鉄道の安全問題をテーマとするブログとして、どうしてもこの事故のことを避けて通るわけにはいかない。各種報道の中から、これと思うものを2つ取り上げる。奇しくも、両方とも産経新聞になってしまったが、これは偶然ではなく、この事故に関する報道量は産経が群を抜いている。朝日新聞などは、慰霊式の様子を当たり障りのない文面でチョロチョロと報ずるだけで、お話にもならない状態だ。他の各紙ももっと頑張ってもらいたい。
---------------------------------------------------------------------
【JR脱線事故】産経新聞調査 遺族は事故の風化を懸念
JR福知山線脱線事故で亡くなった乗客106人の遺族を対象に、産経新聞社が実施したアンケート(36遺族38人が回答)では、時間の経過とともに、事故の風化を懸念する声が強まる一方、JR西日本に対する強い不信感が残っている実態が浮かび上がった。
■補償交渉
JR西日本の山崎正夫社長は昨年12月の定例会見で、一昨年末に「示談成立は2割超」と公表した遺族との補償交渉について「少しずつだが、進展している」との発言にとどめ、具体的な数字には言及しなかった。
今回の調査で「終了」は昨年の19%から、29%に上がったが、大多数の交渉が進んでいない状況に変わりはない。
理由としては「会社や経営幹部が事故の責任を認めていない」「真に安全な組織に生まれ変わらない限りは応じられない」と同社への不信感から交渉自体を拒絶していたり、「まだ何も考えられない」など深い悲しみから気持ちが動かないというケースがあった。
また、交通事故と同じ基準で補償額を算定する方法にも「JRの線路で起きた事故。交通事故とは違う」「一律ではなく、遺族ごとに考えてほしい」などと不満が続出している。
一方、交渉を終えた1人は「1つの山場を超えた感じ」と述べた。
■安全対策
大切な人を失った遺族たちの大きな関心の1つが事故の再発防止だ。だが、「JR西が安全優先の企業に生まれ変わったか」という質問には6割近くが「いいえ」と答えた。
「もっともらしい取り組みをしているだけ。社員教育と言っても表面的」「何も変わっていない。基本的には遺族から言われたことをやっているだけ」「考えているのは自社の利益」など厳しい批判も多い。
「どちらでもない」の中にも「変わった気がするが、小さな事故や不祥事は相変わらず多い」「意識は高まってきたと思うが、まだまだ」など否定的な見解があった。
「はい」は全体の1割。それも全面的に肯定した意見ばかりではなく、「そうでなければ、亡くなった息子も浮かばれない。信じるしかない」とすがるような思いを回答に込めた人もいた。
■被害者対策
JR西は担当者を派遣し、各遺族の要望に対応しているほか、事故を受け、心のケアの研究や交通機関の安全確立を支援する財団法人を設立した。
だが、アンケートでは、45%が「満足していない」と回答。「どこかずれている。作った態度はいらない」「被害者と向き合おうという姿勢がない」など厳しい批判が相次いだ。
一方で、「どちらでもない」の回答には、「担当者に救われたと思うことがたくさんあるが、会社すべてとも考えられない」「担当者には何も言うことはないが、経営幹部が責任を認めていない」など担当者個人の働きは認めつつも、会社全体に対する不信感をぬぐい切れず、明確な意見を避けた人が多かった。
「はい」の理由も個人を評価する声が大半。「彼らも遺族担当になるために入社したわけではないだろう」と同情的な声もあった。
■心のケア
「JR西以外の社会の心のケア」についても聞いた。人によって質問のとらえ方が違い、さまざまな意見が寄せられた。
その中で、事故の風化に対する恐れを訴える人が多かった。「関西以外の友人には『もう4年なの』と言われる」「ほとんどの人の興味はお金だけ。『もう金をもらったの』と聞かれ、何を言っても『もう戻ってこないやん』と言われてしまう」など、自分たちの思いと世間の考えのずれにいら立ちを感じている様子がうかがえた。
また、「同じ立場の人じゃないと分かってもらえない」「遺族仲間と一緒にいるのが一番安心する」など、時間とともに孤立感を深めている実態も浮き彫りになった。
「心の傷」を癒やすためのカウンセリングについては効果を訴える人もいれば、「自分自身で治すしかない」と意見が分かれた。
---------------------------------------------------------------------
「もっともらしい取り組みをしているだけ。社員教育と言っても表面的」
「何も変わっていない。基本的には遺族から言われたことをやっているだけ」
「考えているのは自社の利益」
「変わった気がするが、小さな事故や不祥事は相変わらず多い」
「意識は高まってきたと思うが、まだまだ」
「どこかずれている。作った態度はいらない」
「被害者と向き合おうという姿勢がない」
…JR西日本に対する遺族の評価は散々なものだが、当ブログも認識はほぼ同じである。何かやろうとしてもがいている気はするが、それに魂が入らず、実効性も見られないことが感じられるからだ。
事故の風化に対する思いも当ブログは持っている。関西以外では、慰霊式の模様以外にニュースで伝えられることがなくなってしまった。個人ブログでも、執拗にこの事故のことを追いかけているのは当ブログくらいなものである。
しかし、当ブログは単なる鉄道ファンの趣味ブログではない。これからも、徹底して遺族と同じ目線に立ちながら、安全を追求していきたい。
-------------------------------------------------------------------
福知山線脱線「検証委」設置 JR西問われる選択(産経新聞)
今月20日、JR福知山線脱線事故の遺族らでつくる「
4・25ネットワーク」がJR西日本に、互いに手を取り合い事故の真相を究明する事故検証委員会の設置を申し入れた。検証委の目的からはJR西の責任追及をあえて外した。再三求めてきた真相解明をJR西がきっちりやるなら、責任は問わないとする異例の歩み寄りだ。その覚悟の裏には、未だに真相を自ら明らかにしようとしないJR西への積もり積もったいらだちがある。
遺族に共通する思いは二度と悲惨な事故を起こさせないという願いだ。そのためには、なぜ事故が起きたのかを明らかにして教訓を得る必要がある。ところが、JR西は遺族が公開質問状などで事故の真相を問うても、事故調査や捜査を言い訳に真摯(しんし)に向き合おうとせず、4年が経過した。
このまま平行線が続けば、教訓を得るどころか大勢の死が無駄になってしまう-。この悲壮感がこれまでの方針を転換して、遺族にJR西に歩み寄る道を選ばせた。
これに対して、JR西の山崎正夫社長は23日の定例会見で、「どのようにするかは今後検討する」と述べ、慎重な姿勢を崩さなかった。遺族の思いをくみ取って、検証委の設置に応じるのか。これまで通り内向きの企業体質のままでやり過ごすのか。4年の節目を迎えた今、ボールを投げられたJR西の選択が問われている。(康本昭赫)
-------------------------------------------------------------------
家族を、友人を殺された遺族たちは電車に乗っていただけで何の落ち度もない。この事故の責任はJR西日本が負うべきものだ。なぜ遺族が譲歩しなければならないのか。当ブログはまずこの点が不満である。家族や友人を殺した上、その遺族にまで譲歩を余儀なくさせたJR西日本は、遺族に対して二重の罪を犯したのである。
もうひとつ。当ブログ管理人はすでに各地で言及し尽くしてきたが、「当局の捜査・調査が進行中だから当社としてはそれに委ねる」という姿勢は、鉄道会社として責任逃れに過ぎないということだ。実際に列車を動かすのは当局ではなく鉄道会社なのだから、そこがしっかり事故を検証し、対策を行うことなくしてどうして安全向上などと言えようか。
国鉄時代には、当局の調査と並行して国鉄が独自に事故調査・分析を行い、それが活かされた例が多々ある。ひとつ例を挙げるなら、1972年11月に起きた北陸トンネルでの急行「きたぐに」列車火災事故である。
この事故は、総延長13,870mの北陸トンネルを通過中の急行「きたぐに」食堂車から出火。長大なトンネル内で列車が停車したため、一酸化炭素中毒などで乗客30名が死亡する惨事となった。
この事故の原因として、客車が燃えやすい構造となっていたこと、また当時の国鉄の運転規則が挙げられた。列車火災が発生したときは、直ちに列車を停車させなければならないという規定に乗務員が忠実に従ったため、13kmを超える長大トンネルの中で、燃えさかる列車が停車する事態になったのである。乗務員が、有害な黒煙が充満するのを見てまずいと思い、列車をトンネル外に出そうとしたときはすでに手遅れであり、車両火災の熱により架線が溶断したため、列車は動けなくなってしまっていた。
さらに、死者を増やした背景要因として、貫通扉(隣の車両へ通り抜けするため車端部に設けられる扉)のない車両を編成の中間に連結していたことが指摘された。貫通扉がないため、その車両より内側にいた乗客が車内を通って避難することができず、列車外に飛び出したことが、一酸化炭素中毒による死者をさらに増やす結果につながったのである。
この事故の後、国鉄は運転規則を改正し、列車火災が5kmを超える長大トンネル内で発生したときは、乗務員はトンネルを通過するまで停車させてはならないことが定められた。また、すべての客車を貫通扉の付いた車両に置き換えるほか、新車を調達できない場合でも、貫通扉を設ける改造工事を施工した。
さらに、車両の難燃化を図るのに最も適した材質は何かを探るため、廃車予定となっていた車両を使った燃焼実験を行った。この実験を通じて、鉄道車両に最も適した難燃材質が突き止められ、以後、国鉄の車両の難燃化が飛躍的に進んだのである。
当時の国鉄は「当局の捜査が続いているから」などという言い訳をしなかった。犠牲者の十字架を背負った鉄道職員は、みずからの矜持にかけて事故の再発防止のために、できることは何にでも取り組んだ。真の安全対策とは、このような姿勢の中から生まれるのである。
JR西日本の、アリバイ的に何かをする振りをしながら言い訳を続ける姿勢は鉄道人として最も恥ずべきものである。戦後の鉄道史を概観しただけでも、この「きたぐに」のように、参考となる事例はいくつも転がっている。JR首脳陣は言い訳をやめ、今こそ真摯な取り組みを始めなければならない。
そのことだけが、遺族の気持ちに答えるたったひとつの道である。