言葉の散歩 【歌舞伎・能・クラシック等を巡って】

日本の伝統芸能や音楽を中心に、感じたことを書かせていただきます。

GINZA SIX 観世能楽堂開場記念でも舞われた 『翁』 について

2017年04月27日 | 歌舞伎・能など


新しく成った観世能楽堂の開場記念祝賀として舞われた『翁』という演目、
今回大変久しぶり(30年ぶり)に拝見するに当たりもう一度予習したことを、
二つの言葉を中心に、少しだけ書いておこうと思います。

『翁』をご覧になる時の、参考にしていただければ幸いです。


一つ目の言葉は、【『翁』は能にして能にあらず】、
この演目の解説として、よく登場する言葉です。


確かに『翁』は普通の能とは、多くの点で異なっています。

例えば『翁』は、頻繁にいつでも演じられるものではなく、
現代では年の初めや大きな慶び事の際に舞われます。

舞手としての登場人物は翁、千歳、三番叟です。
三番叟役は、狂言方が勤めます。
(翁が登場する際、その前に面箱を持って舞台に出る「面箱持」の役も、狂言方です。)
ドラマとしてのストーリーはありません。

内容の簡単な順序だけ書かせていただくと、

  演者の登場
  翁の謡
  千歳(せんざい)の舞
  翁の舞
  三番叟(さんばそう)の舞  …「揉(もみ)の段」「鈴の段」

ということになります。

全体を通して、謡の中には「千秋万歳」や「天下泰平」「国土安穏」等の縁起のよい言葉がふんだんに使われ、
また動きにも、寿ぎの表現や、平安や実りを祈る気持ちが表されているとされています。


『翁』は、演じられる機会、また内容的にも儀式的な要素が強く、
国語学者の小山弘志さんは「祝禱の歌舞」と表現していらっしゃいます(※1)。


今回も、舞台に注連飾りがされていて、「祝禱」であることが伝わってきました。




この他、演者の舞台への登場の仕方、地謡の座る場所等々、他の能との相違点は、枚挙に暇がありません。
そして、見えないところにも、特別なことがあります。


それを表しているのが、二つ目の言葉、【『翁』こそ能】です。


祝賀能の五日間『翁』の翁役を勤める観世清和さんが、
「新版 あらすじで読む名作能50選」(※2)の中で、
『翁』を演じる際の舞台裏について述べていらっしゃる文を見つけました。
それによると、『翁』が舞われる時には、事前に次のようなことがなされるそうです。

演者は、舞台の前には精進潔斎(水垢離、別の食事など)をする
楽屋の鏡の間(※3)に略式の祭壇をしつらえ、そこで出演者全員が洗米、塩、お神酒をいただく
舞台へ、また演者へ切り火をする


また「舞台上で面を掛けて、外すというのも特異」と述べられています。

観世さんは、
舞台を演じるには、「日常」から「非日常」に向けてテンションを高めることが必要、
そして舞台で面をつけるために、日常から能面の扱いや所作を大切にする事が必要、
という意味において、

「『翁』には、能役者としての必須科目すべてのエキスがあります。
ですから、私は『翁』こそ能であると思うのです。」

と言っていらっしゃいます。
この言葉で、『翁』が、舞台に演者が登場する随分前から、
あるいは日常の稽古や、過ごし方の心構えという段階から、
既に始まっている事が想像されます。


「能にあらず」「こそ能」と、相反しているように見える二つの言葉ですが、
いずれも『翁』の持つ特異性を端的に物語っていると言えます。
 

※1「新編 日本古典文学全集58 謡曲集①」(小学館)「翁」の作者についての項にある。

※2 多田富雄監修 世界文化社 2015年初版発行

※3 舞台に登場する前の控えの間。大きな鏡がある。



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