「マッキーのつれづれ日記」

進学教室の主宰が、豊富な経験を基に、教育や受験必勝法を伝授。また、時事問題・趣味の山登り・美術鑑賞などについて綴る。

マッキーの時事問題:7月1日「うるう秒」実施

2015年07月01日 | 時事随想



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 今日は、平日に「うるう秒」がある日です。これは、8時59分59秒と9時との間に、8時59分60秒を挿入して、1日の時間を、1秒長くする日を設けることです。8時59分60秒は、計算上はちょうど9時になりますが、表記上で別物として工夫したものなのでしょう。

 まず、「うるう秒」を考える前に、あたり前のこととして皆が知っている「うるう年」について考えてみましょう。太陽の周りを地球が公転しているわけですが、その公転周期である平均回帰年は、約365.242199日≒365日5時間48分45秒強となっています。この数値を基に考えると、1年はおよそ365と1/4日になります。

 したがって、4年間で半端の1/4日を4倍すると、1日に相当する時間となりますので、4年に1回、1年を1日多い366日にすれば、この半端をおよそ解消することができます。ことことから、4年に1回の割合で「うるう年」を設定しています。

 西暦で4で割れる年を、うるう年としますが、1900年のように下2桁が00の年は、平年とします。ただし400の倍数の年は、下2桁が00ですが、うるう年としています。近年では、2000年が下2桁が00ですが、400の倍数でもあるので、うるう年でした。400年に1回の珍事だったわけです。

 原子または分子の、特定のエネルギー準位間の遷移に伴う電磁波の周波数を、時間間隔の基準とする時計を原子時計と呼びます。非常に精度が高い時を刻むこの原子時計が開発されて、地球の自転に基づく時刻(世界時)から0.9秒以上ずれないよう、原子時計の時刻に1秒挿入して世界の標準時とするようになりました。

 厄介なことは、「うるう年」と異なり、この「うるう秒」を挿入する日は、不定期なために、コンピュータでプログラムしておくことが難しいと言われています。したがって、厳密に時刻をカウントするような場合は、問題が生じる事があるようです。

 人類が、極めて正確に時刻を刻む技術を開発したが故に、時刻を一般生活上の問題として捉える以上に、時刻を厳密にカウントする必要が生じました。そのことにより、このような時刻を調整するために、頭を悩ませる時代になったということでしょう。実生活では、全く不要な事柄も、社会全体が配慮しなければならない、とても煩雑な世の中に進化してしまったとも言えるでしょう。

 ところで、皆さん。「うるう秒」の話題を考えながら、こんなにも時間を厳密に考える時代に、自分自身が「時間」を大切に過ごしているか、ちょっと反省してみるのも、大切かもしれません。

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マッキーのお出かけ:宝塚月組公演「1789ーバスティーユの恋人たちー」を観て

2015年06月23日 | お散歩・お出かけ・遊び



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 夏至の前日6月21日(日)、東京宝塚劇場月組公演「1789−バスティーユの恋人たち」を観に出かけました。それは以前のブログで綴ったように、宝塚音楽学校101期生の中に私の教え子がいて、今回の公演が、その生徒の東京初舞台だったからです。

マッキーの教育:宝塚音楽学校 第101期生 文化祭



 あいにくの梅雨空でしたが、開園30分前には劇場入り口に列ができていました。宝塚観劇3回目の私としては、着ていく服装も気になりました。うっとうしい湿度でしたが、一応ブレザーを着用して出かけました。けれども、観劇する多くの人たちの服装を見れば、ブレザーを着こむ必要がないことが分かり、早速脱いで仕舞い込みました。粗雑な服装は困りますが、リラックスして観劇できる服装で良いようです。

 今回も、101期生の生徒のお母様にチケットを手配いただき、生徒のお母様とお姉さんと一緒に観ることができました。場内を見渡せば、来場されている方は圧倒的に女性が多いですが、だからといって、男性が場違いといった雰囲気ではありません。

 また、個人的にチケットを申し込んだというよりも、スーツ姿で旗を持った協賛企業の方が会場に多いので、そうした企業の招待客もかなりの数いらっしゃるようです。



 1789・・・無論のこと西暦です。この年を見て、ピンときた方は、世界史をしっかりと学習した方です。そう、この年にフランス革命が起きました。1789年7月14日に、バスティーユ牢獄襲撃があり、そこに備蓄されていた武器を市民が手にしました。そのことから、現在この日がフランス革命を記念した建国記念日となっています。そうした歴史を背景として、時代に翻弄される民衆と、矛盾に満ちた世の中を自らが変革する意志を持った人たちの、命を懸けた生き様が語られる物語でした。

 そして、歴史が揺れ動く激動の日々の中でさえ、人間的な、あまりに人間的な男と女の愛が、この物語の本当の主題としてクローズアップされる舞台でした。

 この物語の主役は、官憲に父と農地を奪われた農民であるロナン・マズリエです。この役を、月組トップスター龍真咲さんが演じています。また、フランス革命といえば、誰しもが思い出すのがマリー・アントワネットですが、その役を演じているのが愛希れいかさんです。この劇は、市民革命であるフランス革命を成就しようと先頭に立つ一民衆の生き様を描きながら、打倒される側の人たちの混乱と苦悩を同時並行で描写しています。

 故郷を出てパリに向かった主役ロナン・マズリエは、パリで革命家たちと出会い、歴史の大きな潮流の中に自分の成すべきことを見出していきます。ロナンは、パレ・ロワイヤルで偶然にも出会った王妃マリー・アントワネットの子である王太子の養育係オランプ・デュ・ビュジェ(早乙女わかば)に恋してしまいます。体制と反体制にそれぞれ属する二人の、運命的な出会いでした。

 対するマリー・アントワネットは、献身的で善良とも思える夫ルイ16世に隠れて、スウェーデン将校フェルゼンとの禁断の恋に落ちます。この二組の悩ましい恋愛と、その当時生きた人たちすべてを飲み込んでいく歴史の渦の中で、苦悶し葛藤する為政者と民衆が描かれていました。

 名も無き一市民ロナン・マズリエが主役ですから、トップスターが演じるといえども、華美すぎる服装ではちぐはぐになってしまいます。したがって、龍真咲さんの服装は、比較的控え目でした。対する王妃マリー・アントワネットは、民衆の噂では事実以上に浪費癖を非難されていましたので、愛希れいかさんは煌びやかな服装でその役を演じていました。ただ、彼女がギロチンの断頭台に上る運命を、観ている人は史実として知っていますので、優雅な服装の中にも、どこか哀愁が漂う役柄でした。本当のマリー・アントワネットは、どんな女性だったのでしょう。

 劇全体を通して、主役・準主役を中心に、その歌と踊りに華やいだスポットが当てられ、ディズニーの世界を彷彿させる夢の世界へ、観衆を引き込んでいきます。また、劇の流れ以上に、お目当てのスターの一挙手一投足を見逃すまいと、真剣に見入るファンが多いのも宝塚の特徴のように感じました。



 ところで、宝塚初心者として、舞台の感想を述べるなら、マリー・アントワネットを演じた愛希れいかさん、オランプ・デュ・ビュジェを演じた早乙女わかばさん、それからロナンの妹で田舎から兄を追ってパリに出てきて、生きるために娼婦に身を落としたソレーヌ・マズリエを演じた花陽みら
さんの歌唱力には、大変感動しました。

 宝塚の舞台は、ミュージカル仕立てになるわけですが、単に役を演じるだけではなく、その役を歌と踊りで表現し、観衆を惹きつけ感動させる力量が要求されます。


 主役ロナン・マズリエを演じた月組トップスター龍真咲さんは、歌も踊りも上手く、観客を感動させる見せ場を作ることができる方だと思いました。ただ、どちらかと言えば、娘役の方たちの演技が、私にとってすんなりと受け入れやすく、男役の方たちについては、もっと私自身に勉強が必要かと思われます。

 ヨーロッパでもかつて同種の役者が存在した「歌舞伎の女形」(男性が女性を演じる)や、日本独特の「宝塚の男役」(女性が男性を演じる)のような中性的な演劇領域は、私も興味深く感じます。そしてアンドロジニーに惹かれる多くは、女性層のように思われます。歌舞伎の女形も、宝塚の男役も、支えているのは明らかに女性です。この生物学的ジェンダーを越えて、対する異性を演じる芸術は、極めて日本的な文化と言えるでしょう。

 今回の公演で東京デビューした101期生の彼女は、僧侶役・兵士役・フィナーレのロケットなどに出演しました。無論のこと脇役ですので、彼女を探すことは普通は大変なことです。ただし、ずば抜けて上背があるので、ほかの101期生を探すよりも、比較的簡単でした。また事前に、出演場面と壇上の位置を記した彼女の説明書をファックスしてもらい、基礎知識があったことも助かりました。

 彼女の演技はどうでしたかと問われても、回答に窮する話ですが、劇を盛り上げるよう自分の役を精一杯頑張っている姿を、オペラグラスの中で見ることができました。さまざまな舞台を経験しながら、彼女が先輩たちから様々なことを学び、それを糧に人間的な成長と、演劇の修練を地道に続けるなら、いつか舞台の中心でスポットライトを浴びる存在になる才能を開花させることを、私は確信しています。

 彼女が教え子であるという経緯で、私は宝塚ファンになったのですが、これからも彼女の成長を願いながら、しっかりと応援していきたいと思っています。



 画像は上から、東京宝塚劇場外観・上映演目ポスター・エントランスホール・開演前の緞帳に映し出された1789・「1789−バスティーユの恋人たち」のパンフレットです。

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マッキーの『四季を楽しむ』:6月の公園

2015年06月19日 | 四季の植物と風景



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 私の仕事は、どちらかと言えば精神的な疲れが、肉体的疲れを上回っているように感じます。ですから、週一の休みである日曜日には、公園を散歩したり、山に出かけたりして気分転換を図ります。そんな理由で、私のブログは教育の範疇に入れているものの、僅かばかりの余暇時間さえ口角泡を飛ばして教育を語ることは、現実的に不可能です。したがって、四季折々の風景や植物の画像が、私のブログにアップされることとなります。

 公園を散歩したり山を歩きまわると、気分転換だけではなく、精神的にも問題解決においても、エネルギーとインスピレーションを得ることができます。また、春夏秋冬の自然の変化と、特に植物の生育に関心を持つと、もっと楽しい生活を送ることができるでしょう。

 今日は、6月の新宿御苑や近隣に咲いている花を中心に綴ります。まず、6月に入ると、キンシバイの仲間の花が、5月が中心のウツギの仲間に代わって咲きはじめます。アジサイの仲間が咲くちょっと前に、その隙間を埋めるように、黄色い花をいっぱいに付けて、元気よく咲いています。

 ウツギ
の仲間について、以下のブログでまとめましたので、興味ある方はご覧下さい。

マッキーの『四季を楽しむ』:知っていて損はない8種類のウツギの仲間



 上の画像の花が、キンシバイです。「ちょっと最近見かけるキンシバイよりも見劣りするね」と思われた方は、観察力が優れています。花弁が半開きでどちらかと言えば下向きに咲いています。

 それに比べて、下のキンシバイは、全開で正面を向いて元気に咲いています。実は、下のキンシバイは、園芸品種のヒペリカム・ヒドコート(大輪金糸梅)です。よく見かけるキンシバイは、このヒペリカム・ヒドコートで、多くの方はこの花をキンシバイと呼んでいるようです。






 上のキンシバイの仲間は、ビョウヤナギと呼ばれる品種です。おしべがとても長くあでやかな印象を受けます。下の画像は、ビョウヤナギとそっくりの花を付けるヒペリカム・カリシナムという品種です。ただし、セイヨウキンシバイとも呼ばれるヒペリカム・カリシナムは、その草丈が30cmにも満たない矮性種で、ランドカバーに適した品種です。

 キンシバイ、ヒペリカム・ヒドコート、ビョウヤナギ、そしてヒペリカム・カリシナムの4種類のキンシバイの仲間を、その特徴を含め覚えておくとよいでしょう。それから、同じ時期にギンバイカ(銀梅花)と呼ばれる、フトモモ科ギンバイカ属の常緑低木がありますが、とても清楚で魅惑的な花を付けます。合わせ、覚えておくとよいでしょう。

 このキンシバイの仲間の詳細は、以下のブログで詳しく説明しましたので、興味ある方はご覧ください。

 マッキーの『四季を楽しむ』:キンシバイとビョウヤナギとヒペリカム・カリシナム



 下の画像は、新宿御苑の池ですが、実際の緑と池に映った緑と識別ができません。これは、なにも画像だからではなく、実際に見てもちょっと識別できません。新緑の光と影が作り出す幻想的な景観です。






 上の画像は、シモツケの花です。アジア原産の落葉低木で、下野の国(栃木県)で発見されたことが名の由来です。バラ科の草本のシモツケソウに対して、木本であることから、キシモツケとも呼ばれます。

 下の画像は、ホタルブクロです。いわむらかずおの絵本「14ひきのシリーズ」や、陶芸田村耕一の焼き物を、ホタルブクロを見ると私は思い出します。






 この時期、ホウノキタイサンボクに、上の画像のようなとても大きな白い花が咲きます。上の画像はタイサンボクの花ですが、ホウノキの花は、芳香を伴い格別な存在感があります。

 下の画像は、サンゴジュの花です。サンゴジュは、秋の赤い実と紅葉が印象的ですが、この時期に白い小さな花をいっぱい付けています。



 新宿御苑では、6月上旬にクチナシの花が咲いていました。初夏を印象付ける、強い芳香を周囲に放っています。春のジンチョウゲ・秋のキンモクセイと並び初夏のクチナシの花は、季節の到来をその芳香で私に教えてくれます。






 梅雨入りとともに、その色合いを一層美しく感じさせる花、それがアジサイです。もしも、このうっとうしい梅雨の季節に、アジサイの花が存在しなかったなら、もっといやな季節に感じられることでしょう。今咲いている多くのアジサイは、日本のガクアジサイが西洋で品種改良され、逆移入したものです。アジサイの学名「Hydrangea」は、ギリシャ語の水(hydro)+器(angeion)で、「水の器」を意味しています。西洋の人たちも、梅雨時に水分をいっぱい吸収し、瑞々しく咲くこの花を、そんな風に受け取ったのでしょう。

以下は、過去のアジサイについてのブログです。参考にご覧下さい。

 マッキーの随想:アジサイとカタツムリの思い出

 マッキーの随想:梅雨…アジサイの季節…そして夏至






 上の画像は、新宿御苑で今年咲いていたカシワバアジサイの花です。葉が柏の葉に似ていることから名付けられました。そして下の画像は、山菜取りに行った折に、藪の中に咲いていた幻想的なコアジサイの花です。いずれも、特徴あるアジサイの花で印象的です。



 最後に、新宿御苑の温室に飾られていた絶滅危惧種のツルランの花です。園芸採取などで減少して絶滅が危惧されている植物です。極めて上手に植物を育てている方がいます。そうした方が入手し、繁殖させることも意味あることです。しかし、自然の中でその環境に順応して生きていくのが、山野草の本来の姿であると私には思えます。




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マッキーの『四季を楽しむ』:知っていて損はない8種類のウツギの仲間

2015年06月15日 | 四季の植物と風景



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歌詞 『夏は来ぬ』

卯の花の 匂う垣根に
時鳥(ホトトギス) 早も来鳴きて
忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ

さみだれの そそぐ山田に
早乙女が 裳裾(もすそ)ぬらして
玉苗(たまなえ)植うる 夏は来ぬ

橘(タチバナ)の 薫る軒端(のきば)の
窓近く 蛍飛びかい
おこたり諌(いさ)むる 夏は来ぬ

楝(おうち)ちる 川べの宿の
門(かど)遠く 水鶏(クイナ)声して
夕月すずしき 夏は来ぬ

五月(さつき)やみ 蛍飛びかい
水鶏(クイナ)鳴き 卯の花咲きて
早苗(さなえ)植えわたす 夏は来ぬ


 今日は、 『夏は来ぬ』にも歌われている、5月の代表的な花であるウツギの仲間を、今年撮った画像を中心にまとめてみたいと思います。



 上の画像は、6月の新宿御苑で撮ったものですが、時期としては終わりのウツギの花です。画像のように、花弁は完全に開花せずに下向きに咲くのが、ウツギの花の特徴と言えるでしょう。下の画像は、山で見かけたウツギの花です。やはり完全に花弁は開かずに、下向きに咲いています。

 ウツギは、アジサイ科ウツギ属の落葉低木で、ウノハナ(卯の花)とも呼ばれます。茎が中空のため空木(うつぎ)と名付けられました。旧暦4月を卯月というのは、卯の花が咲く季節から名付けられたそうです。



 下の画像は、サラサウツギ(更紗空木)で、アジサイ科(旧ユキノシタ科)ウツギ属の落葉低木です。初夏に、八重咲きで、芳香のある下向きの花を咲かせます。花は、花弁の外側が薄紅紫色で、内側が白色で、とてもきれいな花です。ウツギの八重咲の園芸品種で、公園などでよく見かけます。






 上と下の画像は、マルバウツギの花です。アジサイ科ウツギ属の落葉低木です。ウツギの花が、半開で下向きに咲くのに対して、マルバウツギは画像のように、全開の星形で上向きに咲きます。また、名の通り葉が他のウツギに比べて、丸い形をしていることからマルバウツギと名付けられました。






 上下の二つの画像は、ガクウツギの花です。ガクウツギ(額空木) は、初夏、ガクアジサイ(額紫陽花) に似た白い装飾花と、ウツギ(空木) に似た茎葉をしたユキノシタ科アジサイ属の落葉低木です。 幹はよく枝分かれし、それぞれの枝先に散房花序を出します。

 また、ガクアジサイ(ユキノシタ科アジサイ属の落葉低木)やノリウツギ(アジサイ科アジサイ属の落葉低木)やオオカメノキ(スイカズラ科ガマズミ属の落葉低木)などは、ガクウツギにとても似ている花を咲かせる植物です。






 コゴメウツギ(小米空木)は、バラ科コゴメウツギ属の落葉低木です。明らかに、今まで出てきたウツギの仲間とは異なる特徴を持っています。名の由来は、花がウツギの花に似ていて、小型であることからきているようです。 ウツギと名が付く植物は、6科11属もあります。したがって、様々なウツギの仲間があるのです。



 下の画像は、ツクバネウツギの花で、スイカズラ科ツクバネウツギ属の植物つです。名の由来は、プロペラのような萼片を残した実を、羽根衝きの羽根にたとえたことによります。山に登ればよく見かける花ですが、都心でもツクバネウツギの仲間のアベリアが、生垣として多く用いられ、年中咲いている花を一般的に見ることができます。






 上の画像は、山で見かけたタニウツギの花です。タニウツギ(谷空木)はスイカズラ科タニウツギ属の落葉小高木で、田植えの時期に花が咲くので「田植え花」としても知られています。

 下の画像は、公園などでよく見かけるハコネウツギです。ハコネウツギ(箱根空木)は、初夏、白や淡紅色、紅色の小花を同じ木に咲かせるスイカズラ科タニウツギ属の落葉低木です。 花は漏斗状をしています。 一本の木や枝に、赤花と白花を付けることから、源氏の白旗、平家の赤旗をもじって、 ゲンペイウツギ(源平空木)とも呼ばれます。 色が混じるのは、咲き始めが白で、その後、淡紅色、紅色と花色が濃くなるためです。

 ウツギの仲間は、以上の8種類の他に、
ユキノシタ科・バイカウツギ属のバイカウツギ(梅花空木)やフジウツギ科・フジウツギ属のフサフジウツギ(房藤空木)などがあります。それらのウツギは、近隣の公園で今年は見当たらなかったウツギの仲間です。今回取り上げたウツギの仲間を、その判別を含めて知っていると、この季節の公園の散歩や山などへのお出かけは、もっと楽しいものになることでしょう。



 最後に、ウツギの花と同じ時期に咲いていて、ウツギにとても似ている2種類の植物について触れておきましょう。

 下の画像はエゴノキの花で、エゴノキ科エゴノキ属の落葉小高木です。花は白色で、5月後半から6月にかけて沢山の花をつけます。特徴は、2〜3cm程の長い花柄があって、垂れ下がるように咲きますので、識別は明らかです。かつて自宅の玄関脇に、一本エゴノキを植えました。



 下の画像は、ハクウンボク(白雲木 )の花です。エゴノキ科エゴノキ属の落葉小高木ですので、上のエゴノキに似ています。枝先に垂れ下がるように長さ8-17cmになる総状花序をだして、白色の花を20個ほど下向きにつけます。小花柄は長さ7-10mm程ですので、エゴノキと識別できるでしょう。ハクウンボクは、日本原産だと言われています。



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マッキーの随想:人生の花

2015年06月11日 | 時事随想



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 最近のわたしのブログ「マッキーの随想:遺影が花一杯に飾られる前にに、koderaさんからコメントを頂きました。このコメントを読んで、
考えたことを今日は綴ります。

 「私に管理人様の言っている物理的な花は要りません。あってほしいのは人生の花です。抽象的な花です。人はそれぞれの異なる花を求めて成長し、旅立つのだと私は考えています。花は、私は要りません。人は一人一人の個性の花の種か蕾があり、咲かせてあげるのが大人であり、親であり、先生なのでしょう。咲くまでその花がどんな姿になるか分かりません。泥田に蓮の花が咲くように。」・・・コメントの一部抜粋


  koderaさんのコメントを拝見して、失礼ですがSMAP「世界に一つだけの花」を連想してしまいました。この歌のように、人生やその人の個性や多様性を花に例えることがあります。また、人生の目的なり目標を花に例えたり、人生の目標を達成したことを開花に例えることもあるでしょう。花あるいは開花は、人生を肯定的に見た時に使う比喩の語彙となっています。

 かつて、私のブログで取り上げた、童謡「おはながわらった」のわらうは、花が開く意味で使われています。この童謡を例に、笑と咲の漢字について説明しました。無論のこと、この歌を幼児は、花が笑いかけるという擬人法の意味合いで歌っているはずですが。

 という字の本字はで、咲と笑はもともと同じ字でした。「笑」が竹かんむりが付いているように、植物の花がさく意味で使われ、また「咲」は口へんが付いているように、本来は人がほほとわらう意味で使われました。

 このように、花や開花が、人生と密接な関係で語られてきました。それは、多くの人の実生活上で、花や開花に対する共通した認識があることを前提としています。さまざまな花が、その美しさで人々を魅了してきたのです。そのことが、人生に対する比喩的表現に、花を用いる所以だと思われます。また、現在見かける花の多くが、その美しさに魅せられた人々の多大な努力と追求心で、品種改良された園芸品種なのです。



 ところで、こうした花に対する印象は、植物の巧妙なる策略だと、私は以前から考えています。

 生物が雌雄による繁殖を選択したのは、とても古いことです。そして植物が地上に進出した時は、胞子植物だったことでしょう。その後に種子植物に進化し、風を利用して花粉を運んでもらう風媒花が誕生しました。地上に動物が進出し、昆虫も空を飛ぶようになると、植物はその昆虫に花粉を運んでもらうことを考えました。虫媒花の誕生です。

 昆虫を惹きつけるために、目立たない風媒花から大きく飛躍して、色とりどりの目立つ花を咲かせ、匂いや蜜で虫を惹きつけるシステムを、植物は開発しました。こうした変革は、植物の思惑通り、花とその開花に動物を惹きつけることに成功しました。私たちが花を美しく感じ魅せられるのは、後天的な体験で得られたものではなく、太古の昔から営々と引き継がれてきた、DNAに組み込まれた本能だったのです。

 だからこそ、充実した人生、自己目的を達成した人生、他人が羨む成功した人生に対して、人を惹きつける花の属性を、比喩として使ってきたのだと思われます。ですから花を比喩として使った、koderaさんが語る人生の目標・目的や生き方は、私を含め同感する方は多いと思われます。

 ただし、四季折々に咲く花々を、koderaさんは不要と述べていますが、私は大切なものの一つと思っています。先ほど述べた動物の本能に従えば、花は人々が魅了される対象となっています。もしも、この世に魅惑的な花が存在しなければ、なんと味気ない世界となったことでしょう。けれども一歩譲れば、動物の本能を超越した知能・理性・信仰で判断すると、「日常生活に花は不要」という認識も、成立するかもしれません。



 このブログでも繰り返し取り上げてきた西行の一首に、「願わくば花の下にて春死なん、その如月の望月のころ」という和歌があります。この歌の花は桜で、西行は満開の桜の下で死ぬことを願ったわけです。驚くべきは、西行は如月の望月・2月15日に亡くなっています。新暦に直せば3月下旬の、桜が満開の望月の日だったのです。このように、花そのものを私たちは愛で、それぞれの人生の中で、花は重要な役割を果たして来たのだと考えています。

 母の日にカーネーションを贈り、恋人にバラの花束を贈って気持ちを表現し、真っ赤なバラの花飾りを付けて踊るフラメンコのダンサーに情熱を感じ・・・、明らかに花は私たちの心を揺り動かします。

 西行法師を持ち出すまでもなく、私にとって、人生と四季折々の花は、糾える縄の如く切っても切れない関係に思えてなりません。koderaさんのコメントは、私にさまざまなことを考える契機となりました。ブログのコメントは、「よいしょ」的な内容よりも、自分と違った見方の方が考えを深めることに役立ちます。

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