩父性を名乗っていた秩父からこの地に移り、ここの地名である「畠山」を名乗るようになったとの由。
嵐山町にある「菅谷館跡」(国指定史跡)も、畠山重忠の居館跡とされており、この関係を調べて書くと長くなるのでやめておきます・・・

散策日:2010年(平成22年)9月12日(日)