伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

暴力追放市民大会に出席した時ヤクザが憲法を勉強しているという記事を思い出した

2019年02月07日 | イベント
 暴力追放いわき市民大会が、いわき市文化センター大ホールで開かれ、功績があった事業所や個人が表彰された。

 表彰団体事業所・団体は、市水道局、いわき商工会議所、いわき東地区防犯協会連合会の3団体、個人は3人で、それぞれ表彰状が授与され、表彰者の代表が、表彰への感謝とともに「今後とも暴力の追放に努める」と謝辞を述べていた。

 活動の主なものは、暴力団等を社会的に排除していくというもので、あいさつ等で語られた県内、市内の動向を聞くと、組織暴力団構成員は減少傾向にあるらしい。暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律(暴対法)で、暴力的な要求行為の規制や、例えば暴力団員が公営住宅に入居できない等の社会的規制が強まったことが効果を発揮しているのだろう。

 一方、柏市で発生した親から虐待されていた児童が死亡した事件に見られるように、暴力は社会的な問題にとどまらず、家庭内という私的領域でも問題になっている。こうした不幸が事件が繰り返されないようにするためには、やはり地域のコミュニティーの役割が大切になるのだろう。良い意味でおせっかいが、こうした事件を再発しないために大切になるのだろうと思う。

 大会宣言は、「『安全で明るく済みよい地域社会』の実現に邁進する」として、「地域、家庭、職場から暴力をなくす」「すべての暴力を恐れず許さず、重機・薬物を追放する」「暴力団に金を出さず、利用しない」ことを具体的行動指針として確認している。この行動指針を、広く市民共通の意識にするための措置をとっていくことが必要なのだろう。

 さて、この大会のあいさつ等を聞きながら、頭に浮かんだのが、ヤクザが憲法を学習しているという週刊誌の記事だった。



 週刊ポストに、ジャーナリストの溝口敦氏とフリーライターの鈴木智彦氏の対談が掲載され、その中でヤクザは六法全書を座右の書としていると紹介している。なぜか。憲法上の人権をはじめ法律を知ることで、いざ逮捕された際に法廷闘争をすすめる武器になるからなのだという。対談で、「ヤクザにとっては、あくまで『武器としての人権』であり『武器としての憲法』なんです。自分が都合よく生きるために使えるのが憲法だということ。今、憲法改正の議論の中で、『法律は人を縛るもの、憲法は権力を縛るもの』という考え方があるらしいけど、まさにヤクザにとっての憲法は権力と戦うための武器」と紹介している。

 その背景には、彼らが法律のはざまでできるだけ罪に問われない行為を展開しようという意図があるのだろう。仮にその意図があったとして、許されるものではないが、自己を保護するために憲法に学ぶという姿勢は、学ぶべきところがある。

 本来、憲法は政権などの権力を国民が縛るために存在している。その憲法の力を国民一人ひとりが把握し、自覚していくことが必要なのだろうと思う。暴力団に負けずに、憲法をはじめ法律に学んで権力と対峙していきたい。


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