「マッキーのつれづれ日記」

進学教室の主宰が、豊富な経験を基に、教育や受験必勝法を伝授。また、時事問題・趣味の山登り・美術鑑賞などについて綴る。

マッキーの山登り:今年の山菜山行

2017年04月25日 | 日帰りの山登り



 
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 本格的な春がやってくれば、お花見などを理由として、多くの方が屋外で食事やお酒を楽しむ気候となります。4月23日(日)、私の山菜師匠・山縣さんとその友達の新ハイのKさんと、小学3年生の娘と私の4人で、恒例の山菜採りに出かけました。

 山縣さんのグループは、ある場所で山菜採りを長年行っていて、その中心メンバーが八十代を越えてしまっていて、最近は参加されていません。私は新参者ですが、それでも十年ほどこの春の山菜採りを楽しみに参加しています。

 比較的都内から近場で、モミジガサ・ハナイカダ・ミツバ・ヤブレガサ・ゼンマイ・タラの芽などが十分に収穫でき、採り立ての山菜を酒の肴に、宴会場と呼んでいる山の中腹で宴を楽しみます。今回、カメラの記憶媒体との接続不良で、撮った画像が見当たらずに、ブログにはわずかな画像となります。

 地下鉄新宿線が人身事故でダイヤが乱れ、予定していた新宿駅でホリデー快速に乗車できずに、私たち2人はだいぶ遅れて目的地の駅にたどり着きました。駅からしばらく舗装道路を歩き、山道に入ると至る所にヤマブキが枝垂れるように咲いていました。

 林道の道端には、ミツバが生えていて、早速それを採りながら進みました。モミジガサは、東北地方ではシドケと呼ばれ、最も人気のある山菜です。モミジガサは、葉が開く前は傘のように折りたたまれていること、葉が開くとモミジ葉の形に似ていることからそう名付けられています。独特の香りと苦みがあり、おひたしにすれば、野菜にはないほろ苦さと歯ごたえは、山菜を食べた実感を得られます。ヤブレガサの葉が広がる前の状態のものも、山菜として食べることができます。





 宴会場の周囲は、黄緑色の新緑で囲まれていました。今回のメインディッシュは、「山菜すき焼き」です。牛肉とたっぷりの山菜を入れて食べる料理は、酒も適当に回って、とても美味しく食べることができます。3年生は、飛んできた甲虫が気になり、戯れていました。







 このグループは、おにぎりを各自1個程度出し合って、様々なおにぎりが混ざったチャーハンを作って食べることが伝統となっています。云わば「闇鍋」の趣向の食べ方です。自然の中で食べる食事やお酒は、周囲のシュチュエイションが特別な調味料となって、その美味しさを倍加させます。

 登山路の足元には、様々な植物が花を咲かせています。下の画像は、イカリソウマムシグサの花です。家庭でも、しばらく山菜を食材とした料理が続きます。





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マッキーの『四季を楽しむ』: 今年の新宿御苑の桜

2017年04月20日 | 四季の植物と風景



 
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 4月16日(日)、新宿御苑の桜を見に出かけました。今年の都内の桜は、例年に比べて満開の時期が遅く、かつ天候が悪かったために、長々と咲いています。

 新宿御苑・新宿口は、今まで経験した中では最も混雑していました。入場券を買う前に、お酒等の持ち込みをチェックするカウンターが設置され、まずそこで長い行列ができていました。今まで天候が不順でしたので、その日に多くの人が集中した結果だろうと思います。



 ちょっと木陰の小道に入ると、周囲は淡いグリーンの世界です。いよいよ新緑の時期がやってきました。足元には、ムラサキハナナの花も咲いていました。ツバキの花も、そして桜の花も咲いています。







 小学3年生に指差しながら、「この花の名前は?}と聞いてみました。「シャガでしょ。」 シャガの花も咲いています。柳の枝が風に揺れ、その清々しさが嬉しくなる季節がやってきたのだと感じました。





 上の画像はツツジの花です。下の画像は、リキュウバイ(利休梅)の清楚な花です。別名がウメザキウツギと言いますが、ウツギの季節も間近です。春の植物は、加速して私の前を過ぎ去っていくようです。



 今御苑に咲いている桜は、枝垂桜や八重桜が主体です。桜の花の下では、シートを敷いてお花見の家族やグループが楽しんでいました。原則的には、酒類の持ち込みは禁止で、最初にお話ししたように入り口では荷物のチェックさえもしています。ただ、チェックは甘いので、お酒を飲んでいる人も稀ではありませんが、歌えや踊れやの酒盛りは、無論できません。家族で、お弁当を広げて楽しむ程度が、御苑のお花見です。









 上のちょっと緑が入った白っぽい桜がウコンという種類の桜です。下の濃いピンクの花が、関山という桜です。いずれも、八重咲の桜です。





 上の桜は、秋と春に二度咲く十月桜の花です。下の画像は、桜の花びらが川面に浮かんでいる風景です。こうして桜が散れば、百花繚乱の本格的な春の到来です。様々な花を楽しむことができる季節です。どうぞ屋外の散策を楽しんでください。





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マッキーの随想:「鉛筆なめなめ」と「忖度」

2017年04月10日 | 時事随想



 
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 「鉛筆なめなめ」は、子どもの頃、母親から体に悪いからダメだと言われたことをまず思い出します。一生懸命に書いている様子とも受け取れる言葉です。基本的には、考えながら苦労して書くという意味で使われます。最近報道で使われた 「鉛筆なめなめ」などについて、今日は綴りたいと思います。

 「森友学園は小学校の建設費について金額が異なる3つの契約書を国や大阪府などに提出していて、補助金を受け取るため偽造したのではという疑惑が浮上していますが・・・・・・」という質問に対して、森友学園の理事長・籠池康博氏の妻である諄子さんの返答が以下の内容です。

 「少しでもちょっと、多めにいただきたいと思って、“鉛筆なめなめ”をしたのかもしれませんが。そうですよね、園長。でも本当に悪気はないんです。」

 ここでの「鉛筆なめなめ」は、帳尻を合わせるために、文面や数値を偽装することを指す言葉として使われています。この一件で「鉛筆なめなめ」は、今後悪い意味で使われる言葉となってしまうでしょう。夢中で問題を解いている間に、子どもが鉛筆をなめなめしてしまうなら許されるでしょう。しかし、鉛筆をなめなめしながら、書類を偽造してしまう行為は、「悪気はないんです」という言い訳では通用しません。

 もう一つ、最近の報道でよく使われる忖度」(そんたく)という言葉で、私が思ったことを綴ります。

 民進党の福山哲郎参院議員は、国会でこう述べました。『安倍昭恵夫人が名誉会長に就任している小学校を、手続きが出来ないからと言って先送りなんかして開校を延長したら、もし学校の認可を先送りにしたらそら 昭恵夫人に恥をかかしたのかと、安倍総理に恥をかかしたのかと、近畿財務局だって財務省だって忖度するでしょ!』

 「忖度する」とは、相手の立場を考えて物事を行うことという意味で使われます。気遣いをするとか気を利かせるといった言葉で置き換えることができます。口頭で言われる前に、相手を推し量って考慮することは、日常においては必要なこともあるでしょう。けれども、行政が政治家の立場を考慮して基準を代えて仕事をしたら、これは問題です。けれども、こうしたことは日常茶飯事で行われていることでもあると考えられます。かつては、もっとひどかった状況でしたが、未だに改善されていないことを、多くの方は認識したと思います。

 そこで、行政に暗黙の圧力をかけて忖度させた政治家が悪いのか、または関係する政治家を思いやって忖度した行政担当者が悪いのか、どう私たちは判断したらよいのでしょうか。ただし、行政の現場では、人事評価に対する政治的な圧力を感じて、行動しなければならない状況もあり、純粋に忖度という言葉で片付けられないことも確かです。

 内閣総理大臣は、日本国において行政権の属する内閣の首長ですので、行政の現場では意向の配慮がなされる可能性を理解して
、安倍首相は行動することが必要ですし、その奥様である昭恵さんも、同様に考えるべきでしょう。行政の担当者が、政治家の意向を忖度し、鉛筆をなめなめ規定を踏みにじる行為は、許されません。籠池康博氏が鉛筆をなめなめ書類を偽装したことよりも、構造的に遥かに罪深い問題です。

 こうした問題を、「記憶にございません」・「文章は廃棄しました」・「鉛筆をなめなめ」・「忖度した」などとあいまいな言葉でうやむやにすることなく、明確な結論を出してほしいと思っている方は多いと思います。
今回使われている「忖度」とは、「行政担当者が、政治家の意向を汲んで、法律上外れた行為を行うこと」と定義することができるでしょう。

 行政担当者は、その結果犯罪的な行為に手を染めるリスクと精神的な負担を負いますが、人事その他の利益を期待しての選択であることは確かです。忖度によって得られた行政的な行為の結果は、無論政治家にも利益を与えます。今回の事案を通して、こうした政治家と行政との馴れ合いを、徹底的に検証する機会にしてほしいと思います。

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マッキーの教育:映画「モアナと伝説の海」を観て

2017年04月05日 | その他



 
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 3月26日(日)、小学2年生の娘と映画を観に行きました。春休みであること、天候が良くなかったことなどから、映画館は大変な混雑でした。観た映画は、「モアナと伝説の海」です。



「モアナと伝説の海」の概要

 「アナと雪の女王」や「ズートピア」など、ヒット作を連発するディズニー・アニメーション・スタジオが、南の島と大海原を舞台に描いた長編アニメーション。「リトル・マーメイド」「アラジン」のロン・クレメンツ&ジョン・マスカーが監督を務め、海を愛する美しい少女モアナが、島の危機を救うために冒険を繰り広げる。かつて世界を生んだ命の女神テ・フィティの心が、伝説の英雄と言われたマウイによって盗まれ、世界に闇が生まれた。それから1000年にわたり、モアナの生まれ育った島モトゥヌイでは、外洋に出ることが禁じられていた。そんなある時、島で作物や魚たちに異変が発生。海の不思議な力に選ばれた少女モアナは、いまもどこかで生きているマウイを探し出し、テ・フィティの心を元あった場所に戻すことができれば世界を救えると知り、父親の反対を押し切り大海原に旅立つ。



 この映画は、かつてアメリカが持っていたフロンティアスピリットを、子どもたちに再び取り戻そうといった趣旨を感じました。また、「アナと雪の女王」と同様に、ミュージカル仕立てになっていて、美しい映像と音楽を融合させて観客を魅了するテクニックには、流石ディズニーの力量を感じました。このミュージカル仕立てのアニメは、長い伝統の上に築き上げられた成果なので、日本ではこうしたアニメを作成することは、未だにできないだろうと思いました。

 私たちの祖先は、遠くアフリカの大地で産声を上げ、幾多の困難を乗り越えて地球全体にその生活の場を確保しました。連続する陸地以外に、太平洋に散在する島々にも、海を越えて彼らは冒険の旅に出たことでしょう。その成功には、海の意思が働いたと考えるのも無理はありません。少女モアナが、冒険の旅に出るにあたり、海に選ばれたという設定に、その対応が見られます。

 日本のアニメよりも、外国のアニメには、子どもに対する教育上の配慮を強く感じます。今回の映画は、自分の殻を打ち破り、果敢に挑戦する大切さが語られています。フロンティアとは、例の西部開拓精神だけではなく、様々な未開で困難な分野に果敢に挑戦することだと思われます。ジョン・F・ケネディの「ニューフロンティア」などが、そうした例として挙げることができます。トランプが大統領になった弊害が問題となっていますが、こうした時だからこそ、再びアメリカにフロンティアスピリットが必要だと考えることもできます。アメリカにおいて、この映画が高く評価されている理由が、そうしたことを背景にしているように思います。

 土着的な少数民族に対する評価の高まりや、バナキュラーな文化の持つ自然との協調性やエネルギーは、現代の先進国が学ぶべき点が多いと考えられるようになりました。そうした背景も、この映画にはあると思われます。私にとって一番印象的な場面は、少女モアナが自信を喪失しそうになった時、モアナのおばあさんが幻として登場し、勇気づけるところでしょうか。このように、人類は子から孫へ、そしてずーと続く子孫まで、DNAを受け継いだだけではなく、その意思も引き継いできたのでしょう。

 劇中楽曲「レット・イット・ゴー」が歌うように、「ありのままの自分」を肯定して生きる内容の「アナと雪の女王」に対いて、「モアナと伝説の海」では、様々な障害を乗り越えて自分の生きる道を切り開く意思の強さがテーマでした。ただ、その我が道を乗り越えていく過程で、様々な人たちの援助が必要なことも語っています。子どもがどれだけ理解するかは別として、大人も楽しめる映画として、素直に良い出来の作品だと思いました。


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マッキーの教育:有害な外野の雑音

2017年04月01日 | 教育


 
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 個人が、多数の人に向けて自分の考えを発信できるようになると、クレイマーの存在が問題となります。教育に関することでも、知識が無い人が、指導に関してクレームを発信することも多くなりました。そうした点でも、学校教師にとって、大変な時代になったといえるでしょう。

 また、学術経験者という立場にある者が、教育現場にいい加減な注文をするといったことも増えました。その結果、文部科学省の指導方針がぶれるといったことも起きています。「聖徳太子」「鎖国」など、方針が示された途端に修正が入るなどは、そうした例の一つでしょう。

 ところで、脳科学者と名乗っている茂木 健一郎が、コメントした内容に、黙認できない問題があることを今回綴りたいと思います。この人物は、科学者というよりは、バラエティ番組に頻繁に出ているタレントといった方が正確です。医学部出身でもないのに、何で脳科学者なのか?また、茂木 健一郎悪質な脱税行為を行い問題となった人物でもあります。私は、以前から如何わしい人物と感じて、彼の考えには懐疑的な見方をしてきました。現場の教師は、こうした人物のクレームに惑わされる必要はありません。

 まず、茂木 健一郎が指摘した問題点を載せましょう。・・・・・・『昨日、小学校の算数のテストで、「3.9+5.1=9.0」と書いたら、減点されたというツイートが流れてきて、とてもびっくりした。これははっきり言って一種の子どもに対する「虐待」である。』

 そのままにして置くと、小数点以下に0が残る筆算や問題は多くあります。上の例だけではなく、小数の掛け算、単位の変換などでも、そうしたことが起きます。例えば、2300mをkmに変換するとき、2300の小数点を左へ3つ移動させ、筆算は行いません。すると2300m=2.300kmとなりますが、小数点以下の0は意味がないので、とる必要があります。同様に、茂木 健一郎が指摘した「3.9+5.1=9.0」についても、小数点以下の0に意味はないので、取る必要があります。それに、9.0の表記をそのままにした場合、少数第二位で四捨五入した概数と受け取られます。

 逆に、温度計を読み取る時には、目盛りの1/10まで目分量で読み取るルールになっています。すると、ちょうど気温が20度だった場合は、20℃ではなく、20.0℃と表記する必要があります。20℃と表記した場合、何らかの都合で目盛りの数値だけ読んで、19.5℃以上20.5℃未満の示度を、およそで読み取ったことになります。この時の小数点以下の0は、そうした意味で必要な0です。

 小学4年で学習する「およその数」についても同様なことが言えます。「19.95を小数第一位までのおよその数で表す」場合、少数第二位の数を四捨五入します。すると切り上げられて、ちょうど20となってしまいます。ですが、この時の小数第一位の0は、省いてはいけません。答えは、20.0と表す必要があります。およその数で20と表した場合、小数第一位を四捨五入した値で、元の数の範囲は19.5以上20.5未満となります。ですが、20.0と表記すると、少数第二位で四捨五入した数値で、元の数の範囲は、19.95以上20,05未満となり、その表す数の範囲が異なってきます。

 このように小学生に対して、小数点以下の0が必要なのか不必要なのかをしっかりと指導する必要が教師にはあります。そうした基本的な考えを指導する場合、3.9+5.1=9.0」に○を付ける教師こそ問題があり、✖を付けて減点することには意味があります。

 また、茂木 健一郎は、こうも指摘しています。・・・・・・かけ算の順序、足し算の順序、という「問題」があって、2x3=6は正解だが、3x2=6は不正解、同じように2+3=5は正解だが、3+2=5は不正解、という「世界」があるのだという。詳細はアホらしいので書かないが、もし興味がある方は検索してみて欲しい。』

 この指摘も、上記の例と同様に、現場教師の努力を無視した的外れの指摘といえます。小学校の算数において、答えが合っていればよいという指導は、好ましくありません。結果ではなく考える過程を重要視して、自分がどのように考えて答えを出したのか、論理的に説明できることが重要です。その考え方を記す手段として、式を表記するという指導法をとる場合、私はそうした指導を肯定的に捉えています。無論、掛け算やたし算には交換の法則が成り立ちますので、計算上では自在に数値を交換して行うのが一般的です。この点に関して興味ある方は、以下のブログを参考にご覧ください。

マッキーの教育:考え方を式にしっかりと表記することが算数の学力を高める

 茂木 健一郎のえげつない所は、そうした現場教師の努力を、全く無視して「アホらしい」などという言葉を使って語っている点と、子どもに対する「虐待」などという表記を行い、恫喝するような記述をしている点です。茂木 健一郎は、以上のことを考慮すれば、全くノー科学者と言って差し支えない、屈折した性格の人物と言えるでしょう。

 ところで小学校において、分数計算で、以前は答えを帯分数で表記していたのを、中学生と同様に仮分数表記が小学生算数でも認められました。私自身、中学生になって仮分数表記で良いのだと知っても、しばらくはその答えが気になったことを今でも覚えています。この変更にも、小学生の現状を理解しない者の指摘が加味されたのだろうと、私は考えています。

 最終的な答えを帯分数にしてきた意味は、出した答えが妥当かどうか見積もる手段にすることができること。また、約分し忘れなどもチェックし易くなります。そして、仮分数・帯分数の変換の練習にもなります。無論、割り算の練習にもなります。こうした、小学生の学習上の特性を考えれば、あえて帯分数で答えを出すという指導は、意味の無い指導ではありませんでした。この変更には、現場を理解していないのに知ったような素振りを見せる茂木 健一郎のようなクレーマーが介在した可能性があります。外野の雑音が、実際に悪影響を与えた例と言えます。

 保育園の現場で、子どもたちの指導に合う様々な教材を手作りしているのを見て、感動を覚えたことがありました。また、小学校の現場でも、教師たちが様々な工夫を行っているのを知っています。けれども、何故か中学校・高校と進むと、現場では学力下位層に対する指導の工夫が少ないように感じます。閻魔帳を片手に、出来ないのはお前たちの努力が足りないからだ!・・・・・・そうしたスタンスを感じます。私は、塾での学習指導以外に、教育委員会と提携し、7年間小学校と中学校の本科授業を担当しました。その経験から感じたことです。

 小学校で指導している児童全員に対して、基本をしっかりとマスターさせようとする努力や工夫は、賞賛されこそすれ非難されるものではありません。アホらしい」という言葉は、茂木 健一郎自身にお返ししておきたい。ネトウヨの如き茂木 健一郎のような輩の誹謗中傷に負けないで、小学校の教師は、自信を持ってしっかりと指導していただきたいと私は考えます。

 具体的にこうした雑音を排除するためには、教師間で指導情報の共有が一層必要となります。ただ、保護者からの質問には、的確に親身に応答する必要があります。そうした教師の煩雑な仕事が増加していることを、多くの人たちが理解を示す必要もあります。

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