「マッキーのつれづれ日記」

進学教室の主宰が、豊富な経験を基に、教育や受験必勝法を伝授。また、時事問題・趣味の山登り・美術鑑賞などについて綴る。

マッキーの現代陶芸入門講座(15)…藤原 雄のぐい呑み・徳利

2008年06月13日 | 陶芸

今回の作品は、備前焼の作家として生前大変人気のあった、藤原雄のぐい呑みと徳利です。

多分どなたの家にも、花瓶や食器そしてぐい呑みなどの備前焼が、おありのことと思います。

備前焼の良さは、その発祥が古代の須恵器に遡ると言われているだけに、素朴な力強さを感じる所でしょうか。そして、基本は無釉薬の焼締陶器ですので、そのフォルムと、炎芸術とも言うべき炎による様々な窯変が、備前焼の魅力となっています。



胡麻の掛かった雄のぐい呑み


雄の作品は、この人の人柄を表しているのか、おおらかでゆったりした印象を受けます。私は、この作家は決して職人的な技量のある人であったと思いません。四方皿(よほうざら)の上に、ヘラで描いた文様などは、どちらかというと稚拙な印象さえ受けます。しかし、そんなことには無頓着なように、精力的に多くの作品を残しています。

陶芸家の中で、「ユウさん」と言えば藤原雄のことで、一般の陶芸愛好家の中では、圧倒的な人気作家だったと思います。



こちらは、少しおとなしい雄のぐい呑み


藤原雄は、1932年後に備前焼で人間国宝となる藤原啓の長男として、現在の備前市に生まれました。

1951年明治大学文学部に入学し、文芸部に所属し短編などを誌上に発表するなど、文学青年として、学生生活を送りました。

大学卒業後、みすず書房に入社するものの、父啓の病気看護のため、郷里岡山に帰ります。

小山富士夫の勧めで父啓に師事し、備前焼を学び始めます。

1958年日本伝統工芸展に初入選。以降伝統工芸展を中心に、作家活動を展開。

1996年備前焼で重要無形文化財(人間国宝)に指定される。父啓も人間国宝に指定されており、二代続けての人間国宝となりました。

2001年69歳で死去。体調がすぐれないと聞いていましたが、早すぎた死でした。



藤原啓の緋襷(ひだすき)のぐい呑み


藤原啓も雄も、青年時代を文学青年として過ごし、焼き物を最初から目指したわけではありません。多分そうしたことが、この2人に共通した、おおらかなゆったりした作風を生み出していると考えられます。


 備前焼は瀬戸・常滑・丹波・信楽・越前とともに、日本を代表する六古窯の一つに数えられています。

鎌倉時代後期に、酸化焔焼成による現在の茶褐色の陶器が焼かれ、現在では「古備前」として珍重されています。

室町後期には、備前市の伊部(いんべ)で大窯が築かれ、その産地の地名をとって「伊部焼」とも呼ばれています。

森・金重は、その時代からの窯元で、今でもこの系譜に続く作家が活躍しています。

備前焼の焼成は、約1300度の高温で2週間も炊き続けることによって行われます。作品の出来不出来が、この焼成によって左右される、まさに炎芸術と言っても良いでしょう。(ただ、経験を積むと、結構計算して窯変を作り出す事もできると聞いたこともありますが、その辺の所はよく分かりません。)

ぜひ、作家物で自分の気に入ったぐい呑みを一点購入し、晩酌などでその陶器の肌触りを楽しみながら、一杯やってみてください   酒の肴は、ぐい呑みに合わせ、質素な物で十分

また、備前焼のビアマグを冷蔵庫の中で、キンキンに冷やしておいて、そこにビールを流し込むと、陶器表面の微細な凹凸によって作り出されるアワがたまりません   これからの季節、どうぞおためし下さい



啓の箱書き


 備前焼の、窯変の種類は、知っておいた方がよいので、まとめてみました 

胡麻(ごま)…窯焚の最中に、薪の灰が融けて生地にくっ付く事によりできる模様。

緋襷(ひだすき)…藁を巻き鞘などに詰め直接火の当たらない場所で焼くことによって、生地全体は白く、藁のあった部分は赤い模様になる。

牡丹餅(ぼたもち)…焼成時に作品の上にぐい呑みなどを置くことで、該当部分が白くなる。そのカタチが牡丹餅のようになることからこの名がつけられた。

桟切り(さんぎり)…窯床においてある作品が灰に埋もれたとき、火が直接当たらないのに加え、空気の流れが悪くなりいぶし焼(還元焼成)になるために生じる窯変。ネズミ色・暗灰色・青色などがあります。

青備前(あおびぜん)…通常の備前焼締めは酸化焔であるが、還元焔になることで青くなる。青備前は窯中で空気があたらない箇所で焼成されると出来る。



雄の徳利



箱書き


 最後に備前焼で記憶しておくべき物故および現存作家を紹介しておきましょう 

まず筆頭は、金重陶陽。現在の備前興隆の礎を築いた巨匠です。備前焼で人間国宝になりました。備前焼で人間国宝に指定された作家は、金重陶陽の他に藤原啓・山本陶秀・藤原雄・伊勢崎淳で、計5人です。

山本陶秀は、茶入れの陶秀とも呼ばれ、職人肌の人でした。私も茶入れ、鶴首の花器、茶碗など、陶秀の作品を数点持っていました。

唯一、これらの作家で縁のなかったのは、伊勢崎淳です。伝統的な技法を踏襲しながら、現代的感覚を取り入れた作品が評価を受けているそうです。

現存の備前焼作家の中で、ダントツの力量を感じさせる作家は、私にとって 森陶岳 です。精力的に活動をしていましたが、最近はどうしているのでしょうか 

他には、陶陽の弟の金重素山、金重道明、浦上善次、伊勢崎満、金重晃介、金重まこと、山本出、山本雄一、各見政峰、各見飛出記、岡田輝、星正成、柴岡紘一、今最も人気がある隠崎隆一、小西陶蔵、好本宗峯などを挙げることが出来るでしょう。


1988年 黒田陶苑

かつて、この作家の花器・茶器・食器など、かなりの点数を所有していました。

今、手元にある作品は小品のみですが、この人のおおらかさが表れた心温まる陶芸が、この作家の持ち味です。





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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんばんは。 (備前焼 後楽窯)
2008-06-13 17:55:07
私は岡山市内で備前焼頑張ってます。 よろしくお願いします。
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