「マッキーのつれづれ日記」

進学教室の主宰が、豊富な経験を基に、教育や受験必勝法を伝授。また、時事問題・趣味の山登り・美術鑑賞などについて綴る。

マッキーの教育:有害な外野の雑音

2017年04月01日 | 教育


 
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 個人が、多数の人に向けて自分の考えを発信できるようになると、クレイマーの存在が問題となります。教育に関することでも、知識が無い人が、指導に関してクレームを発信することも多くなりました。そうした点でも、学校教師にとって、大変な時代になったといえるでしょう。

 また、学術経験者という立場にある者が、教育現場にいい加減な注文をするといったことも増えました。その結果、文部科学省の指導方針がぶれるといったことも起きています。「聖徳太子」「鎖国」など、方針が示された途端に修正が入るなどは、そうした例の一つでしょう。

 ところで、脳科学者と名乗っている茂木 健一郎が、コメントした内容に、黙認できない問題があることを今回綴りたいと思います。この人物は、科学者というよりは、バラエティ番組に頻繁に出ているタレントといった方が正確です。医学部出身でもないのに、何で脳科学者なのか?また、茂木 健一郎悪質な脱税行為を行い問題となった人物でもあります。私は、以前から如何わしい人物と感じて、彼の考えには懐疑的な見方をしてきました。現場の教師は、こうした人物のクレームに惑わされる必要はありません。

 まず、茂木 健一郎が指摘した問題点を載せましょう。・・・・・・『昨日、小学校の算数のテストで、「3.9+5.1=9.0」と書いたら、減点されたというツイートが流れてきて、とてもびっくりした。これははっきり言って一種の子どもに対する「虐待」である。』

 そのままにして置くと、小数点以下に0が残る筆算や問題は多くあります。上の例だけではなく、小数の掛け算、単位の変換などでも、そうしたことが起きます。例えば、2300mをkmに変換するとき、2300の小数点を左へ3つ移動させ、筆算は行いません。すると2300m=2.300kmとなりますが、小数点以下の0は意味がないので、とる必要があります。同様に、茂木 健一郎が指摘した「3.9+5.1=9.0」についても、小数点以下の0に意味はないので、取る必要があります。それに、9.0の表記をそのままにした場合、少数第二位で四捨五入した概数と受け取られます。

 逆に、温度計を読み取る時には、目盛りの1/10まで目分量で読み取るルールになっています。すると、ちょうど気温が20度だった場合は、20℃ではなく、20.0℃と表記する必要があります。20℃と表記した場合、何らかの都合で目盛りの数値だけ読んで、19.5℃以上20.5℃未満の示度を、およそで読み取ったことになります。この時の小数点以下の0は、そうした意味で必要な0です。

 小学4年で学習する「およその数」についても同様なことが言えます。「19.95を小数第一位までのおよその数で表す」場合、少数第二位の数を四捨五入します。すると切り上げられて、ちょうど20となってしまいます。ですが、この時の小数第一位の0は、省いてはいけません。答えは、20.0と表す必要があります。およその数で20と表した場合、小数第一位を四捨五入した値で、元の数の範囲は19.5以上20.5未満となります。ですが、20.0と表記すると、少数第二位で四捨五入した数値で、元の数の範囲は、19.95以上20,05未満となり、その表す数の範囲が異なってきます。

 このように小学生に対して、小数点以下の0が必要なのか不必要なのかをしっかりと指導する必要が教師にはあります。そうした基本的な考えを指導する場合、3.9+5.1=9.0」に○を付ける教師こそ問題があり、✖を付けて減点することには意味があります。

 また、茂木 健一郎は、こうも指摘しています。・・・・・・かけ算の順序、足し算の順序、という「問題」があって、2x3=6は正解だが、3x2=6は不正解、同じように2+3=5は正解だが、3+2=5は不正解、という「世界」があるのだという。詳細はアホらしいので書かないが、もし興味がある方は検索してみて欲しい。』

 この指摘も、上記の例と同様に、現場教師の努力を無視した的外れの指摘といえます。小学校の算数において、答えが合っていればよいという指導は、好ましくありません。結果ではなく考える過程を重要視して、自分がどのように考えて答えを出したのか、論理的に説明できることが重要です。その考え方を記す手段として、式を表記するという指導法をとる場合、私はそうした指導を肯定的に捉えています。無論、掛け算やたし算には交換の法則が成り立ちますので、計算上では自在に数値を交換して行うのが一般的です。この点に関して興味ある方は、以下のブログを参考にご覧ください。

マッキーの教育:考え方を式にしっかりと表記することが算数の学力を高める

 茂木 健一郎のえげつない所は、そうした現場教師の努力を、全く無視して「アホらしい」などという言葉を使って語っている点と、子どもに対する「虐待」などという表記を行い、恫喝するような記述をしている点です。茂木 健一郎は、以上のことを考慮すれば、全くノー科学者と言って差し支えない、屈折した性格の人物と言えるでしょう。

 ところで小学校において、分数計算で、以前は答えを帯分数で表記していたのを、中学生と同様に仮分数表記が小学生算数でも認められました。私自身、中学生になって仮分数表記で良いのだと知っても、しばらくはその答えが気になったことを今でも覚えています。この変更にも、小学生の現状を理解しない者の指摘が加味されたのだろうと、私は考えています。

 最終的な答えを帯分数にしてきた意味は、出した答えが妥当かどうか見積もる手段にすることができること。また、約分し忘れなどもチェックし易くなります。そして、仮分数・帯分数の変換の練習にもなります。無論、割り算の練習にもなります。こうした、小学生の学習上の特性を考えれば、あえて帯分数で答えを出すという指導は、意味の無い指導ではありませんでした。この変更には、現場を理解していないのに知ったような素振りを見せる茂木 健一郎のようなクレーマーが介在した可能性があります。外野の雑音が、実際に悪影響を与えた例と言えます。

 保育園の現場で、子どもたちの指導に合う様々な教材を手作りしているのを見て、感動を覚えたことがありました。また、小学校の現場でも、教師たちが様々な工夫を行っているのを知っています。けれども、何故か中学校・高校と進むと、現場では学力下位層に対する指導の工夫が少ないように感じます。閻魔帳を片手に、出来ないのはお前たちの努力が足りないからだ!・・・・・・そうしたスタンスを感じます。私は、塾での学習指導以外に、教育委員会と提携し、7年間小学校と中学校の本科授業を担当しました。その経験から感じたことです。

 小学校で指導している児童全員に対して、基本をしっかりとマスターさせようとする努力や工夫は、賞賛されこそすれ非難されるものではありません。アホらしい」という言葉は、茂木 健一郎自身にお返ししておきたい。ネトウヨの如き茂木 健一郎のような輩の誹謗中傷に負けないで、小学校の教師は、自信を持ってしっかりと指導していただきたいと私は考えます。

 具体的にこうした雑音を排除するためには、教師間で指導情報の共有が一層必要となります。ただ、保護者からの質問には、的確に親身に応答する必要があります。そうした教師の煩雑な仕事が増加していることを、多くの人たちが理解を示す必要もあります。

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マッキーの教育:栃木県高校春山登山研修事故で思ったこと

2017年03月28日 | 教育

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 27日、栃木・那須町のスキー場で雪崩が発生し、高校生ら8人が死亡するという痛ましい事故が起きました。事故当時、栃木県内の7つの高校の生徒と教師らが、春山登山の研修を行っていて、死傷した生徒らは、ゲレンデを外れた林の付近で、雪崩に巻き込まれました。

 当日は、予定されていた登山を中止し、ラッセルの訓練に切り替えたそうです。責任者である教師は、天候を考慮し、かつ有意義な登山研修になるように配慮したつもりだったのでしょう。けれども、今回のような死亡事故を起こしてしまえば、務上過失致死傷の疑いで捜査されることとなってしまいます。

 生徒及び保護者側にとっては、今回の訓練がそんなに危険なことであるとの認識は無かったでしょう。長年続いている登山訓練でしたから、事故に遭遇するなどは想像できなかったでしょう。しかし、八甲田山雪中行軍と同様に、生徒は教師の指示に従って行動しなければなりません。状況判断は、指導教師の責任において行われなければなりません。

 参加してくれた生徒たちに、有意義な登山訓練を行おうとすれば、当日テントをたたみ、そのまま下山することは選択肢としては考えずらかったことでした。たっぷり降った新雪を見れば、登山中止は当然ですが、その代わりにラッセルの貴重な体験ができると判断したのでしょう。

 樹林帯で訓練を行っていたのは、頭の中で雪崩を想定したからなのかもしれません。登山には、突然の落雷や落石など、不可抗力の出来事も起きます。もしも私が今回の指導教師だったら、同様の判断をしたかもしれないと思うと、ぞっとする悲惨な事故でした。

 高校山岳部は、基本的には冬山が禁止されているはずです。私が高校生の時、ワンゲルに入っていましたが、やはり冬山は禁止でした。けれども春山に登り、たっぷり残った残雪上で、ピッケルを使った滑落防止の訓練なども行いました。

 高校のワンゲルで、引率指導教師が、雪の表面が解けて固まった摺り鉦状態の斜面を滑落して、背中全面に痛々しい擦り傷を負ってしまったことがありました。経験豊富な指導者でさえ、こうした事故があるのです。また、ルートファインディングに失敗して、予定よりかなり遅く帰宅した時に、両親が真っ青な顔をして私を出迎えましたが、親は計画が変更されたことでさえ、とても心配していたことを知りました。登山は経験を積んで、その経験を判断の材料にできるようにすることが重要です。

 情熱ある指導教師の心情は、とてもよく分かります。貴重な経験をする場合、往々にしてリスクを伴います。そのリスクを自分だけが負う場合と、他の人にも背負わせる場合では、話は異なります。この事故が無ければ、天候次第ではこの時期でも冬山の厳しさを克服しなければならないことや、チームワークを組んでラッセルに汗をかく充実感を、この登山研修で経験できた生徒たちでした。

 けれども、事故が起きてしまえば、指導者はその責任を負わなければなりません。今回の一番のポイントは、雪崩注意報が出ていた状況での訓練だったことです。そこをどう判定されるのか、難しいところです。最後に、今回の事故で犠牲になった方々の冥福をお祈りいたします。ぜひ、今回の事故を今後に役立ててほしいと願っています。

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マッキーの教育:映画「この世界の片隅に」を観て

2017年02月06日 | 教育

  

 
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 インターネット上で一般の人から制作費を調達するクラウドファンディングで、3,374名のサポーターから39,121,920円の資金を集めて完成した『この世界の片隅に』は、第40回日本アカデミー賞・第90回キネマ旬報ベスト・テン第1位など、評価を受けてヒットしています。



 「君の名は」が、興行的には圧倒的に成功を収めています。評価が高い『この世界の片隅に』に興味があり、小学2年生と2月5日(日)観に行きました。

マッキーの教育:『君の名は』

 戦前の動乱期、広島と呉で過ごした「すずさん」の日常が描かれた映画でした。戦争の惨禍を主題とした映画は多いのですが、あえてどこにでもいそうな一人の女性の日常を克明に描いた映画でした。戦前を知っている世代の人達は無論のこと、昭和時代を生きた団塊世代たちも、昭和の匂いが一杯の画像に心を奪われることでしょう。

 有無を言わせずに、人生を左右した戦争。風化しつつある先の大戦の惨禍を語り継ぐ必要はあります。そうした意味でも、この映画は多くの人に観てもらったらよいと思います。「天災は忘れた頃にやってくる」と言われていますが、災害の多寡は防災と密接に関連していますので、「天災は忘れるからこそやってくる」とも言えるでしょう。災害をできるだけ少なくするには、防災意識が重要です。人災である戦争は、猶更のことです。先人が苦しんだ経験を、私たちは肌身で感じ取ることが重要です。特に最近はきな臭い話が多いご時世であることを考慮すれば、戦禍を語り継ぐ重要性は増しています。



 ただ、戦中を中心に描いた映画でちょっと救われる点は、「すずさん」が苦境にある中で苦悶しながらも、懸命に前向きに生きている姿でした。交通ルールを順守して歩道を歩いている時でさえ、或いは突然の天災(地震・火山噴火・落雷など)で、人生を終わらせたり人生の岐路に立たされることが多いように感じています。けれども、どんな時でも前向きに生きることは、心構えとしては大切です。

「この世界の片隅に」の概略

『この世界の片隅に』(このせかいのかたすみに)は、こうの史代による日本の漫画作品。『漫画アクション』(双葉社)にて2007年1月23日号 - 2009年1月20日号まで連載。単行本は同社より上・中・下巻の形式と、前編・後編の形式で発売。

2011年8月5日に日本テレビ系列でドラマ化された。また、2016年11月12日より片渕須直監督による同名の劇場アニメーション映画が全国公開された。

映画化作品「夕凪の街 桜の国」の第2弾ともいうべき本作。戦中の広島県の軍都、呉を舞台にした家族ドラマ。主人公、すずは広島市から呉へ嫁ぎ、新しい家族、新しい街、新しい世界に戸惑う。しかし、一日一日を確かに健気に生きていく……。

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マッキーの教育:かわいそうなだけの子でない

2016年10月21日 | 教育

 

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 祭り装束で屈託のない笑顔を浮かべる少女の写真。青森県黒石市で行われた「黒石よされ」祭り写真コンテストで最高賞を獲得した作品です。ここまでの話であれば、この写真と少女は、地方の町おこしに一役買ったのだろうという感想が残るだけです。



 ところが、この写真が撮られた10日後、この少女は駅のホームから列車に飛び込んで亡くなったそうです。遺書に、「二度といじめたりしないでください」と記した、いじめを苦にした自殺でした。

 青森市の男性が偶然撮影したこの写真に対して、実行委は遺族の了解を得た上で市長賞に内定したのだそうです。たぶん選考の過程で、被写体の少女が、いじめによる自殺をしたことが判明した後、様々な議論の末に、受賞を決定したのだろうと推測できます。

 「黒石よされ」の祭りをアピールし、多くの人に参加してもらおうという趣旨のフォトコンテストだったはずです。したがって、不特定多数の人に観てもらう写真として妥当かどうか、様々な意見があったはずです。私が選考担当なら、この事実を把握した段階で、この作品を除外したと思います。

 自殺した少女の写真を使うことは、祭りを盛り上げる話題になるよりは、いじめや自殺の方に、観た人の関心が行ってしまうのは当然でしょう。ただ、遺族の了解を得た後、実行委メンバーの一部や市長が「賞の趣旨になじまない」などと反対し、一旦は授与を取りやめたのだそうです。

 高樋市長が一転授賞を決めた理由は、遺族が写真と実名を公表したため、伏せる必要がなくなったからとのことでした。それも、ある意味納得のいく理由だと私は思いました。写真を公表すれば、その子のプライバシーや遺族に対する詮索など、コンテストの趣旨に合わない点が、世間の話題となってしまうからです。

 ただし、選考の過程で、そうしたプライバシーをも含めて、少女の遺族と話し合いを密にできたなら、こうした混乱は起きなかったはずです。この話題が公になると、感情的な批判が・・・これこそがいじめと共通した心理なのだが・・・主催者側に寄せられているそうですが、どっちに転んでも同様な反応があった事例だと私には思えます。

 「かわいそうなだけの子でない」という遺族の少女に対する想いを優先すれば、祭りで手踊りを披露した楽しそうな少女の姿を、生き生きと描写したこの写真の受賞と公表は当然とも言えます。祭りを盛り上げ観光にも役立てたいというフォトコンテストの趣旨は、この際引っ込めて判断すべきだったようです。

 どんなに笑顔を見せていても、心の奥底に耐えきれない苦しみを抱えている子どもたちがいる。保護者も教育者も子どもの言動や悩みを感知する能力を高める努力をすべきです。いじめを行っている子には、それが悪質な犯罪であることをしっかりと認識させる必要があります。いじめや悩みを抱えた子どもの一次的な避難場所を作ってあげることも大切です。いじめに負けない生きる力を子どもたちに身に付けさせることも、現代において最も大切なことかもしれません。・・・この写真を見ながら、いくつもの思いが次々と私の頭に浮かんできます。

 「かわいそうなだけの子でない!」・・・亡くなった子に対する親の切ない心情が伝わってくる言葉です。いじめが理由で自分の命を絶つ子どもを無くすために、大人は掛け声だけではなく、具体的な行動で示さなければなりません。

 かつてのブログで、いじめの問題について取り上げました。、関心のある方はご覧ください。

マッキーの教育論:いじめ問題について考える(1)

マッキーの教育論:いじめ問題について考える(2)


マッキーの教育論:いじめ問題について考える(3)


マッキーの教育論:いじめ問題について考える(4)

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マッキーの教育:『君の名は』

2016年10月18日 | 教育

 

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 「君の名は」・・・この言葉を聞いて、脚本家・菊田一夫の代表作で、「番組が始まる時間になると、銭湯の女湯から人が消える」と言われたあの伝説的なラジオドラマを思い出す人は、ちょっと高齢な方が多いはずです。

 今日取り上げる『君の名は』は、新海誠監督の長編アニメーション映画のことで、私は小学2年生と一緒にこの映画を観ました。小学2年生に、「『君の名は』の映画を観に行く?」と問えば、「『青空エール』と同じくらいヒットしている映画でしょう!」という応えが返ってきました。教室の小学高学年に問えば、「『言の葉の庭』の新海誠の新作映画でしょ。」という反応。小学生でも知っているのか。


 16日、スペインのシッチェス映画祭で、アニメーション作品部門の最優秀長編作品賞を受賞したという報道がありました。この映画祭は、ポルト国際映画祭(ポルトガル)、ブリュッセル・ファンタスティック国際映画祭(ベルギー)と並び、ファンタジー・ホラー・アニメーションに特化した国際映画祭なのだそうです。

 小学2年生は、新海誠監督の「言の葉の庭」を、だいぶ前のことですが、私のスマホで観たことがありました。この監督の作品は、青春期の少年少女揺れる恋愛感情を、詩情豊かに描くことに成功しているように思います。今、青春真っただ中の人たちは、その甘酸っぱいラブストーリーに惹かれ、年を重ねた人たちは、ふと映像に昔を重ね合わせる、そんな映画の見方をしているのでしょう。



 映画「君の名は」は、田舎に住む高校生の三葉と、東京に住む男子高校生のが、あるタイミングで心が入れ替わってしまうというストーリーです。これは、大林宜彦監督の「転校生」を連想させます。また、1200年ぶりに地球に接近した彗星の核が分裂して、その一部が地球に降り注ぐという架空の出来事も、この映画の重要な要素となっています。

 そして入れ替わっている二人の住む世界が、実は数年の時間のずれがあったことも、観ているうちに分かってきます。男と女・住んでいる場所の距離・時間の差異・生と死・・・そうしたどうしようもない隔たりと、自分自身が相手と入れ替わってしまう親近感が交錯する映画でした。

 この映画は、たぶん観る人によって、様々な印象を受けるでしょう。映画を観た後に、雑踏を行き交う人たちも、過去・未来において自分に無縁ではない存在かもしれないと、歩きながら私に思わせる、そんな映画でした。

 小学2年生にとって、ちょっと早いラブストーリーでしたし、入り組んだ展開についていくことができたのか心配でしたが、二人が生きた世界に時間差のあることも分かっていたようです。

 三葉がおばあさんから織り方を習っている色鮮やかな組紐が、「糾える縄の如し」という言葉や運命の赤い糸」を連想させる役割を果たしています。様々に手の込んだ仕掛けが映画の中にちりばめられていますが、最も多くの方が印象的に感じるのは、その映像の精緻な美しさでしょうか。



 「君の名は」の興行収入は、149億円を記録(10月4日現在)しているのだそうです。観客動員数は公開から7週連続1位で、累計1149万人というヒット映画となっていて、世界89カ国・地域での公開が決定しているそうです。今回の映画祭の受賞で、興行収入200億円超えが確実と言われています。

 子ども向けの映画は、子どもとその親が対象となりますが、「君の名は」はアニメーション映画ですが、もっと幅広い層の人たちに観られていることも、ヒットしている理由となるでしょう。この映画の主人公の二人は、互いに最も近い存在と認識しているので、一瞬のすれ違いでさえ、相手を認識できると確信しています。ところが、お互いに惹きつけられているにも拘らず、現実世界に戻ると相手の名さえ忘却してしまいます。この遠近の落差。「君の名は」には、そうした切ない思いが込められています。



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マッキーの教育:科学が役に立つのは100年後かもしれない

2016年10月11日 | 教育

 

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 2016年のノーベル医学生理学賞を、東京工業大学栄誉教授の大隅良典さんが受賞しました。日本人として、とても嬉しく思いました。私にとって、今まで漠然と知っていた「オートファジー」を詳しく調べる機会となりました。また、大隅さんが語った科学の基礎研究について、日本の現状と問題点を考える契機ともなりました。今日は、大隅さんの言葉を引用しながら、考えたことを整理したいと思います。

 『みんなでよってたかってやる競争が私はあまり好きではない。むしろ、誰もやっていないことを見つける楽しみが研究者を一番支える。』

 『今、科学が役に立つというのが数年後に企業化できることと同義語になっているのは問題。役に立つという言葉がとっても社会を駄目にしている。実際、役に立つのは十年後、百年後かもしれない。』

 『すべての人が成功するわけではないけれど、それがサイエンスのあり方。基礎研究を見守ってくれる社会になってくれたらうれしい。』

 上の言葉は、大隅さんが語った内容の一部です。最近の私たちは、大量の情報に囲まれて生きていますが、それに反して皆が同じような行動や生活を送っているようです。多くの選択肢の中で、どれが正解か分からない場合、差し当たり多数の考えに従う方が無難だという考え方が主流だからです。けれども、多くの人がやっていることではなく、誰もやっていないことを研究対象として成果を出した大隅さんの生き方を、私たちは今一度考える必要があります。

 日本の科学分野を今後も発展させ世界をリードしていくためには、すぐに成果が出て企業が潤う目先の分野に目を向けるだけでは問題があります。もっと長い目で基礎的な科学研究に投資や財源を当てるための、社会の支援と行政の取り組みが必要だという大隅さんの考え方に、私は共感を覚えました。

 ただし、大隅さんが語った内容について、少し違った考え方があることも述べておきます。国家プロジェクトとして、膨大な費用を投資して研究が進んでいるiPS細胞およびES細胞は、大隅さんの考えとは異なる考え方が含まれます。医者としてスタートした京都大学の山中教授が、ノーベル賞を受賞した時に強調した、苦しんでいる患者に少しでも早く研究成果を届けたいという熱意、これも事実だろうと思います。産学連携の典型例として、iPS細胞の研究とその応用を挙げることができます。こうした事実も否定すべきことではありません。

 置かれた傍流の地位にめげることなく、変人と呼ばれようが我が道を信じて研究を続けたら、実はその道が主流派に匹敵する研究分野だったという貴重な例を、今回の大隅さんが示しました。その当時、アカデミックな主流派から、徹底的に批判された印象派の作家たちの作品は、現在驚くほどの価格で取引されています。その反面、当時主流派だった人たちの作品は、いったいどうなったのでしょうか。歴史を振り返れば、そうした皮肉とも思える逆転劇は、枚挙にいとまがないことも事実です。



 
 『私たちは毎日、70~80グラムのたんぱく質を食べているが、たんぱく質を分解してアミノ酸という原料にしている。私たちの体内では300グラムくらいのたんぱく質が作られている。どこから来るかというと、私たちの体内ではたんぱく質が壊れてアミノ酸になって再利用されているのです。』

 大隅さんのノーベル賞受賞理由は、「オートファジー」と呼ばれる仕組みの解明でした。オートファジー (Autophagy) は、autoはギリシャ語の「自分自身」を表す接頭語、phagyは「食べること」の意味があり、細胞内のタンパク質を分解するための一つの仕組みのことです。

 細胞内で不要になったものは、廃棄物になるのではなく、再生産されて新たなたんぱく質になるという、とてもエコなシステムです。私たちが、大量消費・大量廃棄の生活から抜け出ようという現在、自らを形成している細胞内で、既にそうしたシステムが稼働しているとは驚きです。

 『今、なかなか自分の興味を伸ばすことが難しい時代になっている。「あれっ」と思うことが世の中にはたくさんある。そういうことの続きを大事にしてほしい。わかっているような気分になっているが、何もわかっていないことが世の中にはたくさんある。「えっ。何で」ということを大事にする人たち、子どもたちが増えてほしい。』

 大隅さんが述べたこの言葉の内容は、陳腐とも言えるほど指摘され続けています。そのことは、現状がそうした状況にないことを示しています。子どもたちを教える立場にある者こそ、常にそしてしっかりとこの言葉の意味を受け止めて、指導に役立てていかなければなりません。

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マッキーの教育:小学2年生と太巻きと飾り巻きずしを作る

2016年10月01日 | 教育

 

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 中学2年生の英語の教科書に、寿司が話題の文章が載っていました。寿司には、握り寿司・巻き寿司・ちらし寿司などがあり、巻き寿司にも細巻き・太巻きなどがありますが、家庭では飾り巻きずしがとても人気です。

 そこで、小学2年生の料理として、まず手始めに太巻きを作って巻き寿司の要領をマスターさせ、次に飾り巻きずしに挑戦することとしました。その英語のテキストのコピーを見せて、「こういう巻きずしを作ってみる?」と問いかけると、「うん、作ってみる!」と興味を示す反応。

 まずは、太巻きに挑戦です。出来上がりは、下の画像の通りです。具沢山なちょっと細めの太巻きが出来上がりました。子どもと一緒に作ってみて、小学生低学年の料理として、太巻きはとても良い学習材料だと感じました。



 次は、飾り巻きずしです。ネット上では、様々なレシピが載っていましたが、まずは最も基本的な花びら模様を作ることにしました。とても細い5本の細巻きを花びらにして、その中心におしべとめしべに当たる細巻きを1本作ります。それらを、太巻きの要領で巻いて出来上がりです。



 花びらは、デンブを混ぜたピンクと、鮭フレークを混ぜたオレンジを作りました。花の中心には、カニカマ錦糸卵タクワンを使ってみました。これだけの材料で、2×3=6種類の花びらと中心の組み合わせが可能です。それに、全体の味を引き締めるために、既に出来上がってパックされた、かんぴょうの煮付けとしいたけの煮付けを用いました。

 私自身は、かつて繰り返し太巻きずしを作った経験があります。小学2年生にとって、初挑戦でしたので、まだまだ出来上がりは上手だとは言えませんが、とても楽しんで料理をして、美味しく食べることができました。

 この花びら模様の飾り巻きずしを今度作る時は、花びらと中心の具材をさまざまに変化させれば、まだまだ楽しめそうです。また、もっと慣れてきたら、中心のデザインを、顔や動物や植物などにしたりカラフルにすると、お出かけのお弁当や、おもてなしの料理にもなることでしょう。

 子どもだけではなく、日頃料理をやらないお父さんも参加して、家族総出で飾り巻きずしに挑戦すれば、間違いなく楽しい時間を過ごすことができるでしょう。

 

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マッキーの教育:この夏、小学2年生と観た『ファインディング・ドリー』・『ルドルフとイッパイアッテナ』・『ペット』・『BFG』

2016年09月25日 | 教育

 

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 この夏に、我が家の小学2年生と観た映画の概要と、私の感想・評価をまとめてみました。無論のこと、同じ映画でも観る方によって評価は違うことを前提にご覧ください。私の評価の観点は、まず自身がその映画を楽しめたかどうか。それから、子ども向けのそれらの映画が、子どもたちの心に届き、面白いだけではなく、いろいろなことを考えさせる契機になったかどうかということです。いつまでも心に残って、内面から子どもたちを暖める映画を良しとしました。

『ファインディング・ドリー』



 『ファインディング・ニモ』の続編として制作された『ファインディング・ドリー』は、家族とは何なのかを教えてくれるアニメーション映画です。ファイティングではなく、ファインディングですから、間違いのないように。見つけるとか探しだすというストーリーから取ったのでしょう。

 前作は、人間に捕われたニモを救出する過程での、家族の絆と友情がテーマでしたが、今回の映画も、ニモとマーリンと共に両親を探す旅の中で、家族愛と友情が主題となっています。

 ミズダコのハンク、ジンベエザメのデスティニー、シロイルカのベイリーなど様々な海の生き物が登場して、ドリーを手助けします。そうした心温まる映画に仕上がっていて、家族で見に出かける映画と言えるでしょう。


『ルドルフとイッパイアッテナ』



 『ルドルフとイッパイアッテナ』は、斉藤洋の児童文学作品をアニメーション映画化した作品です。飼い猫だったルドルフが主人公で、間違って乗ったトラックによって、見知らぬ東京の下町・江戸川区まで来てしまいます。そこで、野良猫のイッパイアッテナと出会い、野良猫として生きていく知恵を学びます。

 イッパイアッテナは、元の飼い主から日本語の読み書きを習っていて、それをルドルフにも教えます。イッパイアッテナの協力を得て、かつて住んでいた場所が岐阜市であることを突き止めます。そして、岐阜市へ帰る方法を考えて、一匹で帰宅する冒険の旅に出ます。

 苦難の末にたどり着いた自宅には、自分とそっくりの黒猫が既に飼われていて、自分の居場所が無くなってしまったことを悟ります。自分が戻ったことを飼い主に告げずに、ルドルフは再び大都会東京に戻る決意をします。

 飼い猫が、飼い主によって如何に翻弄されるかを考えさせます。また、野良猫は野良なりの知恵を働かせて、しぶとく生き抜いていることを子どもたちは感じ取ることができるでしょう。猫の視点で、自分を取り巻く人間と他の動物を描写したアニメ映画で、子どもたちに観てほしい映画に仕上がっています。


『ペット』



 「ミニオンズ」のイルミネーション・エンターテインメントと、ユニバーサル・スタジオの共作長編アニメーション映画です。先に紹介した『ルドルフとイッパイアッテナ』と同様に、人間に飼われたペットたちが引き起こす騒動を描いています。

 「人間が仕事や学校に出かけている間、動物たちはいったい何をしてその一日を過ごしているのか?」・・・そんな疑問に応えるべく、私たち人間の知らないペットたちの生態と、人間から見捨てられた動物たちの葛藤が見ものです。

 『ペット』は、海外では大変ヒットしたそうですが、同様のテーマで描いた日本の映画『ルドルフとイッパイアッテナ』の方が、私には心に残る作品でした。


『BFG』:
ビッグ・フレンドリー・ジャイアント



 『チャーリーとチョコレート工場』などで知られるイギリス児童文学界の巨匠・ロアルド・ダールの「オ・ヤサシ巨人BFG」を原作に、スティーヴン・スピルバーグ監督がディズニー映画として制作したファンタジー・アドベンチャーです。最新のCGを駆使して、夢のような世界を映像化した、とても素晴らしい出来栄えの映画でした。

 ロンドンの児童養護施設で暮らしていたソフィーを、巨人BFGが「巨人の国」に連れ去る所からこの物語は展開します。「なんで私を選んだの…?」という好奇心旺盛な少女ソフィーの問いに、「キミがひとりぼっちだからさ」とBFGが答えます。

 やがてBFGが、心優しい巨人であることをソフィーは知ります。BFGの仕事場には、ドリーム・ジャー(瓶)に詰められた夢の数々が輝いています。BFGはソフィーを、夢が浮遊する幻想的な世界へ連れて行きます。BFGは夢の配達人として、夢を自在に調合して、人間の子どもに夢を届けていたのです。大きな耳で、至る所の子どもの声を聴きながら。

 善と悪、表層の姿と内面の心、勇気と行動力、家族の大切さなどがテーマとなっています。また、スティーヴン・スピルバーグ自身が、映画作品を通して、世界中の子どもたちに夢を届けていることと、BFGの行為が重なる映画でもありました。今回の映画作品の中では、BFGがスケールでも面白さでも一回り優れた
映画でした。家族で一緒に観ることをお勧めする映画です。

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マッキーの教育:リオのパラリンピックを観て思ったこと

2016年09月22日 | 教育

 

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 オリンピックだけではなく、リオのパラリンピックは、多くの人たちに様々な影響を与えて閉幕しました。いろいろな障がいを抱えた人たちが、その障がいを乗り越えて、全力で競技する姿に、私は感銘を受けました。NHKのパラリンピックに対する積極的な取り組みは、評価できます。公的な放送機関の役割を果たしたと言えるでしょう。

 ただ、障がい者の姿を見て、その姿に違和感を覚えた方もいるはずです。特に子どもたちは、そうした姿を見慣れていないために、異質な印象を受けたはずです。障がいのある人の割合を考えれば、私たちはもっと身近に障がい者を目にし、触れ合う社会であるはずなのに、そうではない現実があります。

 私たちの社会が、弱者に対する配慮が行き届いていたなら、障がい者の人たちは、今以上に積極的に外出して社会と関わり、健常者とともに活動できるはずです。そうすれば、障がいを抱えた人たちと、子どもの頃から頻繁に触れ合うことができ、弱者に対する認識が高まると考えられます。現状を前進させるために、例えば小中学生が障がい者施設を定期的に訪問し活動することを、学習の一環としてプログラムする積極的な取り組みなどが考えらえます。

 私の母は、市役所に長年勤めていましたが、私が小学生の頃、重症心身障害者施設に一時期勤務しました。それまで、脳性小児麻痺の人たちの、独特の動きや話し方に、私はとても違和感を持っていました。けれども、母からそうした障がいを抱える人たちの話を聞いているうちに、だんだんと偏見が無くなりました。そうした経験から、障がい者を身近に感じることが、障がい者を理解するうえで重要だということを知りました。



 パラリンピックは、その成績だけが目的ではありませんが、日本における障がい者を考慮したスポーツ施設や受け入れる社会の枠組みが、世界的なレベルでは低いことが、リオのパラリンピックのメダル獲得数で明らかになったと思います。

 金→銀→銅の獲得数で見れば、世界64位。メダルの総数で見ても、16位となっています。特に、ヨーロッパ諸国と比較すると、日本の低さが歴然とします。障がい者が、障がいのハンディを乗り越えて社会で活躍し、生きがいを見出せる社会が、今後ますます重要となるでしょう。

 弱肉強食の自然の世界では、身体的及び精神的に不具合を抱えた個体は、生き延びていくことが困難な場合が多いと思われます。ただし、重度の先天的障がいのある野生チンパンジーの赤ちゃんを、 母親や姉が家族ぐるみで育てていた様子を観察したと昨年発表があり、私は驚きました。社会的な生活を営む高等生物は、そうした障がいのある個体を見捨てないということでしょう。

 弱者の切り捨て全てを自己責任にしてしまう社会、ホリエモンに代表される拝金主義、ネットで飛び交う言葉のデッドポール、精神的にも道徳的にも日本が、廃頽した政治と社会になってはいないでしょうか。社会的弱者に追い込まれた人たちに、私たち日本人は伝統的に気配りをする社会環境があったはずです。自分だけ良ければ他はどうでもよいという考えを捨て、現在の社会のあり方を省みる必要が私たちにはあります。

 パラリンピックは、多くの人たちに、障がい者に対する社会や自分自身のあり方について考えさせた一大イベントでした。

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マッキーの教育:今年も鈴虫を飼う

2016年09月09日 | 教育



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 今年も、私の写真師匠、元産経新聞編集委員の田中さんから、7月の下旬に鈴虫を頂いてきて家で飼っています。8月に入ると、複数の鈴虫が鳴き始め活発に活動し、9月に入ると少しずつ弱ってくるように見えます。

 田中さんは、毎年上手に鈴虫の卵を越冬させ、6月中頃に孵化させます。その数がとても多いので、知り合いに孵化した鈴虫をお分けしています。毎年、ミス無く孵化させていますので、田中さんは、とてもまめな性格なのでしょう。



 きゅうり・ナス・キャベツ、それにタンパク質を含む金魚の餌を鈴虫はたいへん好みます。動物性のたんぱく質が不足すると、共食いの原因にもなります。鈴虫は餌から水分を補給しているので、あまり水をやらない方が良いと私は思っていました。しかし、いつも鈴虫の世話をしている小学2年生が、霧吹きで水をやると、その水に鈴虫が集まってきて水を飲んでいると話していました。人間と違うんだから、あまり水をやり過ぎないように!

 鈴虫は、8か月ほど卵で過ごし、孵化して2ヶ月間幼虫期があります。ただし、鈴虫は不完全変態ですので、小さい頃から、鈴虫の形をしています。鈴虫は、その後およそ2ヶ月間成虫として繁殖期に入ります。鈴虫は昆虫の特徴である4枚のはねを持っていますが、成虫になると後ろばねを落とし、2枚ばねになります。成虫になったオスは、その2枚のはねをすり合わせて、鳴き始めます。

 ちなみに、昆虫の特徴は、頭部,胸部,腹部の3つに分かれている・外骨格を持っている・胸部に3対6本の足と多くの昆虫は2対4枚の羽を持つ・気門から空気を取り入れ気管で呼吸する・触角と複眼を持つ、などです。



 鳴いているのはオスだけで、 「オスは鳴いてメスにアピールしているんだよ。」と、しきりに2年生は私に話しかけてきます。自分の存在をアピールできないオスは、生存競争で負けてしまうのか。

 虫の音・・・季語としては「秋」が正解です。月・天の川など天体に関する言葉も、秋の季語となります。論理的に考えれば、冬の方が明らかにそうした天体を観察するには、絶好の季節です。ただし、その美しさを愛でるには冬は寒過ぎ、秋が最も適していたから秋の季語となったのでしょう。

 夏の終わりに虫の音を聞くと、秋がやってくるのだと、季節の移り変わりを実感します。季節は、私の意識よりも素早くそして確実に巡ってきます。それでも、時間を一時止めて、静かに鈴虫の音に聞き入る、そんな心の余裕がほしいものです。中秋の名月を見ながら、虫の音を楽しむそんな季節がやってきます。(今年の中秋の名月は、9月15日です。)




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マッキーの教育:上野の科学博物館見学

2016年08月22日 | 教育



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 「博物館へ連れていって!」・・・我が家の小学2年生は、とても博物館が好きです。遊園地などには連れていったことがないので、この子にとっては、博物館が遊園地の楽しさを兼ねているようです。

 年に数回訪れる上野の科学博物館へ、講習会の中休みの8月12日に出かけました。昨年リニューアルされた地球館は、以前と比べて格段に面白くなりました。その理由は、体験型展示が増えたからです。

 以前から私が指摘しているように、多くの博物館は、子どもたちにとって貴重な学習の場となっています。展示されたものを見て回るだけではなく、体験・体感して初めて興味がわくのが子どもです。その特性を考えれば、体験型展示のより一層の拡充と研究が必要です。

 多くの公的な博物館の責任者は、役人の天下りポストですので、極めて世情に疎いのが現実です。こうしてブログに博物館で感じたことを綴っているのも、博物館の展示が確実に改善されるよう促す側面もあります。





 子どもにとって、操作方法の解説が不親切で分かり辛いものもかなりあります。体験型展示のポイントは、体験する意図を明確にして、やってみようと思わせること、そして操作方法が子どもにも分かり易く説明されている必要があります。そして、受動的な学習から能動的な学習に変換する必要があります。以前よりも良くなったといえども、まだまだ研究の余地は多いと私には思えます。







 骨格標本も豊富で見ごたえのある展示です。ただし、子どもにとって恐竜の骨格標本以外は、あまり興味を示さないようです。展示前のモニターが空いていれば、子どもたちは必ず操作しようとします。実際の展示物よりも、自分で操作して情報を得ようとします。明らかに能動的な行動を、子どもたちはとろうとします。一番下のコンピュータで映像をコントロールする展示など、自分の動作に対してリアクションのある展示は、子どもが興味を示します。体を動かし、ある時は試行錯誤して体験するワクワク感が大切で、単なる遊びではなく遊びながら学ぶ展示が理想でしょう。







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マッキーの教育:ソラマチにある「すみだ水族館」見学

2016年07月19日 | 教育



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 東京スカイツリーの足元にあるソラマチには、 「すみだ水族館」が併設されていて、意外と賑わっています。かつて、池袋のサンシャインシティにも水族館があり、同じ高層ビルにあるプラネタリウムとともに、上の子どもたちをよく連れていきました。

 我が家の小学2年生は、できて間もない頃から、このすみだ水族館を度々訪れていますが、私は今回が初めてでした。おまけに、ソラマチさえも、今回で二度目でしたが、都内の名所として外国からの観光客を含めて大勢の方が訪れていました。

 すみだ水族館は、コンパクトな空間に、きめ細かな工夫がなされていますので、いわば美術館的な動線空間を楽しむことができるようになっています。この水族館の特徴的な展示で、まず挙げられるのは、クラゲです。海水浴や海釣りなどで見かける、やや元気のなくなったクラゲを想像すると大間違いで、水流もあるのでしょうが、けっこう活発に活動しています。種類にもよりますが、機敏な動物的な動きをしているものもあります。また、ゆらりゆらりとおっとりとした動きのクラゲは、展示照明に光り輝いて、心和ませるものがあります。









 後は、チンアナゴ・ニシキアナゴなど数種類のアナゴをじっくりと観察できるのも、この水族館の特徴の一つでしょう。

 下の画像で、白地に黒い斑点があるのがチンアナゴ、薄い黄色に白のストライプが入ったのがニシキアナゴです。

 決まった時間になると、アナゴの水槽の上部から、餌が撒かれます。アナゴたちは活発にその餌を食べますので、その生態をじっくりと観察することができます。





 下の画像は、ウミキノコです。腔腸(こうちょう)動物門花虫綱八放サンゴ亜綱ウミトサカ目ウミトサカ科サルコファイトン属の海産動物の総称です。暖海のサンゴ礁域浅海に多産し、日本でも紀伊半島以南の浅海の岩礁上にも見られるそうです。



現在、すみだ水族館では、特別展示として様々な種類の金魚を多数見ることができます。







 大水槽には、様々な魚が一緒に泳いでいます。相性の良い魚を集めたのでしょう。君の後ろに、巨大なサメが近づいてくるよ!もう一つ特別展示として、最近生まれたペンギンの赤ちゃんを見ることができます。とても人気なので、見るためには、長い行列の後ろに並ぶ必要があります。





 ゆらりゆらりと泳ぎ回るクラゲを見ていると、とても癒され、また外の夏の暑さを忘れさせてくれます。クラゲのように、あまり目的を持たずに、ゆったりと慌てずに水族館の中を歩けば、日ごろの忙しさを少しばかり忘れることができるでしょう。

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マッキーの教育:小学2年生と観た 「アーロと少年」・「ズートピア」・「アリス・イン・ワンダーランド」

2016年07月07日 | 教育



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 今日は、我が家の小学2年生と観た最近の映画について感想をまとめます。「アーロと少年」・「ズートピア」はアニメ映画で、「アリス・イン・ワンダーランド」は実写とモーションキャプチャ技術を駆使した作品です。

 映画を観に行くと、映画館に公開予定作品が様々な手法で紹介されています。「次は、これを見たいなあ。」・・・当然、子どもはこうした反応をします。ということで、これらの映画は子どもの希望で観に行くことになった映画です。ただ、「アリス・イン・ワンダーランド」だけは、私の希望も加味した結果です。


 『アーロと少年』



 「アーロと少年」は、2015年のアメリカ合衆国の3Dコンピュータアニメーション・コメディ・アドベンチャー映画です。恐竜の絶滅は、地球に隕石が衝突したために起きた環境の変化が原因だったというのが、最近の定説です。ところがこの映画は、もしもこの隕石衝突が起きなかったらという仮説で組み立てられたフィクションを、アニメ化した映画です。

 隕石衝突による絶滅を免れた恐竜が、言葉を話し農耕などの文化も発達させた世界が設定されています。逆に人間は、言葉を持たずに原始的な暮らしをしています。そうした世界で、ある出来事で家族と離れて未知の土地をさまよっていたアパトサウルスのアーロと、原始人の子供・スポットとの出会いと交流を描いた映画です。

 始めは反目していた二人でしたが、やがて友情が芽生え、家族を探す冒険の旅を続けます。この映画の主題は、反目した間柄でも、相手を認め合うことにより、友情が芽生えるものだということや、家族の大切さ・友情の大切さを伝えることだと思われます。様々な試練が、この二人を成長させていくストーリーとなっています。

 コンピュータを駆使して制作されるアニメーションのリアルな表現力は、日進月歩と言って良いでしょう。より臨場感あるアニメの中に、子どもたちは引きずり込まれて、夢中になっていました。子どもは、仮想と現実の間の垣根がとても低いことが分かります。

 

『ズートピア』



 この映画は、動物たちが高度な文明社会を築いた世界「ズートピア」を舞台に、ウサギの女の子ジュディが夢をかなえるために奮闘する姿を描いたディズニーアニメーションです。

 体形も大きさも異なる動物たちは、その条件に合った役割を担うことを暗黙の了解としていました。ウサギは、農場でニンジン作りに従事するのが務めでしたが、それに飽き足らないウサギの子・ジュディは、大きくて強い動物だけがなれる警察官に憧れ、その夢を実現させるために、警察学校へ入り、トップの成績で卒業します。

 ところが、警察官になってみれば、世の中はそんなに甘くなく、ジュディの能力を認めてくれません。そんなジュディがキツネの詐欺師・ニックと出会い、動物社会を揺るがすこととなる「カワウソ行方不明事件」を解決するために奮闘します。

 自分の生きる道は、自分で決める。決めた道を簡単に諦めないで、努力を積み重ねる。・・・そうすれば、自ずと道は開かれる。・・・そんな教訓を子どもたちに伝えようとした映画でした。

 「ズートルビ」とかいうバンドがあったけれども、「ズートピア」という映画の題名はおかしな命名だなと思いました。けれども映画を観終わた後、「ズー」は動物を、トピアは「ユートピア」を指し、その二つを合成して「ズートピア」としたのだろうと、私は理解しました。

 外国の子ども向けの映画は、極めて教育的な配慮がなされていると感じています。「売らんかな」の思惑で作った日本のアニメよりは、外国の映画は、安心して子どもに見せることができる映画が多いように感じます。「クレヨンしんちゃん」と「ミッフィ」の違いほど、その差は歴然としています。

 子どもを対象とした映画ですので、動物が演じることにより、訴えたいことがより分かり易く伝わったのではないでしょうか。また、コナンのような推理アニメの要素もありますので、子どもを連れて行った親も楽しめるアニメに仕立てられています。


『アリス・イン・ワンダーランド』



 ルイス・キャロルの児童文学小説『不思議の国のアリス』・『鏡の国のアリス』を原作に、その後日談的なストーリーとして再構成された映画です。「アーロと少年」「ズートピア」のアニメと異なり、観客は子どもだけではなく、年齢層が広い印象を受けました。

 不思議の国での冒険から13年が経ち、19歳となったアリス・キングスレーの話です。ある日のこと、アリスの母と姉が極秘裏に企画したアリスの婚約パーティに出席します。アリスは、貴族の御曹司・ヘイミッシュから求愛されますが、混乱してその場から逃げ出してしまいます。

 アリスはチョッキを着た白ウサギを追って、幼少時代に訪れた不思議の国へ再び迷い込みます。そこでかつて出会ったマッドハッターチェシャ猫達と再会します。けれども、不思議の国は13年前とは一変し、赤の女王に支配された暗い世界と化していました。

 アリスはかつてここを訪れた事を夢だと考え記憶を失くしていました。自分が預言書に記されている「救世主」だと知らされ、この世界を赤の女王の支配から解放するため、赤の女王の妹である白の女王やマッドハッター達の力を借りて、赤の女王に戦いを挑むことになります。

 アリスの世界は、夢の世界だったのか、あるいは現実の世界だったのか、極めて不思議な設定です。ピーターパンシンドロームという言葉が流行ったことがありました。モラトリアム症候群とも考えられる病理ですが、アリスの世界もちょっとそうした要素を含みます。

 ジョニー・デップが演じるマッドハッターが、独特の雰囲気を醸し出して、大人も楽しめる映画となっています。半分人間で半分時計のタイムと出会い、「時間には逆らえない・過去は変えられない」という忠告を受けますが、アリスは過去へ遡って奮闘します。

 「不思議の国」で、目一杯不思議な体験を楽しんで共有できる以前の少女アリスの映画から、夢なのか現なのか判別不能の世界で、大人の自立したアリスが、困難に立ち向かいながら諦めずに意志を貫いていくファンタジー映画として、子どもも大人も楽しめる映画に仕上がっています。

 「ファインディング・ニモ」、そのニモの友達ドリーが主役の映画『ファインディング・ドリー』の予告が、至る所で見受けられます。子どもたちの世界に、その情報は瞬く間に行き渡ります。そこに、最新の情報に遅れまいと飛びつく消費者と子どもたちの生態を見ることができます。そして、映画が封切られる前に、ユニクロではドリーのキャラクター商品が並び、話題と流行は企業の思惑通り形成されていくのです。

 「忘れんぼうのドリーが、ただひとつ忘れなかった<家族の思い出。 その謎を求めて、ニモとドリーの奇跡の冒険が始まる。」・・・というフレーズが、またまた子どもたちを引き付けているようです。

次は、この映画か!

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マッキーの教育: 江戸川乱歩全集の思い出

2016年03月23日 | 教育



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 ふと思い出す書籍があります。小学1年から3年まで同級だったS君の家は、小さな食堂を営んでいました。S君は、とても本好きで、知識の豊富な少年でした。私は彼の家へよく遊びに行きました。店の上にある彼の部屋には書棚があり、そこには様々な本が並んでいいたのです。特に私の目を引いたのが、全巻揃った少年探偵・江戸川乱歩全集(26巻)でした。ふとしたことで脳裏によぎる本とは、この江戸川乱歩全集のことです。



 私は、彼の家へ行く度に、その江戸川乱歩の全集の中から1~2冊選んで、借りるようになりました。彼の書棚を、図書館代わりにしてしまったわけです。夜寝る前の布団の中や、家族で行った海水浴の時でさえ持って行って、汽車の中でゾクゾクしながら夢中で読んだ記憶があります。

 小学2~3年生でしたが、まとまった読書は、この本が始めてでした。挿絵もあったと思いますが、頭の中で想像した情景が、一層夢中にさせる理由だったと思います。小学1年の時、我が家では比較的早くテレビを購入しました。それ以前は、ラジオの時代です。私は、ラジオドラマの赤胴鈴之助・一丁目一番地・少年探偵団などを、毎日決まって聞いていました。幼稚園生またはそれ以前でしたが、ベビー箪笥の引き出しを引っ張り出して、階段代わりに登って、その上のラジオのスイッチを入れたことを覚えています。

 怪談などは、テレビよりもラジオや噺家の語りを聞いている方が、怖さは増すように思います。際限なく怖いイマジネーションができるからです。この本を読んだのは低学年でしたから、どこまでも怖い想像ができたので、私にとって江戸川乱歩全集は圧倒的に面白い読み物でした。夢中になれたので、さほどの期間をかけずに、私はその全集を読破しました。

 教師や親が指定した推薦図書を、気乗りせずに読むよりも、自分の気に入った本を読ませた方が、子どもの読書習慣は身につくと考えられます。読書習慣ができれば、必然的に読む本の内容は向上します。子どもの読書は、それで良いのではないでしょうか。



 その頃同じように、よく遊びに行った友達のI君の家は、紙問屋を営んでいました。彼の家には、漫画本がいっぱい揃っていました。そこで読んだマンガの中で、今でも記憶に残っているものが「のらくろ」です。漫画本は、借りて家で読むことはなく、もっぱら彼の家へ行った時の楽しみの一つでした。

 のらくろは、田河水泡のマンガ作品で、主人公は野良犬のらくろ。マンガは、やがて塚治虫の鉄腕アトムの時代に移っていきます。そして、トキワ荘に集まった手塚治虫・石森章太郎・藤子不二雄・赤塚不二夫が活躍する時代となります。怒涛の勢いで、才能ある漫画家が活躍を始め、現在の日本のアニメの礎を築きました。

 現代日本を語るキーワードとして、マンガは欠かせません。マンガは、それほど世界的に影響を与えた日本発のサブカルチャーと言えるでしょう。けれども、子どもの読書習慣を考えた時、安易に読んでいるマンガには、弊害があるようにも感じていました。

 ただ、そのことに関連して、最近ちょっとした驚きを感じたことがあります。我が家の小学1年生は、いろんな本を読むことが好きです。マンガも「妖怪ウオッチ」を第九巻まで買って読んでいます。最近買った第九巻の中に出てくる気に入ったセリフを、彼女は私に教えてくれました。

「そうです! だれにも気づかれないのは 存在しないも同じ! やがて消えゆく運命なのです!」
「なに得意気に かなしい自慢しているニャン!」
「もっと自分に 自信を持てば 人生は変わるニャンよ!」

 マンガは、吹き出しのセリフと、画像による視覚的な情報により、物語が展開します。ですから、小説を読む場合と異なり、マンガでは文章を咀嚼して読み取る作業は省略され、画像で多くを一瞬で理解することが多いと考えていました。マンガをどれだけ読んでも、国語力は付かないのは、そのせいだと思っていました。

 けれども、けっこう難しい言葉遣いや心情を、小さい子どもでもすんなりと理解する、そんな力をマンガは持っているようです。学習関連書籍に、とても多くのマンガ主人公が登場するのは、そうしたマンガの効能を利用しているのでしょう。

 最近の子どもは、マンガが架空の世界と知っていても、その中からそれなりの知識を得ていることに気付きました。多くの書籍や映画で人気のファンタジーも、空想の世界であることを知りつつ、そのファンタスティックな世界で夢中で遊ぶことができます。私が低学年の時に読んだ江戸川乱歩全集は、私を空想の世界で遊ばせてくれたアイテムだったのでしょう。

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マッキーの教育: 映画ドラえもん「新・のび太の日本誕生」

2016年03月11日 | 教育



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 「ドラえもん」は、子どもたちにとって、長い間超人気マンガであり続けています。1989年公開で、シリーズ中で歴代1位の動員数を記録した「ドラえもん のび太の日本誕生」をリメイクした「新・のび太の日本誕生」が封切られました。



 私がドラえもんを知ったのは、私の教室の子どもたちの会話からでした。その子どもたちは、私が大学を出て間もないころに教えた生徒たちです。その子どもたちは、既にお父さん・お母さんとなり、次の世代の子どもたちも成人していると思われるほど、時間は流れました。それを考えても、長い間ベストセラーとなっているキャラクターが、ドラえもんだと実感します。



 我が家の小学1年生のたっての希望により、6日の日曜日、この映画を観に行きました。この映画の内容は、家でも学校でも上手くいかないのび太が家出を決意することから、この物語は始まります。ドラえもん・しずか・ジャイアン・スネ夫も、各々の理由からのび太と同じく家出することを決めます。

 現代には、5人の家出した子どもたちを受け入れてくれる場所はありません。そこで、5人は7万年前の日本タイムマシンを使って、時空を超えて出かけます。その7万年前の日本を舞台に、5人が繰り広げる大冒険を描く映画でした。

 この物語では、ドラえもんたちの行動が、日本に現世人類が出現する契機となったことになっています。すると、日本列島に人間が住み始めたのが7万年前ということになります。日本に人類が住み始めた年代には、様々な説があります。一つの説として、7万年前を設定したのでしょう。

 ドラえもんの「ひみつ道具」の1つである
タイムマシンを使い、5人は時間の流れを遡って旅するわけですが、ドラえもん自身も、22世紀の未来からやってきたネコ型ロボットという設定です。子どもにとって、ドラえもんがポケットから取り出すひみつ道具が、とても興味深いもののようです。その奇想天外な発想がとても面白いのでしょう。そして、あったらいいのにと思っている道具を、ドラえもんたちは、物語の中で次々と実現していくことが、痛快に感じるようです。

 我が家の1年生も例外ではなく、分厚い「ひみつ道具大事典」を、いつまでも寝ないで読んでいて、叱られています。この部類の事典は、様々ありますが、上の子どもたちもそうでしたが、細かい字を苦にしないで、飽きずに読んでいます。大人には、ちょっとした驚きです。



 のび太は、学校でも家庭でも、日ごろは勉強が嫌いで、おっちょこちょいで、要領が悪い子どもです。けれども、人に対して親切で思いやりのある子どもでもあります。また、時に正義感溢れる少年に変身することがあります。

 ドラえもん自身も、万能ロボットではなく、極めて人間的な行動をするロボットです。物語の中では、ロボットというイメージは薄れて、子どもたちの中に溶け込んでいます。どこにもいそうな子ども友達のようなドラえもんが主人公であることが、発想と想像豊かな子どもたちに、とても人気のある理由だと考えられます。

 ミッフィー・ムーミン・スヌーピーと同様に、ドラえもんは、親が子どもに安心して見せることができるアニメです。教育的配慮が為されていると言えば、興ざめしてしまいますが、大人が見ても、主人公を含めた子どもの世界が、心温まるものであることを再認識することができます。

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