優厳 × 赤鬼通信

社会参加活動の支援を目指す「なんちゃって社会貢献チーム」の、「優しく厳しい遊び場づくり」の迷走過程を記して行きます。

サッカーがあって、野球があるのだ

2010年05月31日 | Weblog
 サッカーのワールドカップが目の前に迫って来た。熱狂的サッカーファンでもないし、でも一般人と同じように日本代表の活躍を期待している一人として、メンバー選出に不満はあっても、監督の力量に疑問はあっても、そりゃ、日本代表が結果を出せるよう、支持し続けるだけである。
 日韓W杯の年、6月の自分はちょうど韓国にいて、丸1週間、W杯一色の国を歩き続けていた。宿も予約せずに韓国に辿り着いた夜、適当に探して見つけた宿のテレビで観たのが、フランスvsセネガル戦で、フランスが負けた試合だった。田舎の街中でも、店頭に置いてあるテレビに大勢が立ち並び、サッカーの試合を見ている様子は、日本でも盛り上がったW杯とはいえ、韓国の方がより市民に馴染んでいた。韓国vsポーランド戦の際、ソウル市内は尋常じゃない人が集まり、都市機能が止まるほどの様相を見せていた。2対0で韓国が快勝した夜、お祭りのような歓喜が夜中まで続くソウルの姿を、今でも思い出す。

 野球は、その瞬間瞬間の采配・選手起用のことを考えるのが楽しいのだが、サッカーの面白さは、やはり戦術を考えることである。自分も、イビチャ・オシム氏が、まだジェフ・ユナイテット市原の監督をやってた頃、オシム語録を延々と読み続けた一人である。
 「走れ」、そして「考えろ」。この2つを未だに延々と言い続けるのは、まさにオシム氏の言葉が真実であると思うためである。
 ・・・・そりゃ、オシム氏が日本代表監督をやってくれるのであれば、単純にW杯のためだけにも喜ばしいことだ。明日から替わってもらっても、きっとオシム氏ならやってくれるだろう(笑) 昨日のイングランド代表戦で阿部勇樹選手が活躍したのを見ると、なおさらそう思う。
 日本代表の問題はさておき、真面目に汗をかくことを信条とするオシム氏の思想が様々な場面で語られるようになれば、やはり日本国民にとっても、きっと良い効果があるだろうなー、と思うわけである。

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 そんなこんなでサッカーの話は、薄い話である。そして昨日は、長期に渡り社会的入院をしていた障害のある成人と野球観戦。入院期間が長くなってきた頃、退院したら何をするか・・・という目標を決める中で、「退院して、外出ができるようになったら野球観戦に行こう」となってたわけである。まぁ、車椅子を使っているとはいえ、単に電車に乗って野球観戦をするだけであれば、それほど難しいことではない。難しいことの多くは、その意思決定が一番大きく、それが全てと言っても良い。
 車椅子の彼が野球を観てる中、こちらは何かあった時のために同じ外野席の隅っこで、自閉と知的の青年たちと一緒に腰を降ろしている。特に何があるわけじゃない。意思があって、環境設定ができれば、大抵のことはできる。あちこちで聞かれる、「とても楽しみにしてますので」、と。あるいは環境設定ができず断念する場合は、「とても楽しみにしてたので残念です」、と。「残念です」と言われると、俄然やる気になって、もう1回態勢と人選の組み直しをやる。いつも上手くいくわけじゃないが、それでも上手く行くために努力は続けている、小さな成果しかないけど、小さな成果すら上げられないことが多い中、小さくても成果が残せるんだったら御の字のはずだ。
 ちなみに球場の裏側では、きっちり態勢を組んだ側じゃない方で私たちは、超満員の観客の中でいつも以上にテンションが上がり過ぎてる自閉の青年が、弁当の袋を斜めにしながら、蓋がしてあるカレーを溢しながら走り出し、奇声を発しながらお客さんにぶつかってるのを止めてるのに、すっかりヘトヘトになってしまったのだった。しかも今日来るはずの社会人ボランティアは、つい数日前に「週末の日曜日に野球に行くので頼むぞ」と伝えてるにも関わらず、「来の30日だと思ってました」と、ありえない勘違いな返事を寄越してすっぽかされ三昧であった。

 とはいえ、いろいろあって苦労して、日々活動してくれてる人たちの苦労や頑張りを、改めて実感するわけです。頭の中で指揮権発揮してるだけだと、やはり頭の中でしかモノを語れなくなる。自分もしっかり現場に出続けて、自分も全然ダメだなと感じられないと、反省会でくだらない自虐的なネタも出て来ない。

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