ひょうたん酒場のひとりごと

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あるスナックの終焉

2017年06月11日 23時06分53秒 | 日記
古い、古いお付き合いのスナックのママさんから便りが届いた。ここ数年、店に顔を出すこともなかったが、ある事で、電話では話し、お世話になっていたので、丸っきり音信が不通、ということでもなかったが…。以下はそれに対する返信。

《拝復
 大変、ご無沙汰しております。ご丁重な封書、有難うございました。
 手に取った瞬間、何故か、“あっ、これは店仕舞いの便り?”と思い、急ぎ封を切ったところ、案の定、だったことに、改めてびっくりした次第です。
 長いことお疲れ様でした。
 開店して35年、ですか。最初に勤めていた新地のA時代を含めると、Tさんとはほぼ半世紀に近いお付き合いになるわけですね。感無量といったところです。

 開店は確か、天神祭りの時期。その案内状に“祭囃子の頃に…”といった文言があったように記憶しているのですが、で、開店2日目か3日目に伺った時、お祝いの花が店内いっぱいに飾られていたことを鮮明に覚えています。
 そして、頂いたボトルのキープナンバーが2桁の若い方。それが、妙に誇らしく思えたものでした。

 確かに一時期は、私の勤めるK社の企画制作室があなたのお店に移動したような趣もありました。A氏のSA社や、S氏のSI社などとの打ち合わせスペースであったようにも回想されます。
 ほんとに、時に朝まで、カギを預けてもらっての我がままに、よくぞお付き合い頂きました、と、冷や汗混じりに思い出し、改めて御礼申し上げる次第です。

 そう、そう、“晩年”の歌舞伎鑑賞券にも、女房共々、感謝、感謝です。ひょっとしたら一生縁のなかった、日本の誇る特異世界も深く味わえる時間を、多々、作ってもらったことはラッキーとしか言いようがありません。

“引退後”のこれからは、どのような時間を過ごすのですか?好きなカメラを携えての撮影旅行ですか?いずれにせよ、これまで出来なかった諸々の事に、一途に挑んでいく行動派・Tさんの姿が目に浮かぶようです。第二の人生、大いに謳歌してください。

 7月下旬までとの由。是非一度、伺いたいと思っております。 敬具》

以上のようなものだ。店はミナミ、心斎橋にある。やはり閉業までに、一度は覗いて、労いと感謝の言葉を直接伝えたいと考えている。

私の壮年時代から長く、女房や、やがて娘や息子も飲みに連れて行き、何かと癒してくれた場所であったのは間違いないのだから。

(シャープ)ブンゴウ

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