「マッキーのつれづれ日記」

進学教室の主宰が、豊富な経験を基に、教育や受験必勝法を伝授。また、時事問題・趣味の山登り・美術鑑賞などについて綴る。

マッキーの山登り:都幾川町の巨木巡り・・・その1

2014年09月30日 | 日帰りの山登り


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 9月28日、秋晴れの日曜日、師匠Y氏夫妻と私の3人で、都幾川町(ときがわちょう)周辺の山里に点在する巨木巡りに出かけました。


 池袋方面からですと、東武東上線の坂戸駅で東武越生線に乗り換え、終点越生駅(おごせえき)で下車します。越生駅前から出ている川越観光バス・黒山行きに乗車し、梅林入口バス停まで行きます。8時30分、まず最初の目的地である越生町上谷(かみやつ)の「大クス」を目指してバス停から歩き始めました。

 梅林の中を通り、豆腐屋や最勝寺の前を通り過ぎ、舗装された林道を歩きます。馬が数頭飼育されている厩舎を通り過ぎると、静かな山の中の林道といった感じになりますが、案内板が要所に設置され、道を間違う心配はありません。



 長閑な林道歩きの途中、私たちを優しい目で迎えてくれた馬。犬や猫は肉食動物を家畜化したものですが、馬は草食動物を人間が手なずけ家畜化したものです。ですから馬は、肉食動物(犬・猫)のように、二つの目で相手の距離を測るように凝視しません。草食動物は、広範囲を見渡せるように頭の両側に目が付いていて、この馬も目の一方を私たちに向けています。






 秋の山は、キク科の植物が沢山咲いています。二つ上の画像の繊細な花弁を持ったキク科の花は、ヒメシオンです。シオンより背丈が低く、大きくても1m。名前が似ていて、塾でも教える春に咲くヒメジョオン姫女苑)は、別の種類です。また、馴染みのハルジオン(春紫苑)は、春に咲くシオンという意味で、キク科の植物であることを示しています。

 上の花は、この時期によく見かけるセンニンソウです。また、アザミの種類も、秋になると花を咲かせています。下の画像は、ノハラアザミ(野原薊)の花です。北高尾山系は、秋のこの時期にアザミの仲間がたくさん咲いています。それを目当てに集まる渡りをする蝶・アサギマダラを多数観察することができます。



 林道を歩いている途中で、草むらでヤママユガを見つけました。ちょっとはばたかせている羽が傷んでいて、産卵後か交尾後で、死期が近いガのようでした。ガと言うと、薄気味悪い昆虫と見られがちですが、よく見るととても芸術的な羽の模様です。


 
【ヤママユガをネットで調べると】
 ヤママユはチョウ目・ヤママユガ科に分類されるガの一種である。ヤママユガ(山繭蛾)、テンサン(天蚕)ともいう。日本在来の代表的な野蚕で、北海道から九州にかけて分布し、全国の落葉性雑木林に生息している。
 
ヤママユガ科のガの成虫は口が完全に退化しており、蛹化以降は一切の食餌を摂らずに幼虫時に蓄えた栄養だけで生きる。
 
4回の脱皮を経過して熟蚕となり、鮮やかな緑色をした繭を作る。繭一粒から得られる糸は長さ約600〜700m、1000粒で約250〜300g程度の絹糸が採取される。この糸は「天蚕糸」と呼ばれる。



 上の画像は、綺麗な紫色の実を沢山房状に付けているムラサキシキブです。下の花は、小さなピンクの花が幾つか集まって咲いているミゾソバです。



 大クスの木までバス停からの所要時間は1時間ですが、私たちは周囲の植物や、木々に絡まるように伸びたヤマノイモの蔓に付いているムカゴを採りながら歩いたので、10時50分に
「上谷の大クス」に到着しました。






 樹齢千年以上と言われる大クスは、根本の太い幹から多数の太い枝を伸ばし周囲を圧倒するように立っていました。高さが30m・幹周り15mの大クスは、単なる樹木と言うよりは、千年も生き続けた生命の力強さを、見る者に印象付けます。今風に言えば、大クスが生えているこの場所は、パワースポットと言って差し支えないでしょう。






 大クスの木から少し下った場所に、木全体を観賞できるベンチが設置されていますので、利用されると良いでしょう。そのベンチの近くに球形のキノコが幾つか地中から顔を覗かせていました。そのキノコの名は、オニフスベといいます。


 
【ネットで調べたオニフスベの特徴】
 オニフスベは卵型に近いものやゴルフボールのような球型しており、非常に大きく成長するキノコです。表面は白色で基部に根状の菌糸束をつけ、全体を覆っている皮は3層になっており、一番外側の皮は薄くて白色、2番目の皮は厚くて淡い黄色をしており、一番内側の皮は非常に薄く紙状で白色、艶があります。
 オニフスベは成熟が進むと内部の皮は褐色を帯びていき、一番外側の外皮はヒビが入り始め、やがて剥がれて二番目の皮が現れます。更にそこから皮が破れていき、やがて粉上の胞子の塊を辺りに撒き散らすようになります。
 オニフスベは食用きのこですが、食べるのは内部が白い幼菌時のみで成熟したものは食べられません。スライスしてフライにしたものをタルタルソースなどで食べます。ヨーロッパでは、このオニフスベをスライスしてバターで焼き、パンに挟んで食べるそうです。






 次の目的地は、大附日枝神社(おおつきひえじんや)境内にある大ケヤキです。越生町から山を越え、都幾川町に向かいました。無論のこと、大クスのある越生町の上谷から、都幾川町の大附までには、道案内などは設置されていません。地図とコンパスと出会った地元の人に聞きながら、日枝神社に向かいました。






 三つ上の画像のように、秋の訪れを告げるベゴニア科の多年草・秋海棠(しゅうかいどう)の花が、川沿いの林道脇に、2〜3cmの淡紅色の花を咲かせていました。また、ヒガンバナが至るところに咲き、カラスウリの実が赤く熟して蔓から垂れ下がり、秋の七草のハギもまだ咲いている、何と長閑な山里歩きでしょうか。



 10時15分に大クスを出発し、舗装された林道を1時間10分程歩くと、右手に日枝神社の鳥居とそれに続く石段が見えてきます。その石段を登り切ると、小さな境内に出ます。  






 こぢんまりとした拝殿が境内にあり、それらしき巨木は見えません。その社殿の裏側に回り込むと、巨木と言うよりも、古木と形容した方が妥当な大ケヤキが鎮座していました。槎々牙々とした太い幹の年老いたケヤキは、枝が切り払われ達磨さんの様です。その老木から、若い枝が伸び、そこに黄葉し始めた葉が付いていました。
 


 この大ケヤキは、推定樹齢700年で、樹高34m・周囲6.7mの巨木で、日枝神社のご神木として、古来氏子から敬愛保護されています。ただし、樹木医が中心となったであろう大胆な治療で、樹高については、記載されている数値よりもだいぶ低く感じます。境内に植えられたが故に、老木になっても人々の手厚い保護を受けて、拝む対象となっている大ケヤキは、幸せな境遇と言えるでしょう。






 拝殿は、入母屋造・平入り形式の小さな社ですが、よく観察すると彫刻も施され、なかなか凝った造りとなっています。正午も近く、次の目的地まで1時間ほどかかりますので、境内をお借りしてランチタイムとしました。

 ここまでブログを綴ってくると、「上谷の大クス」「日枝神社の大ケヤキ」で、紙面が長くなり過ぎました。そこで、次回『マッキーの山登り:都幾川町の巨木巡り・・・その2』として、続きを綴りたいと思います。

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マッキーの随想:柿の実

2014年09月25日 | 時事随想



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 散歩の途中にある柿の木の枝にも、八百屋の店先にも柿の実を見かける季節になりました。柿と栗は、秋を実感させる木の実として、古くから日本人に親しまれてきました。

 ただ現在では、季節を代表する食べ物の多くは、価格を無視すればいつでも手に入ります。冷凍・冷蔵する保存技術やビニールハウスなどを使った促成栽培技術、そして季節が反対の南半球で栽培し空輸することにより、季節物と考えられてきた食べ物の多くは、年間を通して市場に流通するようになりました。

 しかし、季節を問わずいつでも食べたいものを入手できる現状は、便利なようですが、反面で私たちの季節感を喪失させてしまう危険もあります。四季の変化が明瞭な日本に住んでいる私たちは、五感を駆使して食べ物を味わうことにより、折々の季節を実感できるばかりか、人生の喜びや充実も合わせ感じることができるはずです。旬の食べ物に、もっと価値を見い出すべきでしょう。



 テーブルの上に、頂き物なのか買ってきたのか知りませんが、柿の実が乗っていました。手に持ってみると、柿にまつわる幾つかの思い出が浮かんできました。今日はそんな柿の実の話を綴ります。

 私が18歳まで過ごした故郷・新潟県旧新津市(にいつし・現在は新潟市秋葉区)には、柿の木とイチジクの木が多く植えられていました。各家庭が食用のために植えていたのでしょう。けれども飽食の時代、それらの木々の多くは切り倒され、観賞用の木に植えかえられているはずです。

 柿の実といえば、渋柿を焼酎にさわして渋抜きした柿を、私は思い出します。幼い頃から食べてきた柿の多くが、渋柿のさわし柿だったからです。平核無(ひらたねなし)という渋柿の品種に、「八珍柿」と呼ばれる新潟原産の柿があります。この八珍柿は、私の育った旧新津市に原木があり、それは推定樹齢およそ300年の老木だそうです。種の無い実をつける木で、越後七不思議に次ぐ珍しい柿ということから、「八珍柿(はっちんがき)」と呼び名がつけられました。

 この八珍柿は、佐渡では「おけさ柿」、山形県では「庄内柿」という商品名で生産され販売されています。この八珍柿は、種子がないので食べやすく、果肉も柔らかく甘みも強いので、とても美味しい柿だと私は思っています。ですから、種のあるカリカリした甘柿に、私は食指が動きません。

 カキノキ(柿の木)は、カキノキ科の落葉樹で、東アジアの固有種です。日本からヨーロッパへ伝わり、その後北アメリカへ伝わったことから、学名にも kaki の名が使われています。



 柿にまつわる忘れ得ぬ思い出をもう少し紹介しましょう。

 私が小学生の時、学校があった新津ではなく、磐越西線の馬下というかなり離れた場所から通学していた伊藤君という同級生がいました。小学4年の秋が深まった日曜日、その伊藤君に誘われて、初めて一人で列車(蒸気機関車のはず)に乗り、馬下(まおろし)まで遊びに行きました。

 山が近くなるにつれて、山全体が燃えるように紅葉した景観が、車窓いっぱいに広がりました。今までに見たこともないその美しさに、私は圧倒されました。交通の要衝だった新津の町は、とても賑わっている雰囲気がありました。その町中にある官舎で毎日を過ごした私の生活は、今の東京の子と、日常においては変わらない生活環境でした。ですから、この一人旅は、なおさら異次元の体験でした。

 閑散とした山村の駅舎に一人降り立つと、地の果てまで来てしまったように錯覚しました。駅前で伊藤君と出会った後、彼は駅前の小さなラーメン屋に、私を招待してくれました。お婆さんが私たち二人に作ってくれたラーメンの上には、味噌漬けの肉がのっていました。冷凍設備は、その当時、一般に普及していなかったからですが、町中のラーメンとは異なる山村ならではの一品でした。食後に、郵便貯金からおろしたお金だと言いながら、伊藤君が幾らかの小銭をお婆さんに差し出した情景と、味噌漬けの肉入りラーメンの味を今でも覚えています。

 秋の一日、サワガニが住んでいる小さな沢や、稲が刈り取られた広い田んぼで遊んだりして私たちは過ごしました。遊び疲れた頃に、彼が「美味しいよ!」と言って、今まで見たことのない大きな柿の実を、私に差し出しました。完熟したその柿の実をほおばると、甘くとろけるような食感が口いっぱいに広がりました。「何と美味しい柿だろう」・・・錦秋に彩られた風景と、見慣れない大きな柿の美味しさを、私は今でも忘れることが出来ません。

 6歳児が自慢げに最近詠む俳句です。

  柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺  (正岡子規)



 秋の味覚に、「ムカゴ」があります。都会のまん中にある公園の片隅に、ヤマノイモの蔓が伸びていました。その蔓にムカゴが付いていましたので、それを使ってムカゴ飯(上の画像)を炊きました。病みつきになる程の美味しさとは言えませんが、秋を味覚する食材として、私には無くてはならないものの一つがムカゴです。



 最後に、部屋に最近飾った書と版画を紹介します。書は、河東碧梧桐の「今日の家族のおとめの柿うりが来る」です。今の季節にピッタリの碧梧桐直筆の書です。碧梧桐と虚子は、子規門下の双璧と謳われ、碧梧桐は従来の五七五調の形にとらわれない新傾向俳句を求めて活動しました。

 上の版画は、文化勲章受章の洋画家・小山敬三の「浅間山」で、かつてあった軽井沢のセミナーハウスに飾ってあった作品です。美術雑誌編集長を務めた後に画商に転じ、小山敬三美術振興財団の事務局長を当時兼務していた
岡田さんから、セミナーハウスができた時頂いた版画です。岡田さんは、私の絵画の師匠でもあり、よく訪れた小諸にある村野藤吾設計の小山敬三美術館とともに、軽井沢に関連して思い出深い人物です。



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マッキーの時事問題:グローバル化と民族主義

2014年09月20日 | 時事随想



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 注目を集めたスコットランド独立をめぐる住民投票は、独立が否決される結果となりました。スコットランドが、民族的自立を目指すのか、イギリスに留まり政治的・経済的な安定を求めるのか、スコットランド住民だけでなく、全世界が固唾を呑んでその結果を注目しました。

 相対的にその地位を低下させてきたヨーロッパが、世界に先駆けて超国家的な地域統合を目指したものがEU(ヨーロッパ連合)でした。大きな犠牲を払った大戦後から、その反省を踏まえて、新たな規範を模索する統合の流れがありました。現在では28カ国が加盟し、幅広い地域的な政治・経済の統合を、漸進的に行ってきました。しかし、国家間の様々な軋轢に悩んで、なかなか理想通りとはいきません。

 経済を中心としたEUのようなブロック化・グローバル化の潮流の中で、民族主義や宗教を拠り所とし、帰属する国家から分離独立しようとする運動が、世界中で頻発しています。
インドネシアから独立した東ティモール、そして、かつてユーゴスラビアから独立し、その後セルビアから独立したモンテネグロなどは、記憶に新しい出来事です。

 
ヨーロッパでは、今回のスコットランドだけではなく、スペインのカタルーニャ自治州・ベルギーのフラマン地域、それにウクライナのクリミアなどの分離独立の動きがニュースになりました。またお隣の中国では、チベット自治区・新疆ウイグル自治区・内モンゴル自治区などで不穏な動きが続いています。

 こうした世界的な潮流は、単に諸外国の問題として片づけるわけにはいきません。先の大戦ではアメリカとの凄惨な地上戦を戦い、戦後は日米安全保障に関わる基地負担の多くを担っている沖縄において、遅々としてその改善が見られません。そうした状況で、かつては独立国家であった琉球の血が騒げば、日本でも分離独立運動が起きても不思議ではありません。そうした観点からも、沖縄の基地負担を、早急に軽減しなければなりません。



 世界的に経済のブロック化・グローバル化に拍車がかかっている現在、一見すると相反する動きと捉えられる民族主義的な分離独立運動は、なぜ頻繁に起きるのでしようか。国家とその権力の枠組みの再構築は、そこに居住する人たちの最も根源的な属性である民族や宗教を、必然的にクローズアップさせるのだと私は考えています。また、地中深くの地下茎で、現在の経済的動向とこれらの動きは、綿密に繋がっていると考えられます。


 表向きは矛盾している二つの事態が、このように同時並行で起きると、私は常に脳裏に浮かぶことがあります。それは、大学時代に読んだ高橋和巳の「北一輝論」です。純正社会主義を奉じていた北一輝が、最後は相反するファシズムの頭目として、二・二六事件を扇動した罪で銃殺刑となりましたが、そうした人間の持つ不条理や、その不可思議さです。

 北一輝は、論語で言う「均しからざるを患う」という純正社会主義を信奉していたにも関わらす、「寡なきを患え」て海外侵略を容認して、ファシズムの理論的支柱になっていきました。その不可思議さは、昨今の世界的な動向を考える時、私の脳裏を過る教訓でもあります。 

 現在、様々な領域で起きている混乱と激動により、世界全体の政治・経済は、初期微動を起こし始めているようです。そして、その後に到来する本格的な主要動に怯える時代がやってきたように思われます右傾化する日本も、その例外ではありません。




画像は、上がキバナコスモス、下がヒガンバナです。いずれも秋を感じる花々です。

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マッキーの随想:日照不足で野菜価格高騰

2014年09月16日 | 時事随想



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 今年の夏、西日本では100年に1度と言われるの日照不足に悩まされました。その原因は、8月に太平洋高気圧の勢力が弱く、台風の通り道になることが多かったことと、湿った空気の流入が続き前線が停滞したことが挙げられています。

 関東の日照時間は、統計上平年並みかやや少なめでした。しかし、それは8月中旬まで晴天が続いたことが影響し、実は下旬になると1日2時間未満の日が約1周間も続きました。

 その結果、日照不足により野菜の価格が高騰しています。消費税アップと円安に加え、異常気象の追い打ちで、家計は大変だと思います。きゅうりやトマトなどの果菜類は、日照不足で葉で光合成が行えず、樹が衰えて花を落としたり、実に十分な栄養を蓄えることができない状態だそうです。

 具体的な野菜の価格変動は、この時期1本約30円のキュウリが100円、1玉約150円のレタスは300円前後で販売されているそうです。栃木県や群馬県が産地のナスも、1キログラム381円と7割高なのだそうです。家計を管理する主婦は、様々な工夫と労力で、この状況を乗り切っているのでしょう。

 近年の集中豪雨・ゲリラ豪雨・巨大台風・竜巻発生率の増加、それに著しい寒暖の変化などの気象変動が、極端になってきました。気象庁がこうした天候に対し頻繁に使用するようになった「今まで経験のない」という形容は、「今までの経験則」では判断を誤ることを危惧しての使用だと思われます。昨今のこうした経験のない異常気象は、全国至る所で大きな災害をもたらしただけではなく、農作物にも被害を与えて、家庭の食卓にも大きな影響を与えています。

 世界気象機関(WMO)の 最新の解析によると、2013 年の二酸化炭素、メタン 、一酸化二窒素の世界平均濃度は、それぞれ、 396.0±0.1 ppm、1824±2 ppb、325.9±0.1 ppbとなり、これまでの最高値を更新したということです。そして2012 年から 2013 年にかけての二酸化炭素の濃度増加量が2.9 ppmとなり、1984年以降最も多いというデータが示されました。

 地球温暖化の原因となる温室効果ガスは、その増加を抑えるどころか、増加の一途をたどっていることが、これらのデータで分かります。自然のままの気候変化は、比較的穏やかで長期間をかけて行われます。しかし、人為的な影響を受けた気候変動は、短期間で激しく動くように感じます。そして、一旦変化した気象は、もとに戻すためには気の遠くなるほど長期間を要すと考えられます。これは、学校の成績が落ちるのは、簡単で短期間に起きますが、一旦落ちた成績を上げるには、長期間のたゆまぬ努力を要求するのと似ています。

 太陽活動と地球の関連からすると、気象はこれから寒冷化するという説もあります。それを以って、二酸化炭素の増加に目を向けない人たちがいますが、それは間違った考え方です。自然のままの気象変化は緩やかに推移し、人類は今まで太古の昔から、幾度もそうした変化に対応してきました。けれども、人類の生産活動の影響を受けた近年の地球温暖化は、これから私たちに厳しい試練を、長期間にわたり与え続けることは確かです。

 私たちは、無反省な生産活動によって傷めつけられた地球から、今まで経験したことがないと言われる異常気象という形で、報復される運命にあるようです。

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「大事にしている」のではなく「問題にしている」のだ

2014年09月12日 | 教育



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 今日は、あるブログの記事を取り上げたいと思う。

 そのブログでは、「なぜ低所得=低学力という図式を大事にしたがるのか?」という話題を提示し、「教師がそれを口にするとき、頭の中で考えていることは容易に想像がつく」とまず
述べている。そして、子どものテスト成績が悪い場合、その理由として「低所得=低学力」を持ち出し、「おれの指導力不足のせいではない、家庭のせいだ」という言い訳に使っていると、自分の考えを披瀝している。

 すなわち、このブロガーは、この等式「低所得=低学力」を認めた上で、これを述べる者が、自分の指導力の無さをごまかす
詭弁に、この等式を使っていると主張している。はたして現実はそうだろうか?


 今日の社会状況、とりわけ教育問題を考えるとき、子どもの貧困問題と家庭の所得階層による教育機会の不平等問題は、喫緊の課題である。私自身も、この問題についてブログで考えを述べようと資料を集め分析したが、いまだに下書き状態のまま完成できずに、何年か過ぎてしまった。それほど重要なテーマとして捉えている側からすると、このブロガーの今回の論旨は賛成しかねる。

 多くの教師は、「低所得=低学力」という問題を、個人的な指導力・教務力の言い訳に使ったりはしない。もっと真剣に考えるべき重要な社会問題だと認識していると私は確信している。「低所得=低学力」は、個人的言い訳に使うために、後生大事にすべきお題目などではない。それは、問題視し改革すべき社会問題である。「低所得=低学力」の幟旗を掲げれば、自分の非力が救済されると思っている者は、いたとしても極めて少数だろう。

 今回の話題を提供したブロガーとは、私がブログを始めた頃に1回コメントを頂き、その縁でよく閲覧するブログとなっている。(人間とは、何と義理堅い生き物だろう。)このブロガーの切り口は、教師に対しては辛辣で、自虐的とも言える思考をするが、鋭く問題を提起する意義は大きいと思っていた。しかし、時として迷走する癖があるようで、昨年の成りすましブログなどは、決して容認できない行為だ。

 「低所得=低学力」の一つの側面を語ったであろう今回の話題に、私は苛立ちを覚えた。しかし、文末の「公務員がそれでいいのか? 教師がそれでいいのか? そういう問いを突きつけてくれる人が,この国には本当に少ない。」という述懐は、確かに事実である。

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