優厳 × 赤鬼通信

社会参加活動の支援を目指す「なんちゃって社会貢献チーム」の、「優しく厳しい遊び場づくり」の迷走過程を記して行きます。

革命をめぐる迷路のような冒険@その2

2008年12月15日 | 革命をめぐる迷路のような冒険
 (前略) 仕事における事務連絡みたいな郵便物が届いたって面白くないよなー・・と思い、親しい方々には一筆加えて送らせていただくこととしました。ここしばらくはメールだけに専念してて、ペーパーを渡していないこともあり、ちょいと記してみます。

 昨年、今年、この2年間に卒業に絡む方々が去っていくと、ほぼ私がフル回転で関わってきたメンバーが「学生」という身分から離れ、社会人になっていきます。もう、半数は卒業して社会の第一線で働いており、何をしていいのか分からずに戸惑う時期も過ぎ、そろそろ役割や責務に胃を痛めてたり、毎日の仕事に忙殺されたりして、何かを考えたり、あるいは何かを始めようと思うことが難しい方もおられるのでは・・と思います。
 よく言う話ですが、私が公務員生活を9年続けて来て得たものは、形としては何も無かったと思います。勤続10年の表彰もされなかったし、視聴覚教育の功労も辞めた所為でカットされたし、9年で170万円の退職金を手にしただけです・・僅かなものでしょう!
 大学4年の1月に採用試験を受け、面接で助役に「君は何も知らないのか!」と怒られた挙句に就いた役所は、天下り、談合、地域エゴ、職員間の相互不信、賭博の借金による懲戒免職、公金横領、職責に耐えられずに職場で縊死・・・そんなことばっかりでした。役所で「最も上司に恵まれない職員」を9年続けたと称された私は、総務・企画・衛生センター・教育委員会と4つを回り、総務という名の雑用、企画という名のつじつま合わせ、衛生センターという名の左遷、教育委員会という名の後始末・・に励んでました。当然です、仕事は給与をもらうだけでものであって、それ以外に何も期待しなければ、何も無いと信じてましたので。
 でも、その間、児童劇団の運営、地域イベントの裏方、5万世帯が目にする広報作成、水質管理のイロハ、パソコン教室の講師、ホームページ作成を含む庁舎のサーバー管理者まで、いわゆるエリート公務員が絶対にしないような、細部に渡って面白い仕事をしてたように思います。もちろん、今となって思うことですが。

 昨年就職された方、あるいは今年就職を探される方の多くは、自分が目指したい職業に、しっかり就かれる方が、ほとんどかと思われます。当然仕事に就いてみれば、思い通りの職場じゃないことも多いでしょうし、自分がイメージする自らの能力と実質との差に愕然とすることもあるでしょう。「仕事は楽しい、でも職場が嫌だ」、あるいは「職場は楽しいけど、仕事は向いていない」、かつての自分のように「仕事も嫌だし、職場の嫌だ」と思われる方もいるかもしれません。
 でもまぁ、20かそこらで自分の天職なんて見つからないし、いつの段階で「自分に合う」ものが見つかるか、分からないものです。今、探している方々にも、いつかいきなり目の前に現れてくるかもしれないのですから。
 社会人になると、実は悩んでなんかいられない状況に陥ることがあります。悩んでる暇があれば、先に進まなければならない場面の方が多いのです。悩み自体も変わってくれば、悩み方自体も変わってくるし、大抵は解決しないことなので、油断してると大人はどんどん駄目になっていきます。まさに賃金と引き換えに、魂を切り売りしてるようなものです。これは中々止まれないもので、余程じゃないと人生にしろ価値観にしろ、「切り返す」のは難しいのですよ。

さて、学生のうちは悩まなければならない。いつも言うように、20歳そこらの時代は、毎日のように悩んでなければならない、である。社会人になってしまうと、悩んでなんかいられなくなる。でも、「悩み方」が分からないと、すっごく意味が無いとは言わないけど、薄い、そして次に繋がらないような悩み方しかできなくなる。
 「切り返す力」は、そうそう手に入らないものです。誰かが、とっても感動するような言葉を告げてくれて、それに自分の気持ちが大いに揺さ振れてたとしても、「それに応じられる自分」であるかどうかは、分からないのだ。だからこそ、切り返せる力を、隠してでも持っていなければならない。

 ・・・というわけで、現在進行形で悩んでいる皆さんも、今のためにだけでなく、将来「力」を有するときのために、頑張って悩んでください。悩み過ぎて死ぬようなことは、本当はありません。死にそうになったら、逃げ出せば良いのですから。一時撤退して、しっかり体制を整えてから、また迎え撃てば良いだけのことです。新選組の副長・土方歳三は、鳥羽伏見の戦いで薩摩・長州連合軍に破れてから連戦連敗で本州を北へ敗走し続けましたが、北海道の五稜郭に陣を構えてからは、明治政府軍に破れるまで、正に鬼神の如く戦い続けました。敗れても、戦い方はあります。悩まない人は、戦い方を学ぶこともなく、なんとなく過ぎてしまうことになるだけ。
 でも、我々は所詮「社会の歯車」でしかありませんから、それなりに生きて行くことも悪くないし、それも良いのかもしれません。私は単純なので、死ぬ間際になって、「あの時、辞めていれば、俺の人生は・・」なんて言うような無様な人生を送るのは嫌だなと思ってるだけです。そんな人生を送ってると必ず起こること・・・失敗して転んで落ちぶれたりした時に見てた誰かが、「ほら、見たことか」とか言って笑われたりするわけです。でも、そんな凡人たちの嘲笑は、もう踏み込んだ自分の耳には、絶対に耳に入らない。踏み込んだ人には、そこに留まったままの人には見ることのできない、「踏み込んだ者の世界」があります。そこは、自分が判断して決定したことは、たとえ世界の誰がダメだと否定しようが、自分で決めたことは絶対的に正しいという論理によって導かれるものです。いつか、見えてきます・・・皆さんの周りにも、何名かいますよね、既に。

 そんなことを思ったので、この機会に、まぁ、いつも聞いていることでしょうが、お伝えしようと思い、改めてペーパーにしました。うちのボランティアに関しても、やりたくても諸事情により、どうしても断念しなければならない、そんな方が、何名もいます。本人の過失でもなんでもないのに、自分がやりたいことを諦めざるを得ないことは、きっと今後も多々あると思います。
 我々、山を登る方々の金言に「山は逃げない」という言葉がありますが、そんなの、ウソです。山は逃げないかもしれないけど、山に登れるだけの自分であるかどうか、そんなのは誰にも分からない。体がそのときまで動くかどうか、自分の置かれている事情が山を登ることを許すかどうか、その時まで分からないのが正直なところです。
 だからこそ、踏み込めるときに踏み込まねば、逃げてしまう。逃げられたら、もう取り戻せない。ジャズ史上に燦然と残るエリック・ドルフィーの遺作『Last Date』にも残された遺言は、正にそれを意味しています。
  When you hear music,after it's over,
  it's gone in the air.
  You can never capture it again.

 しっかりと見てあげてください。
 自分の人生ですから、諦めることなく、投げることなく。どうか、よろしくお願いします。


 2006.10.14

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。