忘年会ウィークでした。
12日(月)、会社の部署の納会なるものに参加した。北京滞在中に組織変更があり、二つの部署が一つになっていた。しかし、元の部署の人だけでなく、別の部署の人にも北京で会った人が結構いた。
差し入れに紹興酒を持っていったが、他の人がワインを持参していたため、人気が無かった。2次会の寿司屋で空けた。3次会にも参加したら、帰りの電車が無くなり、タクシーで帰宅した。
13日 . . . 本文を読む
出不精の我が家も車があれば、出かけます。近くのレンタカー屋さんで車を借りた。車種は三菱のコルトだった。品質面に少々不安があったが、2日間の利用では問題が無かった。
11日(土)は、車を借りて朝食の後に買い物に出かけた。まずは、近くのホームセンターで障子紙、ビニールシート、窓ガラスの結露防止シートとテープ等々。品揃えが豊富で退屈しないです。
昼食はマクドナルドですました。近くのヤマダ電機をの . . . 本文を読む
久々の更新です。職場の納会や忘年会もどきなどで帰宅が遅くなり、投稿が滞りがちでした。1週間分をまとめて報告します。 4日(日)、出不精の家族なのでマンションから出ることはほとんど無かった。北京の公寓では全ての場所に暖気が入ってますが、東京のマンションでは一部の部屋だけに暖房を入れてます。我が家ではリビングに床暖房が設けられているので、そこからう動くことは無いです。気温は20度くらいですが、寒く感 . . . 本文を読む
学校一日公開の様子です。この日の息子のクラスの授業は、1校時:国語、2校時:図工、3校時:算数、4校時:体育だった。授業の開始は8時35分からであったが、父と母は9時20分くらいから参観を始めた。我々の子供時代は「1時間目」だったが、息子の通う学校では「1校時」と呼ぶらしい。 国語の時間では、「日づけと曜日」で日付の読み方を勉強していた。つまり、1日を「ついたち」、2日を「ふつか」、3日を「みっ . . . 本文を読む
(北京のブロガの紹介は最後です)12月3日(土)は、息子の通う小学校の年に1回の展覧会と学校一日公開の日でした。展覧会は全生徒の図画工作の作品を講堂に展示します。また、午前中の全ての授業を保護者に公開します。私の息子(1年生)は「くもにのって」(絵)と「たのしいなかまたち」(立体)を作りました。
息子の「くもにのって」(絵)は、雲の上を飛ぶ飛行機です。下の方に字を書いてますが、「入口」を「人口 . . . 本文を読む
日本に戻って来てまさに浦島太郎のようだ。中国での4年間の変化も凄いが、日本も変わっている。それを感じた週末だった。桃太郎から浦島太郎へ変わりました。
30日(水)、1日だけお休みをもらった。部屋の窓から富士山が見えた。朝食の後に出かけたのは、区役所です。住民票を抜いているので、戻しに行った。転入届に必要事項を記入してパスポートを提出した。赴任時の出国印と帰任時の入国印のページのコピーを取って . . . 本文を読む
(北京のブロガの紹介は最後です)28日(月)、後任者と部のメンバと私の合計5名で近くの日本料理屋で昼食を取った。少人数であるが、頑張って欲しいものです。
北京最後の夜は、女人街の「博多山笠」でした。またもや「もつ鍋」にしました。ふぐの湯引きを勧められた。店主に聞いてみると、たまにふぐの入荷があるそうです。いい物が入ったら、刺身でも出すとのこと。
アパートに戻って、荷物を詰めた。
29日(火 . . . 本文を読む
(更新をサボっておりましたが、ボチボチいきたいと思います)北京最後の日曜日です。お腹の調子は戻っておりませんでした。
嫁さんに頼まれていたものは琥珀です。琥珀とは「木の樹脂が地中に埋没し、長い年月により固化した宝石で、鉱石のように硬い。色は多様であるが、黄色味を帯びた水あめ色が一般的である」(『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
琥珀には虫や葉が入っているのを連想しますが、嫁さんの . . . 本文を読む