ほんさん徒然日記

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桜が咲いた

2021年03月27日 | 日記

今年も倉庫に、桜の花が咲いた。
1800㎡の敷地に、あらためて数えてみたら丁度20本、桜の木が植わっている。
贅沢な気がする。山の中にあって自分以外に誰も観に来ないだろうから。
贅沢ついでにブランコに揺られながら花見をしてみたいという気になった。
ちょうどよい具合にクロガネモチの木が2本、適当な間隔で立っているので、その枝に横木を渡してブランコを作った。

それにしても一斉に咲き乱れる桜には不思議な気配が漂っている。
桜の樹の下には屍体したいが埋まっているといったのは梶井基次郎だったか?
死体と満開の桜、散り際が潔いことからのイメージだろうか、あるいは、おびただしく咲き乱れる花の分量が十分な栄養のお蔭で、そのような豊富な栄養は腐乱した死体によるものに違いない…という妄想からだろうか?
腐乱した肉体は果たして桜木の肥となるのか?
そんなことを考えながらブランコに揺られながら桜を眺めている時、3年前に埋めたミニチュアダックスの「モモ」のことを思い出した。
今の時期に生まれたのでモモと名付けられて13年目の同じ時期に死んだ。
この倉庫の敷地に埋葬して、その上にしだれ桃の苗木を植えたのだった。

3年前に植えた時

これが3年前にモモの死体を埋めてその墓印に植えたしだれ桃である。


桜の木が植えてあるエリアから少し離れたその場所に行ってみた。
死体なら人間でなくとも同じようなものだ。腐乱して栄養になると思ったが、桃の木は枯れかけていた。


梶井基次郎の妄想は妄想に過ぎないのだな。実際には栄養になるのではなく、腐乱した肉体は毒素のように木の成長を妨げたのだろう。
モモは癖のある犬だったから素直に栄養にはなってくれなかったのかも知れない。
そう考えると、いかにもモモらしくて、しだれ桃が枯れたとしても残念とは思わない。
埋めてから3年たったから、そろそろ腐乱死体は土に馴染んで毒気も抜けたかも知れない。
桃の木は抜いて、今度は何か他の木を植えてみよう。
ブランコに揺られながらどんな木を植えるか考えた。