「マッキーのつれづれ日記」

進学教室の主宰が、豊富な経験を基に、教育や受験必勝法を伝授。また、時事問題・趣味の山登り・美術鑑賞などについて綴る。

マッキーの教育:多様な針路・生き方ができる社会

2013年07月10日 | 教育



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 今春、私の教室の高校受験生で、少し特殊な進路指導を行った生徒が二人いた。その進路指導には、
今私達が抱えている社会問題が反映されていて、広く考えてもらうべき問題点が含まれている。「多様な針路・生き方ができる社会」(生徒の進学で言えば進路)・・・何と言い尽くされた言葉だろう。でも、それに向かって実際に何がどれだけ前進したのか。そこで今日は、この二人の事例を取り上げて、そのことを考えてみたい。

 長年に亘り、多くの生徒を指導してきたが、その経験の中で、他でも役立つ事例を、私は数多く経験してきた。しかし、それが個人情報に関わることであり、特に新しい事例を、こうした公開の場で語ることを、私は躊躇する。また加えて、そうした事例の一つ一つに、子どもやその保護者、そして私自身の思いがいっぱい詰まっていて、軽々に文章にできないということもある。年月が流れ、個人情報を気にすることなく、また客観的に語れるようになった事例については、おいおいとこのブログで綴っていこうと思っている。

 しかし、今回の事例は、最近私が考え続けているテーマに関連し、ぜひ多くの方に考えてほしいと願うが故に、取り上げたいと思う。また、具体的な進路指導内容に関わる問題だが、特別に変な人が執拗に詮索することがなければ、個人情報に関し問題はないと考える。

 今日取り上げる事例は、私の教室から中学受験をして中堅進学校に合格し、その後も継続して通っていた女子生徒Aさんと、教室からだいぶ離れているところに住んでいるのだが、知り合いから私を紹介され、中3の2学期から教室に通っていた私立付属校の男子生徒B君の、いずれも中3の生徒たちの話である。



 一つ目のAさんのことだが、中3の夏休みを過ぎた頃、通っていた学校の高等部に進学しないで、都立高校を受験すると言い出した。その生徒には、小6の妹がいて、その妹も中学受験をするために、教室に通っていたのだが、昨今の経済事情が、この子たちの家庭に大きく影響を与えたようだ。

 偏差値が65に近い自分の通う学校の高等部を蹴って、都立高校を目指すことは、とてもハードルが高い。すでに中2から高校の学習内容が入ってくる学校の学習と、都立受験対策を並行して行わなければならない負担は大きい。ならば、「都立入試対策に学習を絞ったら」という疑問を感じた方は、都立入試の要綱を知らない方といえる。

 都立高校の一般入試は、学校の成績、すなわち学校内申と入学試験成績を、一定の割合で換算して合格を決める方法が採用されている。したがって、この生徒は今通う学校の学習を疎かにすることができないのだ。すこし早めに進路の決断ができたなら、区立中学に転校して受験対策をやった方が、はるかに有利だったろう。

 一般的に、都立高校入試を受ける公立の生徒は、私立の併願優遇制度を用いて、抑えの学校を確保して都立入試に臨む。この制度は、主に都立高校を受験する生徒に対して、私立高校が学校成績に入試成績を加味して合格を出し、都立高校の合格発表まで、入学手続きを待ってくれる制度のことだ。かつては、併願推薦(推薦入試の一形態)と呼ばれていた。万が一都立高校に不合格となった場合、行くところが無いなどということが起きないように、予め手立てを講じておくために、併願優遇(一般入試の一形態)を活用する。

 しかし、都立高校入試を目指す私立中学に在籍する生徒には、基本的には私立中学校の先生が関与する併願優遇は無い。したがって、個人的に自己推薦制度(B君)を利用するなり、都立合格発表を待ってくれる私立(Aさん)を探すなりして、個人的な手間をかけて抑えの学校を確保する必要が生じる。

 また、この生徒のように私立中学に在籍する場合、都立高校の推薦入試を受けることもできないという問題点がある。私立中学が都立の推薦制度を利用することは難しいからである。公立中学の生徒は、都立高校の推薦入試と一般入試の両方を受験することができるし、一般的にはその両方を受験することが多い。

 その格差を是正するために、私立中学生が都立高校に進学を希望するといったケースを想定して、都立推薦制度の枠組に、私立中学生の自己推薦制度を取り入れた制度改善を行うべきだと私は考える。私立中学校が自校の生徒を都立高校に推薦するというのは、違和感がある。したがって、生徒自らが自己を推薦するという形式で、都立高校の推薦入試を活用できる道を開くのが狙いだ。このように、生徒たちの多様な進路選択・変更を支援するシステムが、入試についても必要だろう。この子は、無事に都立高校に合格し進学した。



 2つ目のB君の場合は、中堅の大学付属校に通っていたが、学校の成績がオール5、おまけに水泳で全国大会に出場するほどのスポーツマンでもあり、文武両道を地で行く生徒だった。たぶんその学校の教師にとっては、自慢の生徒であったことは確かだろう。その彼が母親と一緒に教室にやって来たのは、3年も2学期に入ってからであった。もっとチャレンジしてみたいという強い希望があった。

 この生徒が中学受験する時点での進路指導が、間違っていたことは確かだ。まず、この生徒の学力を十分に伸ばしきれぬまま、中学入試を終えてしまった可能性が高い。また、保護者の進路希望やこの生徒の性格や資質を考慮して、現在の学校を選んだとは言えないようにも思う。結果的に、ミスマッチの学校から、高校受験を経て学校を移動する手間を、この家族に強いる結果となってしまった。

 彼は、受験を決めた後も、学校の学習を疎かにすることなく、学校内申となる2学期の成績も、オール5を維持した。私の過去の経験から、学校を移ることを学校側に伝えると、学校成績は落ちてしまうことが多いことを、その生徒にも忠告していたのだが、私の杞憂で済んだ。驚くべきは、彼の努力だった。それに、私情を入れず彼の成績をつけた中学校の教師に、頭が下がった。

 彼を指導している時に、ふと漏らした彼の言葉を、私は忘れることができない。「母親は、先生にはそう言ったかもしれないけれど、実はウチの経済的事情も大きいんだよね。」 決して不満があったわけでもない学校を、ましてや多くの友達がいる学校を移ることを決断した生徒。もっと高きを目指すといった目標を掲げ、自分を納得させてはいるが、実は親の経済事情も配慮した進路変更だったことを知った。この生徒の健気さに、私はウルッとくるものがあった。

 彼は、私立進学校の自己推薦制度を活用して抑えの学校を確保し、都立高校の上位校合格を目指した。短期決戦だったが、この生徒は、厳しい課題を消化して、私についてきた。最初の模試は偏差値60を切っていたが、やがて65を上回るところまで上昇し、所期の目的を達成した。この経験は、彼のこれからの人生に必ず貴重な資産として残るだろう。



 私が今日、強く主張したいのは、生徒の意志にせよ、家庭の事情にせよ、さまざまな理由で進路を変更することを、制度によって妨げてはいけないということだ。多様な進路選択ができ、かつ途中で針路の変更が可能となるような、柔軟な制度的枠組を、教育関係者はもっと真剣に考えるべきだ。

 大きく舵を切って、人生の針路を変えることが求められることだってある。努力さえすれば、各人の変化を許容し受け入れることができる世の中なのか、またはダイナミックな動きが失われ、そうした変化を受け入れることができない社会なのか、現在の状況を考えてみる必要がある。ニートといういやな言葉があるが、そうした若者に個人的問題もあるだろうが、今の社会システムがそうした若者を作り出しているともいえる。今の世の中が、そうした意味で柔軟性に欠けてはいまいか?

 冒頭に掲げた「少し特殊な進路指導」という言葉は、今後「特殊」という言葉が取れるほど、よくある事例になっていく可能性がある。だからこそ、子供の教育が、出来る限り家庭の経済的な事情に影響されることのないよう、しっかりとした経済的支援必要である。また、先ほども述べたように、多様な進路選択が可能となるように、都立高校が率先して入試制度の改革を急ぐべきである。都立高校に求められるのは、私立に対抗した人気作りや進学実績作りだけではないだろう。

 昨年度、ある公立中学校で中学3年生の指導に当たっていた時のことを、最後にお話ししよう。その学校の生徒たちの多くが都立高校希望だった。そこで、私立の併願優遇校を決めるべき時期の少し前、生徒たちに早めに希望する併願校を決めて、先生に伝えるようにアドバイスした時の事だった。ある生徒が私に、「先生、私のウチは、私立に通える余裕が無いから、私立の併願はしない。」と、はっきりと言ったのだ。

 抑えの学校を決めずに都立高校を受験することは、教師にとっても、受験生本人にとっても、怖い受験である。そのことを承知で、こうした受験方法を選択せざるを得ないこの生徒のことを考えると、私はその後の言葉が続かなかった。仮に100%併願私立に進学する予定がなくとも、気持ちがずいぶんと楽になるから、併願優遇制度を使うべきだというアドバイスも、私は、その時、その生徒にすることができなかった。

 私には、2年間以上、草稿状態になって投稿に至らないテーマがある。「子どもの貧困」に関するブログである。この課題について、やっとわずかばかり社会は動き始めたようだが、不十分だ。教育の機会こそ、全ての子どもたちに平等であるべきだが、私の立ち位置の関係からすれば、このテーマは難解だろうという指摘は、正解だ。私にとって、とても難しい問題だ。


 たまたま用事があって通った江戸川高校の校舎に沿って続く生垣に咲いていたキンシバイ。半開の状態で下向きに咲く。日頃見かけるキンシバイは、ヒペリカム・ヒドコートという園芸品種で、花は大きく綺麗に全開する。原種の上の画像のキンシバイは、最近見かけることは稀である。だから、出会うと嬉しい。

 キンシバイ以外の上の画像は、トケイソウの花。自然にできたとは思えない玩具のような造形をした花だ。蔓性の植物で、暑いこの時期、私達の目を楽しませてくれる。

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2 コメント

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本物の迫力 (tsuguo-kodera)
2013-07-10 07:31:19
 結果はめでたしめでたしだったようですね。良かったですね。
 でも、その生徒さんらが力を本当に貯めて発揮できるのは大学院以降かも。世界の舞台かも。
 しかも、今回の成否によらずチャンスありと言えるのは私のような無責任な無職の高齢者だからです。でも、本当なのです。信じて欲しいのです。
 落第生だったのに、今は東大の教授でノーベル賞もあるかも、と言う友人がいます。皆さんに日本にある世界を知って欲しいのです。
 本当に嬉しい情報をありがとうございました。
Unknown (マッキー)
2013-07-10 14:34:13
koderaさん、コメントありがとうございます。
koderaさんがおっしゃるように、ハードルを乗り越えた時も、たとえ失敗した時も、そこから何かを得て、たくましく成長する生徒もいます。もしかしたら、今日取り上げた二人の生徒たちは、その範疇に入る子供たちだったかも知れません。
けれども、マイナスをプラスに変えることがなかなかできない生徒もいることは確かです。
そうした生徒に配慮した教育システムも必要だと思っています。
koderaさん、またご指導の程、宜しくお願いします。

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