語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【選挙】国家と資本への隷属からの脱却 ~自分の情動をとり戻す~

2012年12月08日 | 社会
 (1)安倍晋三が首相に返り咲き、竹中平蔵がブレーンに就く・・・・これが各種調査の描き出す総選挙後の布置だ。我々を待ち受けているのは、極端な右傾化と新自由主義の逆襲にほかならない。
 こうした冬の時代への傾斜をつき動かしているのは、情動の働きであり、単なる理性による批判は無力だ。

 (2)3・11後、国家の強権を求める気運が高まったのは明らかだ。紐帯の感情が喧伝され、それはやすやすとナショナルな合意へと接続されていった。そして、同じ危機の亢進のなかで、今年10月には、IMFと世界銀行の総会が東京で開かれた。2万人にも及ぶスタッフが来日し、たわいもないおしゃべりのために、会場となった帝国ホテル周囲の街路は無数の警官によって占拠された。それは、会議というより、新自由主義の使徒たちの大規模な恣意行動であり、我々が資本のくびきを生きるほかはないことを告げるものだった。

 (3)19世紀の資本家は、設備投資によって、労働者を工場や炭鉱に封じ込めた。支払われるのは、かろうじて生き延びることができるにすぎない賃金だった。田園から締め出された労働者は、単に餓えの恐怖から働くのであって、階級の衝突は不可避だった。
 これに対し、20世紀の労働者は消費者でもある。我々の作ったもので、我々の賃金を購う。
 この循環が労使協調のフォーディズム(フォード自動車による大量生産・大量消費システムのモデル)をもたらし、それを支えていたのは福祉国家の財政出動だった。

 (4)(3)のフォーディズム体制のもとでは、賃金労働者に相対的な自律性があった。資本家を駆りたてるのは琴線の蓄積に係る欲望だった。それは労働者を働かせることで達成できるが、ル同社にもたらされるのは苦しみでしかない。
 だが、それも、獲得した賃金によって消費者となるとき、報いられる。この消費の喜びによって、労働者はかりそめにも資本家と同じ欲望を生きることになった。消費がもたらす別の生の展望によって、資本への隷従は相対化された。

 (5)ところが、1970年代以降のフォーディズム体制の縮減とともに、我々ば資本家と同じ欲望を生きることを強いられる。
 主人の欲望を自分自身の欲望と思わせること、これこそが賃金労働者を「機能させる」要諦だ。捕獲のためにせっせと働くことは、自分自身の「自己実現」のために働くことだと信じ込ませることだ。彼らの欲望は、彼らがいる場所にあると信じさせること、そこでは幸運にも快適性と有益性が重なり、主体の「自己実現」が主体の物質的再生産の必要性と重なり合っている、と信じ込ませることだ。こうした想像力を利用した感情的誘導のすべての操作は、感情の搾取だ。そして、それが功を奏したとき、組み込まれた者には最早歩くのではなく、走り出すのだ。【フレデリック・ロンドン『なぜ私たちは、喜んで“資本主義の奴隷”になるのか? 新自由主義社会における欲望と隷属』】
 かかる新自由主義的生の惨状をつくりだす「感情的誘導」の要因は複数だ。
 まず何より、金融市場の量的拡大によって、株主による企業への圧力がいっそう高まった。収益の目標が持続的に引き上げられ、労働への圧力は際限のないものとなる。生産活動の中核がサービス業へ移行したこともあろう。そこでは、自分自身への不断のコントロールが求められる。いずれにせよ、常に労働に支配されている。最早フォーディズム体制のように、労働の外側に喜びを見出すことはできない。ゆえに、労働による支配の状態そのものを、自ら望んだものと見なそうとする情動が形成される。我々の欲望は、主人の欲望と重なり合いつつ、主人の欲望を生きる「自己実現」の隷属の中に沈み込んでいく。

 (6)我々が、総選挙後に生きようとしているのは、安倍晋三の欲望であり、竹中平蔵の欲望であり、橋下徹の欲望だ。
 あるいは、原発の欲望であり、TPPの欲望であり、消費増税の欲望でもある。
 こうした事態に対して、理性は無力だ((1)で述べたとおり)。
 <例>原発推進派を理性的に説得できない。推進派の根底にあるのは、原発という主人の欲望を生きようとする情動だ。それは、推進派が原発への恐怖を見下すのと同じ質のものだ。その言説が、つねに上からの目線で、しかも落ち着きなく執拗なのは、深部に、滞留する主人の欲望を生きるという自らの情動にふれることを回避しているからだ。
 浮上してくるのは、感情をめぐる内乱状態だ。

 (7)総選挙で問われているのは、これら主人たちの欲望を断ち切ることだ。自らの欲望を生き直すことだ。それは、新自由主義的な生の回路の社団を伴う、情動や感情の回復という筋道をだどるしかない。
 その際、一つの手がかりとなるのは、ニートや引きこもりの若者たちとの交流から掴み取られた「モラトリアム」の概念だ。今日の若者たちが生きる時間が「目的論化」していて、大学のカリキュラムは就職という目的のためにすみずみまで組織され、若者たちへの支援事業も多くは労働への「動機づけ」を目的としている。
 新しいモラトリアムの「放浪」がなければ、主人の欲望を生きるしかない。
 若者に限らない。我々は主人の欲望を生きることを止めなければならない。賭けられているのは、我々の情動のありかそのものだ。

 以上、白石嘉治「国家と資本の奴隷から脱却せよ ~国会前の怒りの声を聞け!~」(「週刊金曜日」2012年11月30日号)に拠る。

 【参考】
【選挙】自民党の公約を整理すると浮き上がる矛盾
【選挙】安倍自民党総裁が財界に支持される理由 ~官僚的体質~
【選挙】安倍晋三の軽佻浮薄と無定見 ~経済政策~
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