ほんさん徒然日記

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後日談 島田美菜子のこと

2019年03月04日 | 日記

美菜子が亡くなって1年が経った。

1年前に美菜子のことを書いたが、その時にガロという漫画雑誌に写真家のアラーキーこと、荒木経惟の新浪漫写真というのが載っていて、そのモデルが島田美菜子だったということを書いた。そのガロが何年の何月号であったのか、確かめたいと思っていろいろと探してみた。しかし、美菜子がモデルの写真は見つからなかった。

かなり念入りに調べたので、見つからないというより、そのような写真は存在しないことが分かった。

なぜ、自分は美菜子をモデルにしたアラーキーの写真を見たと思い込んでいたのだろうか?

当時、妻にも美菜子がガロに載っているということを話したらしく、妻もそのことを覚えていた。路上で青と赤の原色模様の和服を着ていた中性的な雰囲気の写真だった、私も何となく覚えている、などというのである。

ところが、いくら探しても美菜子のモデルになった写真はなかった。美菜子をモデルにした写真はなかったが、1996年9月号にガロは「今こそ、演劇」という特集を組んでいた。その演劇特集の中に美菜子の舞台が批評されていたのである。なぜかその9月号は私の本棚に鎮座していた。

その9月号のガロには、アラーキーの写真も掲載されているがモデルは美菜子ではない。似ても似つかない女性である。演劇が特集されていてそちらのページに美菜子の一人芝居が紹介されていたのだった。

私は「アラーキーの写真が載っているガロに美菜子の劇評が載った」という美菜子からの報告でガロを買い求めたに違いない。

その劇評とアラーキーの写真をセットで記憶していた。そして何時しか美菜子がアラーキーのモデルになっていたと思い込んだのだと思う(妻も)。

記憶というものはこうやって自分の中に改変されて蓄積され自分の人生を支えているものなのか、、、都合のいいように改変される場合もあるだろうがより都合の悪いほうへ改変されて思い込んでいることもたぶんあるだろう。記憶があいまいだと生きているということもあいまいだということになる。死んでいる人もおぼろげな記憶を抱えて生きている人も同じ混沌とした土俵に乗っている。生と死はたいして遠くはないのではないか。

話は戻るが、美菜子の劇評の内容はほんの2,3行ではあるがいいように褒めてあった。

早坂嘉信という人が一人芝居を勧めているのだが、「イッセー尾形のようにキャラクターが面白い一人芝居を筆頭に、渡辺えり子を始めとするベテラン群も最近また一人芝居に挑戦している。でもこのところ観た中では、極東演劇研究所の島田美菜月が独特の語りで繰り広げた「ルピスカ物語」がちょっと支離滅裂ぽくて個人的には面白かったと思う。」と書いてくれていた。

ルピスカ物語は僕の手元にビデオがある。確かに支離滅裂ぽくて面白い。1年経って遠のくというより却ってだんだん近くなる。

生きている私の記憶がだんだんいいかげんになって、私の輪郭もあいまいになる。

そのようなかたちで自然とも宇宙とも死者とも交わっていくのだろうか?記憶が不鮮明になることは悪いことではないのかもしれない。

 

 


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