
kan-haru blog 2007
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総選挙
戦後最初の総選挙は1946年(昭和21年)4月10日に行われた。これは前年12月17日の選挙法改正で20歳以上の男女が投票権を得て、はじめての選挙であった。女性作家の生田花世の文章を使った選挙ポスターも、女性の投票を呼びかけている。
選挙を前に政党の再編も進んだが、1946年(昭和21年)1月4日のGHQによる公職追放令により、共産党以外の既成政党、とりわけ旧翼賛議員を中心としていた進歩党は大きな打撃を受けた。選挙の結果は、鳩山一郎率いる自由党が第一党となり、また39人の女性議員が初めて誕生した。そして鳩山の追放後、自由党総裁を継いだ吉田茂が進歩党との連立内閣を組織することとなった。東洋経済新報社社長であった石橋湛山もこの選挙で自由党から立候補し、落選したが大蔵大臣として入閣を果たした。なお、第1回の参議院の選挙は翌年の4月20日に実施された。
戦後最初の総選挙における有権者数及び投票率
選挙当日有権者数(人) 36,878,420
投票者数(人) 26,582,175
投票率(%) 72.08 (男 78.52、女 66.97)

戦後最初の総選挙ポスター


若山武義氏の戦後史手記(1946年記述) 天皇制の問題集 第2回
我等の天子さま
今回の総選挙に当たり、産業、金融、地主等富裕階級の代表たる自由、進歩の両党は、自己の地盤を守る為め当然現状維持の天皇制絶対支持を一枚看板にしたのである。群小小会派及び無所属も国民大衆の心理をつかんで、天皇制に関する限り、自由、進歩と同一歩調であった。
社会党は、天皇の大権を大幅に縮小の上の天皇制を主張し、共産党は親の仇のように天皇制打倒を一本槍にしたが、大衆の気持ち察してか、野坂氏は「天皇制とは軍、官、財、これ等の閥と警察閥の一聯の政治組織を天皇制と称するので、之を徹底的に打倒する。天皇と皇室とは別である」と訂正したのである。
実際戦争中迄、御幸の際は、憲兵、巡査の垣、最戒裡に御通過なさるのである。まるで善良な国民を乱臣、賊子扱いで隔離する。
皇室は特権階級のみの皇室ではないのである。
かく、戦争迄は特権階級の為にあまりにも利用された。所轄奃龍の袖に巧妙隠れて天下に号令したのである。
血盟団。五・一五、神兵隊、二・二六事件と血なまぐさき一連の思想は、要するに君民一如を邪魔する時の軍、官、財閥の排除を目的とし決行されたのである。
靖国神社大祭に御親拝の陛下の御写真は、御尊容神々しく拝されるけれど、龍顔なんとなくともらせ給うよう拝され申す。然して、御親拝を奉迎する遺族は、老も若きも、妻も子も、感激の涙と共に手を合せ拝して居る。
子を、夫を、父を、御国に捧げて、御奉公出来た事を心から真実の感激、偽りなき涙である。
敗戦となって此の信念は動揺したであろうか、否、みじんもゆるぎないのである。
天皇の詔書に現御神たることを否定された陛下は、セビロにソフトの平服で、戦災地から復興途上の産業施設、農村に御巡幸になって、親しく庶民に伍して、老婆にも、無邪気な子供にも親しく御言葉を賜り、亦申上げる事にうなずきさせ給う。新宿にては、御巡幸に熱狂せる民衆は、警戒制御を突破して陛下の御身辺に集り、期せずして純真な万歳を絶叫したのである。これでこそ、特権階級から取戻した、我々民族の心から敬愛申上げる事の出来る我等の
天子さま
である。
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総選挙
戦後最初の総選挙は1946年(昭和21年)4月10日に行われた。これは前年12月17日の選挙法改正で20歳以上の男女が投票権を得て、はじめての選挙であった。女性作家の生田花世の文章を使った選挙ポスターも、女性の投票を呼びかけている。
選挙を前に政党の再編も進んだが、1946年(昭和21年)1月4日のGHQによる公職追放令により、共産党以外の既成政党、とりわけ旧翼賛議員を中心としていた進歩党は大きな打撃を受けた。選挙の結果は、鳩山一郎率いる自由党が第一党となり、また39人の女性議員が初めて誕生した。そして鳩山の追放後、自由党総裁を継いだ吉田茂が進歩党との連立内閣を組織することとなった。東洋経済新報社社長であった石橋湛山もこの選挙で自由党から立候補し、落選したが大蔵大臣として入閣を果たした。なお、第1回の参議院の選挙は翌年の4月20日に実施された。
戦後最初の総選挙における有権者数及び投票率
選挙当日有権者数(人) 36,878,420
投票者数(人) 26,582,175
投票率(%) 72.08 (男 78.52、女 66.97)

戦後最初の総選挙ポスター



若山武義氏の戦後史手記(1946年記述) 天皇制の問題集 第2回
我等の天子さま
今回の総選挙に当たり、産業、金融、地主等富裕階級の代表たる自由、進歩の両党は、自己の地盤を守る為め当然現状維持の天皇制絶対支持を一枚看板にしたのである。群小小会派及び無所属も国民大衆の心理をつかんで、天皇制に関する限り、自由、進歩と同一歩調であった。
社会党は、天皇の大権を大幅に縮小の上の天皇制を主張し、共産党は親の仇のように天皇制打倒を一本槍にしたが、大衆の気持ち察してか、野坂氏は「天皇制とは軍、官、財、これ等の閥と警察閥の一聯の政治組織を天皇制と称するので、之を徹底的に打倒する。天皇と皇室とは別である」と訂正したのである。
実際戦争中迄、御幸の際は、憲兵、巡査の垣、最戒裡に御通過なさるのである。まるで善良な国民を乱臣、賊子扱いで隔離する。
皇室は特権階級のみの皇室ではないのである。
かく、戦争迄は特権階級の為にあまりにも利用された。所轄奃龍の袖に巧妙隠れて天下に号令したのである。
血盟団。五・一五、神兵隊、二・二六事件と血なまぐさき一連の思想は、要するに君民一如を邪魔する時の軍、官、財閥の排除を目的とし決行されたのである。
靖国神社大祭に御親拝の陛下の御写真は、御尊容神々しく拝されるけれど、龍顔なんとなくともらせ給うよう拝され申す。然して、御親拝を奉迎する遺族は、老も若きも、妻も子も、感激の涙と共に手を合せ拝して居る。
子を、夫を、父を、御国に捧げて、御奉公出来た事を心から真実の感激、偽りなき涙である。
敗戦となって此の信念は動揺したであろうか、否、みじんもゆるぎないのである。
天皇の詔書に現御神たることを否定された陛下は、セビロにソフトの平服で、戦災地から復興途上の産業施設、農村に御巡幸になって、親しく庶民に伍して、老婆にも、無邪気な子供にも親しく御言葉を賜り、亦申上げる事にうなずきさせ給う。新宿にては、御巡幸に熱狂せる民衆は、警戒制御を突破して陛下の御身辺に集り、期せずして純真な万歳を絶叫したのである。これでこそ、特権階級から取戻した、我々民族の心から敬愛申上げる事の出来る我等の
天子さま
である。
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