「マッキーのつれづれ日記」

進学教室の主宰が、豊富な経験を基に、教育や受験必勝法を伝授。また、時事問題・趣味の山登り・美術鑑賞などについて綴る。

マッキーの随想:インスピレーション(霊感)

2014年07月21日 | 時事随想



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 世の中には、科学的に説明のつかない不可思議な出来事がある。例えば、インスピレーションあるいは霊感・第六感・虫の知らせなどと呼ばれるものも、そうした範疇に該当する。今日は、私が実際に体験したそうした出来事を綴ろうと思う。できることなら、夜、部屋を暗くして、一人でこのブログをご覧いただくと、いっそう理解が深まると思われる。

 私が幼少の頃、どの町にも子ども相手の駄菓子屋があった。今では禁止されている着色料を使った色鮮やかな食べ物が並び、それを食べると若干の刺激を感じ、口の中はしばらくその色に着色される。親からは、そうした食べ物を買ってはいけないと注意されていたが、なおのこと買って食べたくなったものだ。

 そうした駄菓子の中に、5円で買える正方形のガムがあった。そのガムの包装紙を取ると、中にガムの他にくじが入っていて、当たりなら同じガムがもう一個もらえる。私は、そのガムをよく買った。そして、よく当てた。

 一個目のガムが当たりなら、店のおばさんはにこにこして、もう一つガムを取らせてくれる。二個目のガムが当たるものなら、驚きながら「すごいね!」程度は言ってくれる。このガムのくじに、子どもが、はまってほしいからだ。しかし、当りが三個目・四個目となると、微笑みは消えて、不正でもしてるのではと、子どもの動作を注視するようになる。私は、五個連続でガムを当てたことがあった。その箱に入っていた当たりのガムをあらかたチョイスしてしまったわけである。ガムが入ったその箱の中を手でかき回して、不満そうな素振りを見せたその時のおばさんの顔を、私は今でも覚えている。

 私には、霊感が働くのではないかという淡い自信が、その頃からあった。「日頃のマッキーと、今日は話が違うし、非科学的な話だね。」と言わずに、今日は、私の不思議な体験を幾つか聞いてほしい。


【骨箱の話】
 私には、死産の妹がいた。私が2才の時のことなので、妹がいたという言い方も正確ではない。しかし、その妹の骨を納める骨箱を、誰が作り、そしてどこで私の父に手渡したかを、私は映像としてしっかりと記憶している。ただし、2歳の頃の出来事を、映像として明確に脳裏に描くことができるのは、この出来事だけではない。

 今は実家の墓に納骨されているが、父方の実家とは、その当時関係が悪かったため、妹の骨箱は暫くの間、家に置いてあった。理由は忘れてしまったが、私が小学生の低学年の頃、その骨箱を抱かされて、真っ暗な部屋に一人で正座させられるお仕置きを、父の命令で受けた。

 父は、どう考えたか知らないが、子どもにとって、それは恐怖のお仕置きと言って良い。私は、真っ暗な部屋で、骨箱を抱きながら怖さを紛らすために「この骨は、ぼくの妹の骨だ。だから、恐いはずはない!」と自分に繰り返し言い聞かせた。ただし、私はどちらかと言えば、小さい頃から度胸が据わる方だった。

 どれほどの時間が経ったのかは覚えていないが、気づくと私が抱いた骨箱が、「ゴソ、ゴソ」と音をたてながら振動しているのだ。確かにその振動は、私の手に伝わっていた。「自分が震えているせいで、骨が振動していたのでしょう。」と、みなさんは考えるだろう。私もそう思って、骨箱を畳の上に置き換えてみた。しかし、それでもその骨箱の振動は止まなかった。私は、耳を骨箱に当ててみた。やはり振動と音は、骨箱の中からしていた。その時、はっきり言って、私は恐くはなかった。兄が呼びに来るまで、神経を集中させて、その不思議な現象の虜となっていた。その状態が、どれほどの時間続いていたのか、覚えていない。この経験は、私にとって今でも理解できない出来事の一つである。私は、ふと霊的な領域に近い人間なのかも知れないと思うときがある。


【島の墓場】
 これは、私が大学時代の話である。夏休みを使って、漁村集落の居住形態の研究のために、ある島に長期間滞在して調査を行った。民家を一軒借り切って宿泊し、グループで調査を行ったのだが、今日の話は、その島の近くにある別の島の調査を私が指名されて、一人船で渡った時のことである。

 その島で私は、漁村の民家の間取りの寸法取りやアンケート調査などに夢中になり、気付くと外はとっぷりと日が暮れる時刻になってしまっていた。宿泊する宿まで続く小道は、海側はちょっとした崖、反対側は登り勾配の丘陵となっている所に付けられていた。街灯もない道を通り、宿まで行くことになってしまった。真っ暗な道を通り、宿まで戻れるだろうか?しかし、その夜は月明かりがあり、辛うじて道を踏み外すことはなかったのだが・・・・・・。

 宿への道すがら、私は道端の小石を、海側の崖に向かって蹴りながら歩いていた。石は、崖の岩にぶつかりながら、カラン〜カランと音を立てながら海に落ちていった。道も半ばにさしかかった頃のことだ。私が蹴った石が同様に崖から落ちていき、その軌跡を示すようにカラン〜カランと音を立てるはずだったのだが・・・・・・。

 その時、何が起きたのか? 何故か、石の転げ落ちる音はしなかった。崖の向こうの漆黒の海に吸い込まれたように、一瞬その場は無音の世界となった。地中から手が出て、私の蹴った石をキャッチしたような感覚がした。ゾクッと背筋が冷たくなった。我に返ると、道端の草木が風でザワザワと音を立てた。周囲を見渡すと、丘陵側に白く林立するものが目に入った。宿から町へ向かって歩いた朝は気付かなかったが、その場所は、海に向かって墓石が並ぶ墓地だったのだ。そんなバカな!なぜ、落ちていく石の音がしないんだ!私は足早にその場を離れ、夢中で宿へ戻ったのである。今考えても、不思議な出来事だった。


【祖父の葬儀】
 これは、私が中学生だった時の話だ。私の父方の祖父が亡くなった夜の出来事である。私たち家族は、その知らせを聞いて、家から10分ほど離れた実家へ急いだ。亡骸となった祖父と対面し、親戚の方たちに挨拶するなど、型通りの夜を過ごすはずだった。しかし、・・・・・・。

 私は、トイレに行きたくなって、実家のトイレではなく、なぜか家に戻って用をたすことにした。どうして、そう考えたのか、全く不可解なことだ。家は戸締まりしてあって、玄関ではなく庭側に廻って、縁側のガラス戸から家の中に入った。昔は、懐中電灯など使わない。手探りで、その場所を確認し、真っ暗な部屋に入り、白熱球のソケットに付いているスイッチを回して灯りを点けるのだ。

 そこにあるであろうソケットのスイッチを回そうと、両手で真っ暗な空間に手を伸ばしたその時、突然線香の匂いが周囲に立ちこめた。あとで思えば、私の服にはタップリと線香の香りが染み付いていたはずであった。私の動作で、その香りが周囲に発散されたわけである。

 けれども、ただそれだけではなかった。一瞬私の体全体が包み込まれる感覚がして、周りの刺激が全て遮断されたように感じた。自分のいる場所がどこなのか?・・・なぜ、私はここに一人いるのだろう?私の体は、しばらくその不思議な感覚の中に沈んでいた。・・・・・・その後、どうなったの?・・・その後のことは、部屋を暗くして、その状況を想像して、あなたが考えてみることをお勧めする。


【口裂け女】
 口裂け女は、1979年に日本社会をパニック状態にし、多くの話題を提供した都市伝説の一つだ。妖怪とも言える口裂け女に出会ったという情報は数多く、私はそうした話を懐疑的に聞いていた。マスメディアにより、急速に広範囲に、真実味を帯びたこうした噂が伝搬する現象といえる。

 これから話すことは、その頃の出来事である。ある日の夕暮れ時、私が人通りの少ない小路を歩いている時だった。閑散とした静寂が支配する狭い通りのだいぶ私の先に、こちらに向かって歩いてくる一人の女性がいた。黄昏時、白っぽい服装に帽子を目深に被ったその女性は、遠目に見てもモデルのような雰囲気を醸し出していた。

 その女性が近づいて来るほどに、服装だけではなく顔も不思議と白っぽく、普通の女性とは異なる、違和感を伴う不思議な感覚を受けた。数メートルまで近づくと、顔は能面のように白く、病気で実際にお面を被っているのか、またはそうした化粧をしているのか、判断はつかない。何故かは分からないが、その顔を凝視することは憚られた。私は、目だけを動かして、すれ違うその女性の顔を見た。口は耳の近くまで達していて、やはり能面のようだった。

 背筋が冷たくなる感覚と、見てはいけないものを見てしまった思いで、無感情を装うように、その女性の横を私は通り過ぎた。多分そんなに時間は経っていないはずだが、すれ違ってしばらくした後、私は振り返った。私から離れていくその女性の後ろ姿が見えるはずだったが、そこには………。何故か、煙のようにその姿は消えて、ただ夏の黄昏時の風だけが、今起きた異様な出来事の残り香を含んで流れていた。

 何らかの病気で、顔を覆うような面を付けていたのか、あるいは当時流行っていた劇団のストリートパフォーマンスだったのか、あるいは本当の……? 結局、私が懐疑的に考えていた口裂け女に、私自身が実際に出会ったのだが、その真実はどうだったのか、今考えても不明である。


 上に挙げた例だけではなく、確率的に起きることが在り得ないことが、私の身に起きる事実をどう理解したらよいのだろう。念じたことが、現実になる不思議霊界があるとすれば、私がそこに近い人間であると解釈すれば、納得できるのだが。

 ただし、日頃は理系出身として、科学的に説明できないことは、否定的に考える傾向がある。だから、念力で教室の生徒の学力を上げ、霊力で子どもたちを志望校に合格させているわけでない。勘違いなさらないように!

 夏の夜長、部屋を暗くして想像の翼を広げ、皆さんもそうした不可思議な世界に思いを馳せてみては如何だろう。

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マッキーの教育:考え方を式にしっかりと表記することが算数の学力を高める

2014年07月15日 | 学習指導法

 

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 ネット上で感情的でクレーマー的な主張を撒き散らす者達が使用する共通語彙の一つとして、「絶対」という言葉があります。「絶対許されない。」「〜は絶対ありえねー。」など、絶対という言葉が極めて安易に使われます。

 非論理的かつ感情的な主張の対極にあり、厳然と存在する「絶対」という語彙を多用することにより、反論に対する防御姿勢をとっているとも言えます。非論理的で感情が先行する主張は、他の考えを熟慮できる余裕は無く、故に非妥協的で、果ては相手を誹謗中傷することも厭わない結果となっているようです。

 教育関連の話題さえも同様です。例えば、「5箱あって、それぞれに10個のクッキーが入っている。クッキーの総数は?」という設問を例に挙げ、「私は5が10個分と自然に思い浮かぶ。」という考えを述べて、自分の考えを主張している者がいます。答えを出すだけなら、5×10で50だなと大人が考えることは勝手です。しかし、自分が思いついた5箱×10個=50個という支離滅裂な式を、これから考える力を身につけようとする小学校低学年に対する学習指導にも使うべきだという安直な考えは、大きな間違いです。

 この人物は、「答えが合えば式のたて方はどうでもよい」と主張していますが、学校や塾のプロ教師が、常に研究し試行錯誤している教科指導の努力を、いとも単簡に否定しています。自分の考えを式に書き表すことが、子どもが論理的に考える力を深め、算数の学習目的でもあることを、理解していない主張と言えるでしょう。常に匿名で自分の主張を述べているので、どういった人物か不明ですが、言動に責任を持つ意識は希薄なようです。少なくとも、子どもに対する学習指導経験が無いことは、確かです。



 進学塾では稀ですが、公立小中学校の指導経験を踏まえて、私は次のような例を挙げて、論理的に式を立てることができない子どもの問題点を、指摘することがあります。「100円のお菓子を2つ買った時の代金は?」という問に対して、100+2=102円という答えや、時には100÷2=50円という答えが返ってくることがあります。

 本当ですか? それは本当です! このように、与えられた数値を、しっかりと理解しないまま反射的に答えを出そうとする解き方を、「100円のお菓子2個で102円方式」と私は呼んでいます。このように日常扱うレベルの計算さえも、物事を論理的に考えることをしない子どもは、ミスをしてしまいます。公立小中学校の教師であれば、「102円方式」の解き方を、実感を持って納得できるでしょう。日常的に取り扱う数値感覚が身についていない子どもに対しては、情景図や模式図等を使い、手順を追って指導する教師の努力と忍耐が必要です。



 さて、以上のような問題点をクリアし、子どもの算数学習を、効果的に指導するためのテクニックを簡単に教えましょう。まずは、問題の条件を整理することを指導します。これは、なにも入試問題解法だけではなく、上記の問題レベルさえも場合によっては必要です。

 100円と書かれたお菓子を2つ、実際に情景図としてノートに書きます。その図を見ながら、どうしたら代金を出すことができるか、考えさせます。下手な指導者は、直ぐに式を書かせて、100+2=102円ですか?……違うんじゃないの! では100−2=98円ですか?……違うね! じゃあ100÷2=50円ですか?………このような指導法は、答えが合えばそれで良しとする、最初に指摘した者と同様の指導法といえるでしょう。

 「102円方式」の子どもには、情景図を参考に、「100円のお菓子をまず1つ買うと100円。その後でもうひとつ買えば、また100円。だから、100+100=200円となり、100円が2つ分だから、100×2=200円という式を書いて求めることができるよ。」……こんな風に指導する必要があります。 

 また、条件を整理すること無く、「〜ですか。じゃあ~ですか。それとも〜ですか……」方式で答えを「当てよう」としている子どもに対して、注意を喚起するために「102円方式」を持ち出すことがあります。



 問題のレベルが上がると、どういったジャンルの問題で、どのように条件を整理する問題かを、まず考えさせます。全ての解法は、既に経験したものから類推して導き出すので、全く発想が湧かない場合、その問題を離れて、知識として持つべき基本からやり直すべきです。

 条件を整理→→各種図を書く→→この後に、その考えを式に定着させます。式をいい加減に書いて、答えが合っているかどうかだけが気になる子どもがいます。多くの問題を解いても、学力がアップしない子どもの、これは共通したスタンスです。

 問題を解く行為は、答えを出すことが目的ではなく、そうした問題の解き方を経験し、活用できる知識を修得することが大切だと考えてください。自分が書いた式を説明させることは、考え方を反復することで知識を定着させる良い方法です。

 簡単にヒントを与えないこと。解くきっかけを、子ども自らが考える、また解く気力を身につけさせることが大切です。もっと言えば、教える者が、子どもの考えることの障害とならないことが必要です。「え〜と、1kmは、何メートルだっけ?」・「1kmは、1000mでしょ!」、「えーと、円の面積を求める公式は…?」・「半径×半径×円周率でしょ!」……。

 これでは、算数の学習指導になりません。手取り足取り教えて、「先生(お父さんorお母さん)の教え方、よく分かる〜!」などと子どもに言われていい気になっていると、実は全然成果が上がっていない指導だったということは、稀ではありません。

 算数の指導は、子どもが論理的に、かつ持続的に考えることを、どれだけ支援できたのか、そこが最も大切です。



上の画像は、この時期に咲いているヒマワリ・トケイソウ・ワルナスビの花です。

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マッキーの美術:美楽舎例会・T氏講演「中国骨董漂流二十年」

2014年07月09日 | 美術鑑賞



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 7月6日(日)、美楽舎例会が京橋の画廊で15時から予定されていましたが、それまで6歳児に付き合って、墨田区にある折り紙ミュージアムを訪れたり、台東区の雑貨店をハシゴしたりして過ごしました。今月の例会は、会員K氏の知り合いで中国骨董一筋に20年間、その収集と研究を続けていらっしゃるT氏を招いてお話を伺いました。

 美術品コレクターとしては、T氏の20年という期間はさほど長くはありません。私の周囲には、30年~40年のコレクター歴を持っている人も稀ではありません。私自身も、最近はちょっとご無沙汰していますが、美術愛好家として既に35年ほどの美術品収集歴があります。コレクター歴の長短は別として、T氏の骨董にかける情熱がひしひしと伝わる興味深い例会でした。

 ところで6歳児はどうしたの?……1時間半ほどの講演時は、ギャラリーの後ろで床に座って折り紙ミュージアムで買ってきた折り紙を使って一人遊びをしていました。ただ、T氏がお宝のコレクションを箱から出す度に、6歳児は骨董に興味があるのか、大人に混じって前のテーブルに近寄ってきます。「触らないように、見なさい」と言ってガードしましたが、6歳児は至って静かにマイペースで例会の時間を過ごしていました。



 今回のT氏の講演では、講演内容のレジュメとコレクションの他、資料として書籍や写真を使って説明いただきました。そうした骨董品・図録・写真などを中心に、今回の講演会の概要を今回のブログでお伝えします。

 ところで、骨董品とは何か? それは、希少価値のある古美術や古道具のことです。どの程度の古さが必要なのかは曖昧ですが、およそ製造から百年を経た物品を骨董と呼ぶのが一般的です。ですから、まず骨董品は、古いことが重要で、その結果としてその品物に希少価値が伴うことが大切です。ちょっと気取った言い方で、アンティークと呼ばれる品物も、骨董品の範疇に入るでしょう。

 私のコレクションには、江戸時代の書物・明治時代の書画などもありますが、骨董品と呼ばれるものはほとんどありません。なぜなら、骨董を収集する指針を示してくれる師匠がいなかったこと、おまけに骨董品を見る目、真贋を判定する目に、確信が持てなかったからです。

 ある百貨店で、漢の緑釉陶器の購入を勧められました。食指が動くほどどっしりとした双耳壷でしたが、結局自信が持てずに見送りました。
漢の緑釉は、1970年代までは壺が数百万円もする高価な焼き物でした。特に器物の表面が銀化し、それが景色となった壷は、日本人に好まれました。

 ところが、1980年代後半になると、中国においてインフラ整備が大々的に行われると、各地で埋もれていた漢代や唐代の墳墓が発見されました。その結果、漢の緑釉や唐三彩などが発掘され、日本に大量に持ち込まれました。その結果、それまで高価だったそれらの陶磁器の価格が大暴落しました。

 その頃に、私にも漢の緑釉壷の話があったわけです。2000年も前に作られ、陶磁器の歴史に燦然と輝く緑釉の高品質の陶器が、かなり安く手に入る時期だったわけです。



 上の陶器は、アンダーソン彩陶です。中国の新石器時代に製作された彩文土器の名で、スェーデンの地質学者・考古学者のアンダーソンにより発掘されたことで、この名があります。アンダーソン彩陶は、前5000〜前3000年ごろの遺跡から多数出土されています。ですので、極めて古い陶器ですが、比較的安い価格で入手可能だそうです。

 中国の
黄河文明は、このアンダーソン彩陶が作られた新石器時代の仰韶(ヤンシャオ)文化から、竜山(ロンシャン)文化を経て、殷・周の青銅器文化に発展していきました。 余談になりますが、アンダーソンは、現在は所在不明の北京原人の発掘にも関与した人物として記憶されています。

 
アンダーソン彩陶は、成形し乾燥させてから顔料で文様を描いた後、焼成します。顔料には酸化鉄が使われ、焼成すると黒色または褐色に変色します。陶器の表面に描かれた文様は、幾何学文・人面・魚など動物文などです。彩文土器は、西アジア、中国、中南米などの原始農耕文明に多く見られます。



 上の破片には、甲骨文(3000年前)が描かれています。
甲骨文字とは、中国・殷(商)の時代に行われた漢字書体の一つで、知られる限り最古の漢字と言われています。亀甲獣骨文字、甲骨文とも言います。亀の甲羅(腹側の甲羅)や牛や鹿の骨(肩胛骨)に刻まれました。



 上の小物は、翡翠でできた亀甲文ですが、漢時代に作られたものです。甲骨文字から比較すれば時代は新しくなりますが、亀に模した翡翠に、おめでたい文字が刻まれているのでしょう。



 上の直方体の陶器は、唐時代の枕だそうで、表面は唐三彩で彩られています。唐三彩は、唐代の陶器上に施した釉薬の色を指しますが、後に唐代の彩陶を総称する語として使われるようになりました。唐三彩の焼成は、二回行われます。一回目は、白色の粘土で作った器物を、窯の中で1000〜1100度で素焼きします。次に、器物を取り出し、各種の釉薬をかけ、再び窯の中で850〜950度で焼き陶器として完成させます。

 唐三彩は芸術品としての水準は極めて高いものの、日用品として用いられることは少なく、主に埋葬品として使用されたのだそうです。知り合いの家に、唐三彩の馬や駱駝の置物が幾つもありました。クリーム色・緑・白の三色の組み合わせや、緑・赤褐色・藍の三色の組み合わせなど、とても美しい焼き物です。それらの唐三彩の置物は、本物だったのでしょうか。

 加藤卓男は、ラスター彩が有名ですが、実は「三彩」の技法で重要無形文化財(人間国宝)になった陶芸家です。下の花器とぐい呑は、私が所有している加藤卓男の三彩花器とラスターぐい呑みです。









 上の香炉は、宋時代の龍泉窯の青磁です。南宋時代、青磁の主要な窯場が「龍泉窯」ですが、
龍泉は、カオリン質の灰白色の土に恵まれていたことが理由のようです。鎌倉時代には、龍泉窯で作られた「砧青磁」が、数多く日本に輸入されました。

 北宋時代の後半の汝官窯の青磁は、素地は陶胎で、柔らかい白色の陶器の上に青磁の青い釉をかけています。全体に釉をかけるために焼くときに針の上に置いて浮き上がらせたので、器の底には針の目の跡が残り、陶胎のために貫入も入っています。

 龍泉窯では、素地に灰みを帯びた白色の磁器質のものを選んだために、硬質な印象の器となりました。また釉は石灰鹸釉で、これは高温でも釉が流れ落ちない特性があり、そのために3〜4回の施釉と焼成を繰り返したものが多いのだそうです。



 上の椀は、宗赤絵(磁州窯)の椀です。宋赤絵とは、宋代(金代)に作られた上絵付けの陶器のことです。化粧掛けした素地に透明な釉をかけ、その上から赤・緑・黄などの顔料で花鳥などを描いたもので、赤絵の先駆けとも言える焼き物です。この宋赤絵の椀は、赤絵で花と魚が描かれ、またわずかに薄緑に彩色た部分があり、口縁に金泥が施されています。下の図録に掲載された宋赤絵に、形式が似ている作品です。

 以前、私は赤絵の焼き物が好きではありませんでした。けれども、赤絵の器を実際に使ってみると、食卓が華やいだ雰囲気になることに気づきました。赤絵の食器ばかりですと興醒めしますが、上手に配置すると、楽しく使うことができる焼き物と言えるでしょう。



 中国陶磁器の中で、忘れてはいけないものとして、青花を上げることができるでしょう。日本では染付と呼びますが、白磁の釉下にコバルトで絵付けを施した磁器のことです。元代に始められた手法で、きめが細かく純白に近い磁器質の胎土を用い、釉下に施された青色の文様は、退色・剥落することがありません。明の時代に景徳鎮に官窯が設けられ、洗練された完成度の高い作品を生み出しました。

 ところで、最近100年〜150年の発掘の成果は、歴史を変えるほど充実したものでした。埋もれていた歴史を掘り起こすことで、伝世品に偏っていた意識の変革を迫られたと、T氏は述べています。また、骨董の価値という点では、発掘や海揚り(うみあがり)によって大量に品物が出回ると、需要・供給のバランスが崩れ、値が下がります。学術上は、貴重な資料が増えますが、骨董の価値は一時的に下がることになります。




 下の筒状の物は、象牙の筆筒(筆立て)です。明時代の作品で、象牙の表面に精緻な彫り物が施されています。このような文房具も骨董の範疇に入る作品です。美術品として扱われずに、実際に日常的に使われてきた品々の中には、芸術的に優れた物品も少なくありません。審美眼を研ぎ澄ませ、そうした日用品の中に芸術性を見出して、自分なりのコレクションを形成することも、骨董収集の一つの方法と言えます。






 上の画像は、東京国立博物館で開催中の「台北 國立故宮博物院―神品至宝―」で展示された、台北の國立故宮博物院が誇る神品「翠玉白菜(すいぎょくはくさい)」です。大きさと完成度は異なりますが、その形式が同様な下の画像の作品は、清末期に作られた翡翠の印鑑です。

 骨董の初心者は、骨董市や蚤の市で、自分が好む物品で、値の張らない品物をまず購入し、手元に置いて楽しんだらよいでしょう。無論、その程度で初めから掘り出し物を見出すことは困難です。けれども、古い物の味わいや良さが分かってきて、かつ自分の好みというものが理解できるようになるはずです。そうした経験を経て、信頼の置ける骨董品を扱う店で、良い品を思い切って買うことができるようになれば、あなたは骨董の虜になる道を歩み始めたと言えるでしょう。くれぐれもご注意を!

 骨董に魅せられ、中国骨董を中心に、好みの作品を収集してきたT氏の話を聞きながら、美楽舎にいる、またはいた人たちの、様々なコレクションについて考えました。収集品の分野はひと様々で、手に入れた作品に対する思い入れは、優劣つけ難い人たちです。購入作品に囲まれた至福の生活がある一方、家人に知られないよう真夜中にこっそりと作品を自室に持ち込む涙ぐましい労力や、購入費用の工面の悩みなども、コレクターの属性と言えるでしょう。

 ですから、美術収集家のコレクションには、それを集めた人の主張と思い入れが込められているだけではなく、悲喜こもごものコレクター人生が投影されているのです。




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マッキーの『四季を楽しむ』:6月末の新宿御苑

2014年07月03日 | 四季の植物と風景



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今年は、集中豪雨や極めて狭いエリアで大量の雹が降るなど、人々を驚かす気象現象が続いています。気象庁の予報でも「これまでに、経験したことのない〜」といった形容が付く気象が増えました。地球温暖化は、大気の運動に必要なエネルギーを大量に供給していますから、今までの経験で語れない異常気象が起きる頻度が高まっていることは確かです。

 6月29日(日)、天気が心配されましたが、新宿御苑へ6歳児と出かけました。外へ出ると、霧雨が降っていて、出かけるのを躊躇しましたが、傘を差すほどでもないので、急ぎ足で駅まで向かいました。

 新宿三丁目駅で降りて地上へ上がると、青空も覗いていて、天候は回復傾向にありました。雨上がりで湿度が高く、入苑すると直ぐに、二人ともに刺されてしまいました。早速、ウエットティッシュ式の虫除けで、薬剤を体に塗りました。スプレー式の虫除けよりも、薬剤を吸引しない分、健康に良いでしょう。他の植物園や公園でも、予め虫除けを準備していくと、快適に過ごすことができます。

 新宿口近くに、タイサンボクの木があります。他に2カ所ほどタイサンボクの木がありますが、白い大きな花が見頃を迎えていました。年間を通して繰り返し訪れる新宿御苑ですが、その季節を代表する植物を楽しみにして、入苑しています。この時期は、少し花が少ない時期ですが、タイサンボク・カシワバアジサイ・アジサイなどの花が咲いていました。



 ツリフネソウは、赤紫色の花が多く、別名ムラサキツリフネとも呼ばれます。上のツリフネソウの花は黄色ですので、本当の名称はキツリフネソウです。雑草としては、他にネジバナトキワツユクサなどの花が咲いていました。

 下の画像の綺麗な朱色の植物は、花ではなく若葉が赤い色をしています。若葉が赤い色をしている植物は多く、アントシアニンという色素によって赤く発色します。
アントシアニンは若葉が成長してクロロフィルを生産するまで、紫外線から葉を守る働きをしているといわれています。



 下の画像は順に、キキョウ・カラスウリ・サンゴシトウの花です。キキョウは秋の七草ですが、花は6月下旬から咲き始めます。つる性の植物で、赤い実も風情があるカラスウリですが、その花の形状は独特で、見間違えることはありません。サンゴシトウは、アメリカデイゴの交配種で、その形状と色からもそのことが推測できます。









 この時期に、新宿御苑で最も出会いたい花はと問われれば、タイサンボクと応える人は多いことでしょう。アメリカ原産のモクレン科の常緑高木で、大きな白い花が咲きます。6歳児が左手に持っているマイクのような形状のものは、落ちていたものですが、タイサンボクの雌しべだと思われます。タイサンボクの花は、蓮の花のように清楚で美しい花です。









 夏がやって来ると、子どもは親水公園で遊ぶ楽しさを思い、また大人にとっても水辺の景色が印象に残る季節となります。池の周囲に植えられている樹木や、青空をゆっくりと動く白い雲が池に映じた景観が、私たちの心を和ませてくれるでしょう。









 苑内のヒマラヤシーダ(ヒマラヤスギ)には、とても大きな松ぼっくりができていています。ヒマラヤスギは、ヒマラヤ山脈を原産とする「マツ科」の常緑針葉樹ですので、スギに「松ぼっくり」は、変ですが正解です。

 また、最近までチュウリップのような形の花をいっぱい咲かせていたユリノキの巨木には、オクラのような形をした実ができていました。

 木陰が恋しくなる季節ですが、見上げれば自在に曲がりくねった松の枝先に、青空に浮かぶ白い雲が、ゆっくりと流れていました。









 アジサイの装飾花が退色した頃に、中心にある花が開花しているのが分かります。その下のアジサイは、葉の形状が柏の葉のようですので、カシワバアジサイと呼ばれる品種です。装飾花である花穂が、ピラミッド状となっていて、花の色は白です。下の花は、枯れる前で色が変色していると思われます。






 
ユリは、北半球のアジアを中心にヨーロッパ、北アメリカなどの亜熱帯から温帯、亜寒帯にかけて広く分布し、原種は100種以上、品種は約130品種(アジア71種、北アメリカ37種、ヨーロッパ12種、ユーラシア大陸10種)を数えるそうです。日本には15種があり、7種は日本特産種ですから、多くのユリの花が見られる国と言えます。

 キリスト教では、白いユリの花が純潔の象徴として用いられ、また聖母マリアの象徴ともされています。日本では、「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」という諺がありますが、美しい女性の容姿や立ち居振る舞いを、比喩的な表現で表した言葉です。 ちなみに、我が家の6歳児の名には、ユリという言葉が含まれまが、「歩く姿は百合の花」と形容するほど、(現在は)おしとやかではありません。



 「ねえ、あなたは五木ひろしと犬と、どうして遊んでいるの?」

 新宿御苑からの帰り道、人形町の教室に立ち寄るために、浜町駅で降りました。近くの明治座に貼ってあった大きなポスターの前で、パチリ。

 しばらく教室にいて帰宅する頃、再び雲行きが怪しくなり、最寄りの駅から自宅まで、雷を伴う激しい雨の中、6歳児と相合い傘で、小走りに帰りましたが、この子は私にピッタリとくっついて、悪天候を楽しんでいるようでした。








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マッキーの随想:第三者委員会・懇談会・諮問委員会…茶番はやめなさい!

2014年06月29日 | 時事随想



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 学校における事件性のあるいじめや、企業による犯罪行為などがあった場合に設置される「第三者(調査)委員会」は、昨今頻繁に話題となり、その意義を知っている方は多いと思われます。大津いじめ自殺事件オリンパスの粉飾会計事件などにおける第三者委員会設置が、近年ではマスコミと世間の耳目を集めて、多くの人に記憶されました。

 学校で起きる不祥事や企業犯罪では、その組織責任者の多くが、疑惑を積極的に解明することを避け、自己保身組織防衛に走ってしまうことが、第三者委員会を設置する理由です。そうした動きは、疑義を告発する側が、疑惑の対象となる組織による調査結果を、信じることができないということでもあります。ですから、第三者委員会は、当該の利害関係者は排除し、当事者と関係のない第三者を構成要員として設置されなければなりません。そうでないと、第三者委員会の原因究明が、茶番の危険に陥ってしまいます。


 第三者委員会の意義と設置基準を順守するなら、ある程度原因を究明することが可能です。けれども、第三者委員会で客観的な原因究明が成されたとしても、その結果を疑惑対象者が真摯に受け止め、対応処置を素早く取れるかどうかは別問題で、大津いじめ自殺事件の教育委員会の煮え切らない対応を見ても、疑わしいと言わざるを得ません。

 大津いじめ自殺事件前後の学校と教育委員会の隠蔽体質が問題視されたにもかかわらず、納得できる改革と対応ができなかったことなどが引き金となり、翌年には「いじめ防止対策推進法」が国会で可決されたことは、問題ある言動を繰り返した大津市の教育長及び教育委員会が反面教師となった《成果》と言えるでしょう。

 またこのような問題点を露呈し、世論の厳しい批判を浴びた教育委員会制度を見直し、自治体首長の権限を強化する改正地方教育行政法が、国会で可決し成立しました。教育委員会にとっては自業自得とも言える法改正ですが、教育行政に自治体首長の政治的な介入だけが目立つ結果となり、本質的な改革が進まないという可能性もあり、国民はしっかりと注視していく必要があります。この法律は、
来年4月1日に施行されます。



 安倍首相は、私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)を立ち上げ、憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認する結論を、この組織に提言させました。安倍首相は、そうした結論を導き出すことが可能な、自分の息がかかった賛成派論客をメンバーに揃えているわけですから、思惑通りの流れで事を運ぶことができたようです。

 2014年5月15日、内閣に対して提出された《集団的自衛権の行使は認められるべきだ》とする報告書は、安保法制懇の一人が初期の段階で、「やれと言われたら一週間でまとめられる」と豪語したと報じられ、もともと話しあう以前に結論が決まっていた、全くの茶番劇であったことは明白です。

 安部首相の考えを、諮問機関の提言という形式で補強し、いかにも国民のお墨付きを得たように装う行為は、国民を欺く振る舞いと言えます。国民の血税を投入した諮問機関において、恣意的な人員の選定により、自在に結論を導き出せるからくりを用いたこの提言は、必ずしも民意を反映しているわけではありません。

 中央省庁や、地方公共団体など行政機関に設置される懇談会や審議会は、その討議目的が極めて多岐にわたり、調べるとその設置数がとても多いことに驚かされます。行政が行う施策が、的を射て効果的で効率的なものとなるように、費用をかけて、外部有識者に討議してもらうことは大切なことですが、それが形骸化して茶番に終わっていないかどうか、しっかりと検証してみる必要があるようです。




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