ほんさん徒然日記

写真付きで日記や趣味を書く

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初代プリウス、力尽きる

2018年09月05日 | 日記

2000年に初登録された初代プリウスである。「21世紀に間に合いました」というコマーシャルで一世を風靡した国内初のハイブリット車。
その中古、7年落ちを2007年に購入してこれまで11年間、21万キロ乗って来た。
18年前の車であるから、多少の問題はあったがまだまだ乗るつもりでいた。
何しろ初代プリウスに限って、駆動用のバッテリーが無料で交換してもらえるのだった。
私はすでに2回、交換してもらっていた。期限、回数制限はないというので末永く乗るつもりだったが半年前からハンドルが、たまに言うことを聞かないことがあった。
エンジンを始動した途端、勝手にガタガタ動いたり、走っているときに突然パワステが効かなくなるなどした。
めったに起きない現象なのだが危ないので今回、半年点検のタイミングで部品を交換してもらった。
ネットで調べると同じような現象が起きている人が少なからずいた。その人たちと情報交換してパワステコンピューターかパワステギア(ラック&ピニオン)に問題があるらしいと分かったのでネットで中古を取り寄せ、ディーラーに持ち込んで取り換えて貰った。
コンピューターかギアか、どちらが悪いのか判らないのでとりあえず両方を交換してもらった。
これで安心して、もうしばらくは乗り続けられるはずだったが、交換してみると却って症状がひどくなった。
毎回、乗るたびにパワステが効かなくなるのである。走行中突然、ポン!と警告音がしてPS異常の警告灯が点灯する。
そうなったら、駐車場に止める時などにハンドルを切り返す、それが重くて大変なのである。
ディーラーに相談に行ったが、新品の部品と交換した訳ではないのでどうしようもないという。新品の部品だとギアだけで20万円、コンピューターも結構するらしい。
ということで、プリウスを諦めた。
早急に、燃費の良い、大きくない(駐車場が狭いので)車を、世話になったそのディーラーに探して貰った。
アクアの、まだあまり走っていない車があったので、それに決めた。
自分は使い捨てが出来ない質なので、今度のアクアも力尽きるまで乗るだろうと思う。
満身創痍のアクアを、例えば20年後に操っている自分‥は、存在するだろうか?

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物質はエネルギーの別の姿

2018年08月10日 | 日記

7月に市内の公民館から講演の依頼を受けた。鍼灸師の立場から健康法について何か話してくれという依頼である。
私個人を名指しでという訳ではなく、鍼灸師会の普及活動に駆り出されただけの話である。
とりあえず「東洋医学の健康法」というタイトルで話すことにした。依頼者は、暑い夏の時期の乗り切り方や不眠症などについて話してくれという。
判りましたと返事はしたものの、私は実は東洋医学に詳しくない。日々の臨床では、東洋医学の理念では治療していないのである。
いわゆる科学的に根拠のある鍼灸治療をしている。
たとえば、お灸を皮膚に据えると火傷が出来る。皮膚が焦げて生体にとって異種蛋白が出来る。火傷毒素が生成する。そこに免疫機能が働き白血球や血小板が増えたりする。そのことが感染症やアレルギーを治癒に導く効果がある。鍼にしても、皮膚に細い針を刺入することで自律神経が整い、また鎮痛作用もある。そういう現象は科学的に証明されている確かなものなので、そういったことを根拠に患者の訴えに対応しているのが私の鍼灸治療の現状である。
ところが、東洋医学の考え方、病人に対するアプローチというのは、誠に観念的、感覚的なのである。
いわゆる「気」がすべての世界だ。
3000年前の中国の思想がいまだに信じられている。
西洋医学と違うスタンスが、現在評価されている東洋医学であるから、その「気」の医学について話さなければ講演を聞きに来た市民は納得しないだろう。そのことに答えなければならない。
そこで、改めて私は東洋医学について勉強した。古典教書のバイブルとも目される「黄帝内経素問」も読み返した。図書館に行って「東洋医学のしくみ」「良く判る東洋医学」「患者さんに伝えたい東洋医学のお話」など手当たり次第に読んだ。
そして、自分があまり信じていないのに、そのような古典的な解釈による治療方法や養生法を知ったかぶりで話すのはいやだなぁと結論した。
しかし、改めて東洋医学の思想を勉強しているうちに根本のところで東洋医学、というか東洋思想は自分の生きざまとリンクりていることに気が付いた。東洋思想はすごいと改めて感動した。
そして自分が演劇をやりながら、なぜ鍼灸師養成学校へ入学したか、その動機を思い出した。
私は役者をやっていた時、舞台で禅的な体験をしたのだった。
稽古中、何時間も同じ姿勢と表情でじっとして居た。コロスの役割なので風景の一部として舞台の袖の方で置物のようにたたずんでいた。稽古なので自分の目前では主役の役者たちがダメ出しを受け、何度もやり直している。そんな状況で自分は居ないかのように風景の一部のように気を抜かずにじっとして居たのである。自分は見られていないのであるから適当に座っていればそれでもよかったのであるが、瞬きもせず、置物のようにそこに居ることがとても面白かった。その時間が自分は一番充実した良い時間だった。毎日、毎日、座禅を組むように稽古場に通った。そして、ある時、はっきりと世界が手ごたえをもって現れた。
目の前でやり合っている主役の役者や、客席でダメ出しをしている演出家。がらんとした劇場の空間。今でいうマインドフルネス状態。にらめっこをしているときのようなアリアリとしたその場の手ごたえ。今、この瞬間自分が一言発すれば、この空間はパキッとひび割れるという手ごたえがアリアリと先取りできたのであった。
自分は存在感のある役者になりたいと試行錯誤を重ねて来て、何もしないこと、ただ鏡のように周りをうつして気配を消すこと、そのことが自分にとっては一番存在感があると実感できた。これはすごいことを体験したぞ、と、自覚できた。私がそのような体験をしたことなど演出家は気が付かなかったが、私にとっては大事件であった。
その公演の後、劇団を辞めて自分で劇団を立ち上げ、役者から演出家に転向した。
自分が感動した、「何もしない・自分を捨てて物になる」というその境地を他の役者に伝授して、そういう役者が舞台でゴロンと転がっていたり、時に機械仕掛けの人形のように片言でしゃべったり、ネジが切れたように突然固まったりする。そんな舞台はどんな風景か観たくなった。そこで劇団を辞し自分で劇団を作ったのであった。
そういうふうに役者を育てているときに、自分は鍼灸の養成学校へ入学したのだった。気配を消すとか、板に付くとか、腰を据えるとか、自分を捨てるとか、そのような言葉を舞台上の演戯の規範にしようとした時、「気」という概念を実感として教えてくれる場所が唯一、鍼灸学校であったから。
「気」というものの実態を体験することが、自分の思い込みでなく他人と共有できる実態のあるものだということを確かめたかった。
結論から言うと、鍼灸学校では「気」は教えて貰えなかった。教養として東洋思想は習ったが、それは習得するのに時間が掛かりそうだった。
そこで鍼灸治療は生活のための業として、科学的な考えで治療することにしたのだった。35歳で子供が生まれ、生活を維持するために鍼灸師の免状を手に入れるとすぐに開業した。科学は客観的な事実で効果が出せるので、微妙な手ごたえとか熟練はさなど要しないという利点がある。身体に10ヵ所お灸を据えれば免疫力が高まるという事実に基づく治療であるから。経験は少なくても何とか治療できるのであった。
さて今回、私はあらためて東洋思想が凄いと思ったのは、講演のために東洋医学を勉強することになって、陰陽論を調べた時、現代物理学の世界で、東洋の思想が評価されているのを知ったからである。
「タオ物理学」という本を書いたF・カプラーという物理学者によると、現代物理学の宇宙に対する理解は、やっと東洋思想の宇宙観に追いついたという。
東洋医学で言う陰陽論では、宇宙は「気」で満たされている。そして「気」が物質を作っている。物質は「気」が凝集したもので「気」と同じものの別の側面。「気」は拡散し温める性質の陽気と収縮し冷やす性質の陰気との二面性があり、相対立しながらお互いになくてはならない関係で循環している。
実はこの考えは現代物理学の宇宙に対する解釈とウリ二つだという。

アインシュタインの相対性理論。
E=mc²
質量m(kg)は、光速度をc(m/s)とすると、エネルギーE=mc²(ジュール)と等価。
光速は299792458 m/sという定数なので、

エネルギー、E(ジュール)=物質の重さm(㎏)×2997924582(m/s)×2997924582(m/s)

この式は、物質とエネルギーは同じものの違った側面だということを示す有名な式だというのだ。

一例を挙げれば、太陽が光り輝いているのは、水素が核融合反応でヘリウムになるとき、物質である水素の質量の0.7%が消えて、それがエネルギーに生まれ変わって放出される。
また、広島に落とされた原爆はわずか800gのウランが核分裂して他の物質に変る時放出されたエネルギーだという。
エネルギーという形の無いものが、物質と同じ。
宇宙は、その形の無いエネルギーで出来ている。そのエネルギーは拡散する性質と凝縮する性質、暖かい性質と冷たい性質、そのように、対立しながら支え合っている。裏と表が激しく入れ替わっている。激しい勢いで揺れ動き循環している。宇宙は動物も植物も鉱物も空気も水もすべて実体のないエネルギーとして入り混じって循環している。
ヨーガとか禅の瞑想によって、そのような宇宙の姿を直覚した真人が居るということ。現代物理学者がそのような東洋の神秘主義者に一目置いていること。
そのことに今回勉強して大いに感動した。
このことを、東洋医学の健康法というタイトルの講演で伝えることが出来るのか?どこまで分け入って話せば理解してもらえるのか?上手く話す自信がない。しかし、日ごろ信用していない(陰陽虚実の見立てが個人によってまるで違う)古典的治療法を東洋医学的な治療として紹介するのも気が引ける。
わたしが伝えたいのは東洋医学の真髄は「気」であること。「気」というエネルギーが宇宙を、また自分を構成していること。
そのようなことを伝えたいのであるが、判ってもらえるかどうか?はなはだ心もとない話ではある。

 

 

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カンノのこと

2018年05月04日 | 日記

私が鈴木忠志の主催する早稲田小劇場を辞めて自分で劇団を作った時、何人か劇団に居た後輩に声を掛け一緒にやろうとそそのかした。その中には、カンノは居なかったがしばらくして早稲小を辞めて私のもとにやって来た。
それ以来、東京での演劇活動の最後まで一緒だった。彼女は舞台上で時にとても美しかった。が、きほん、3枚目であった。そんな彼女を自分は世に出すことが使命のように思っていたが、彼女は意外とあっさり辞めてしまった。
彼女が演劇を辞めたことが、私が東京を引き払って田舎に帰る決心をしたきっかけの一つになったと思う。
そのカンノが癌になったのは、私が田舎に引きこもって何年かしてからである。癌になって手術したと報告しに我が家を訪ねて来てから、はや20年は経過している。
その20年の間、癌は方々に転移し、その都度X線で焼いたりほっておいたりしているが、いまだにカンノは元気に生きている。豪傑である。
一緒に演劇をやっている頃、劇団員を引き連れて成田山へ断食に籠ったり、喫煙を皆で止めたりした。
役者は、社会生活の羽目を(人間として健全な方向へ)外すことが楽しめなければつまらない。
煙草を吸う習慣も、その羽目が嵌っている状態だから面白がって止めてしまおう。依存性のある習慣を止めることが面白がれないようでは役者になれないぞ。などと諭して自分もその時、皆と一緒に煙草を止めた。
ところが、カンノは止めていなかったのである。役者をやっていた当時は、さすがに私の前では吸わなかった。
役者を辞めてからは、たまに会う時には、堂々と私の前でも吸っている。
癌になってからも平気で吸うのである。肺に転移しているから、ゴホゴホとやたらと咳くのであるがそれでも止めない。
自暴自棄になって不健全な方向へ羽目を外すのは如何なものか?そういった感性は舞台上で素敵に見えるだろうか?
そんなふうにも考えてみるが、カンノはとっくに役者を降りている。私も今や演劇をやっているとは言い難い状況にあるので、豪傑だなと感心することにしている。
今日はゴールデンウイークで、妻は東京に住む息子家族に逢いに行った。私は一人で健康倉庫の草を刈ったりチェーンソーで木を2本倒したりした。
それから、庫内に設置した薪ストーブに火を入れてみた。この3月で6年間務めた地元地区鍼灸師会の会長職を辞したので、保管していた会報誌や鍼灸関係の資料等を燃やした。
古い演劇関係の資料は燃やす気にならないから、私はいまだに演劇人であることを止めていないと思う。
カンノは倉庫をアトリエに改造するといった時、一番に寄付を送ってよこした。
彼女が煙草を止めるならば、舞台に立たせてスポットライトを当ててみたい。
夜、1人で飲みながらそんなことを考えていたら、カンノがまだ生きているのか気になった。

メールをすると電話をくれた。相変わらず剛毅な声でガハハと笑いながら咳もした。

写真は亡きモモの墓印の花桃の木に花が咲いたのと、カンノの若かりし頃の舞台写真。

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犬が死んだ

2018年03月19日 | 日記

14年目の、丁度誕生日の1ヶ月が過ぎた時に、我が家で飼っていたモモが息を引き取った。
息を引き取る、という表現がもっともだなと思わせる死に方であった。大きくあえぐように3回息を吐き出した。

これはもうダメかもしれないと思って脈を取ってみたが人間と違って良く判らない。聴診器を取りに行って戻って来たらもう息をしていなかった。念のために聴診器を当ててみたが心臓の音は聴こえなかった。

きれいな目を開いたままにしている、が意識はなさそうだ。

偶然昨日、メーテルリンクの「ガラス蜘蛛」というエッセイ読んだ。そこにこんなことが書かれていた。
「これが死というものなのだろうか。恐らくそうなのであろう。それとも意識の完全な喪失の後に、別の何かが起こるというのだろうか。何が起こるというのだろう。意識というのは我々の自我だ。自我が失われてしまったら、何が残るのだろう。自我が他の形を取って覚醒するのでなければならないはずだ。それは身体なしに可能なのだろうか。まだ答えの出ていない根本的な疑問が残る」とあった。
犬にも自我があるのだろうか?モモの自我は今、他の形を取って銀河の向こうへ行ったろうか?それとも近くに漂っているのだろうか。

死は終わりではない、途中である。と最近私は考えるようになった。
とりあえず、14年間モモであった身体は明日、倉庫の敷地へ埋めてやろう。見晴らしの良い東向きの法面の桜の枝の下あたりに。そうして桃の木を、その墓印に植えてやろう。
写真は、まだ元気であった頃のモモである。
さよならモモ、またね。

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薪ストーブ燃焼テスト

2018年03月16日 | 日記

ドラム缶を2段に積み重ねて仮の煙突を立てた。
早速、薪をくべて上手く燃えるかどうかテストしてみた。ドラム缶にはエンジンオイルが付着しているし、塗装もしてあるので、それらを一旦燃やす必要もある。
室内に取り付ける前に庭で燃やしてみた。構造は、まず下のドラム缶で薪が燃え、その炎や煙が上の段のドラム缶を温める、煙は上の段の中を通って煙突へ出ていくというものだ。熱を無駄にしないようになかなか合理的に出来ている。何よりその風貌が圧巻だ。普通の家では使えないが倉庫のような大きな空間にはピッタリである.

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