伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

3・11追悼の祈りと復興の誓い2014

2014年03月10日 | 災害
 昨夜は津波で家族を失った方のお宅で予定外の飲み会になってしまって、ブログの更新も討論の原稿書きも吹っ飛んでしまったので、昨日の「3.11いわき追悼の祈りと復興の誓い2014」(以下、祈りと誓い)のことなど、日が明けてしまったがブログにアップしておきたいと思います。




 「祈りと誓い」はアリオス大ホールで開かれました。いわき市では3月5日現在、震災関連死を含め455人が犠牲となっています。まずこの犠牲になられた方々を追悼する式が行われました。


次々と献花するご遺族のみなさん

 ご遺族を代表して追悼の辞を奉じた小松純子さんは永崎で被災し、夫を亡くされたようです。

 「復興の道筋が見えてきました。しかし、時折あの時の悲しみと恐怖がよみがえります」と語り始めた小松さん。夫が津波に流された夫の遺体が翌日発見されたものの、亡くなった現実を受け入れることができなかったといいます。「夫を亡くした悲しみと、生き残った罪悪感で、生きることがつらかった」という小松さんを癒したのは、自宅を片づけるために黙々と働くボランティアの支援だった。小松さんは「穏やかな海はあの日の海と同じに見えません。しかし、あの日の海を後世に語り伝える義務があると思います」と祭壇に向かって誓いを語りかけていました。

 その後、主催者と遺族が献花して式は終了。続いて「追悼の祈りと復興の誓い」が執り行われました。

 市の復興の歩みの映像版を上映後、書道家の金沢翔子さんが「感謝」と揮毫しました。書き終えた後、「元気になってほしいと思って、心をこめて書きました」と、書にこめた思いを語った金沢さん。この言葉が聞きづらかったのは泣いていたからでした。お母さんで同じく書家の金沢泰子さんは、「書き始める前から泣いていて、少し書体が崩れちゃいましたね」と、翔子さんを思いやっていたことが印象的でした。


書家金沢翔子さんが「感謝」と揮毫

 NHK合唱コンクールの福島県大会で奨励賞となった市立泉中学校合唱部が歌声を披露。南相馬市小高区の中高生の言葉でつづった合唱曲「群青」で、故郷に帰還する思いを「きっとまた会おう あの町で会おう/僕らの約束は/消えはしない 群青の絆/また 会おう 群青の町で・・・」とうたい上げたほか、「花は咲く」「瑠璃色の地球」の3曲で、美しいハーモニーを響かせてくれました。少しこみ上げるのを感じながら聴いていましたが、涙がこぼれなくて幸いでした(見られたら恥ずかしいですもの)。


泉中学校合唱部による美しいハーモニー

 最後にいわき生徒会長サミットのシニア会員となる、高校2年生二人が復興への誓いを読み上げました。
平商業高等学校2年の遠藤さんは、母と2人で乗った車ごと津波に巻き込まれた体験を語り、「埼玉の兄のもとに避難し家族そろって、やっと落ち着くことが出来ました。お風呂に入り、右手に母が握りしめていた痕跡があるのを見て、生きていることを実感した」といいます。そして「体験を語ることは苦しい記憶がよみがえりつらい」ものの、「命のありがたみを知ってほしい。生きる素晴らしさを全国に、世界に伝えていきたい」と語りました。


高校2年生が復興の誓い

 また磐城高校2年の佐藤さんは、被災者に対する支援の体験などから、自分のできることから取り組みを始めていくことを呼びかけました。最後に「これからのいわき市を作っていきます。私たちの手で」と結んだのですが、若者たちの決意・誓いが心を打ちました。

 式典は心を打つものでした。その後、冒頭の方にお会いしました。その日の式典には出席しなかったようです。
「午前中に寺でやった法要には行ってきたんだ。でも、テレビに映んのは、あんまり・・」
 亡くなられた家族をいつくしむ気持ちは深いものがあるでしょう。でもその気持ちは家族のものであり人に見せるものではない、という思いなのでしょうか。心に刻み込んでおかなければならない言葉だと思いました。


アリオス前の平中央公園ではキャンドルによるイベントの準備もすすんでいました





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