優厳 × 赤鬼通信

社会参加活動の支援を目指す「なんちゃって社会貢献チーム」の、「優しく厳しい遊び場づくり」の迷走過程を記して行きます。

「どうよ? 『世の中を変えよう』と思って、お前は活動してるか?」

2011年10月24日 | Weblog
 時々、何かあったような場面で、問いかける。
 「どうよ? 『世の中を変えよう』と思って、お前は活動してるか?」、と。
 まぁ、答えは概ね、分かっている。ある意味、そういうのを掲げない人ばかりが、何故か集まって来る。
 もうひとつ踏み込んで言うと、たとえば「ボランティア活動は、『社会的な活動』である」という思いを共有しているかといえば、ちょっと怪しい。みんな、ここにいれば、居場所があること、役割を持てること、それなりに満足感がある・・・んじゃないかなと。
 でも、おそらく「踏み込みが足りない」ので、仮に「痛い思い」をすることがあったとしても、そんなに致命的な痛さは体感しない。
 何もしないよりは、全然悪くない。
 でも、それが再生産以上の行為かどうか、つまり拡大再生産をしているのかどうか・・・を問われると、甚だ怪しくなる。

 特に今年は、これだけの大震災に揺さぶられ、それでもそれ以前と同じように過ごせるのは難しいはずだった。
 うまくやれる人は、たくさんいる。
 能力のある人も、たくさんいる。
 でも、何かを作り出すだけの力を生み出すんじゃないか、という感じが、中々しない。

 さぁ、どうなんだろう。
 別にどれだけのことがやれるわけでも、どのくらいまで行けると果たしてできるようになるのか、
なんて分からないんだが、例えば若者が、大人の言うとおりに活動してるだけだとしたら、それって勿体ないと思う、正直。
 今は、昔・・・といっても20年前の若者であった自分の頃と比べれば、いろんな見方があるかと思うけど、若者が力を発揮できる機会が多いと思う。
 にも関らず、そんなに力を発揮してない人が多いのは、やはり勿体ないんだろうなと。
 もちろん若者が、ということじゃない。「志」を特に持たず、とりあえず「言われたままに取り組んでる大人」の多さは、枚挙を厭わないし、きっと自分だって、怪しいもんだ。
 とはいえ、まだ「世の中を変えられる」と、きっと自分は信じている。嫌な奴だが、悪い奴じゃない、かもしれない(笑)

 少なくとも、どっかのマスメディアの人みたいに、大臣や官僚の名を挙げて、自分が呼び出せば目の前に現れて、自分の言うとおりに対処してくれる的な、バカなことを言ったりしない。まぁ、その大きなイベントが終わるまでは、どこのメディア様かは言いませんが(東北地方の局じゃないよ、ちなみに) 
 とりあえず、ちっぽけな存在でも、他人の権力を嵩にするようなクソ野郎にはならずにやってきましょうや。

宮城県内を回って、思う

2011年10月24日 | Weblog
 半年前は通行止めになっていた山下駅の近くにある知人の家にも辿り着けた。確かに回復するとは思えないほどの状況ながら、幾つかの家のベランダや軒先には布団が干されたりしており、この地で住む人の生活感が感じられる箇所も見られた。
 しかし、破壊された校舎の前には、片付けられなかったのか、泥を被ったランドセルが置かれている。
半年前に来た時よりは、すっきり片付けが進んでいるのは一目瞭然だ。小中学校のグラウンドにたくさんあった避難者のスペースはほとんど無くなり、体育の授業や休み時間に遊ぶジャージ姿の児童が、どこでも見られた。
 でも、津波が来た日から一切まだ手を加えられていない、全然片付けられていない住宅も目に入るのもまた、現実だった。


 訪ねた被災高校の先生は言う、
 「そうですね、震災直後は学校が『町』でしたから、その時と比べれば、だいぶ元に戻ってますかね。
  まだ、制服が手に入らない生徒が何名か、いますけど。」
 校舎の目の前には仮設住宅が、まるで太陽光パネルのような感じで一面に広がっている。被災した地域の方々から、何か力になれることがあれば声を掛けてくださいと言われる。みんな、すごいとしか言いようがない。

       

 自治体役場の入り口に、計測された放射線量が掲示されていた。ここで載せなきゃならないのか・・・そう思ってたら、確かに原発とは距離があるものの、ここも福島県と県境を構えていた。
 住民の安全を確保し、不安を解消する役割を担う役場の人たちも、直接的な被災は少なかったとしても、自分たちに発生要因が無い、対処方法の見つからない事態に、これだけ次から次へと課題難題が寄せられれば、心労も溜まることだろうと思ってしまう。
 
       

 震災被害自体は少なかったものの、水道の復旧が遅かった地域の中学校の校長と話した時は、あまりにも水道の復旧が進まなかったので、プールの水を汲んでトイレの水に使ってたそうな。そうした経験があったことを踏まえ、学校の事業費をうまく使って(震災のために実施できなくなった行事が幾つもあったそうなので、その経費を転用しながら、だそうです)、被災地の手伝いに生徒を連れて行ってる、とも言っていた。

              


 どこもここも、まだまだ何も収まっていない。