言葉の散歩 【歌舞伎・能・クラシック等を巡って】

日本の伝統芸能や音楽を中心に、感じたことを書かせていただきます。

今年の春

2020年03月29日 | 日記

春というと、麗らかな日差しが思われますが、

風が強かったり、花粉で鬱陶しかったり、

今日のように雪が積もったりと、意外に一筋縄では行かない季節、

その上今年は、コロナウイルスへの不安に振り回される毎日です。

・・・不安というより、一つ一つ考え、判断をしなくてはならず、

気が休まらないということかもしれません。

 

コロナウイルスとの戦いは長くなりそうですので、

少し気分転換をと思い、先週半ば、買い物への道を遠回りして、

このところ随分行っていなかった大好きな並木道に足を延ばしました。

 

 

見頃はまだ先のようでしたが、

春の薄青い空に、桜の淡いピンクが溶け込む景色、

緊張した気持ちが束の間やわらいだ気がしました。

 

 

 

 

 

 

その翌日も、また別の遠回りをしました。

 

 

 

 

ここに来ると、「そうだ、京都行こう」という言葉が浮かんでしまいます。

春だけでなく、秋も

 

 

 

このような美しさです。

 

皆様にも、きっと様々な形で影響を受けていらっしゃることと思います。

どうぞくれぐれもお大事にお過ごしください。

私も対策・自粛の範囲の中で、心を緩める時間もとりつつ、

乗り切りたいと思っています。

 

 


また来年

2020年03月05日 | 日記

また来年お目にかかる時には、

感染拡大、緊急事態宣言、特別措置法などという言葉が

遠いものになっていますように願いながら、

お雛様を片付けました。

 

 

 

河津桜が満開です。

写真、こんな風にして加工してみました。

 

 


新宿末廣亭 八月上席昼の部に行ってきました

2019年08月09日 | 日記



   


   


   



客席は椅子席ですが、両側が畳の桟敷で、
高座、桟敷の上部に、提灯が下がっています。
私は行ったことがありませんが、
各地に残る、古い、趣のある芝居小屋と
共通した雰囲気があるのではないかと思います。
(内部の写真は、申し訳ありませんがご遠慮をということでした。)
東京新宿にあるそんな末廣亭に、とても久しぶりに行ってきました。



一番に高座に上がった前座さんは、
鈴々舎美馬(れいれいしゃ・みいま)さん。
若い女性の方で、少しくすんだ薄いオレンジ色の和服を
きりっと着流しで。
名前を名乗った後、枕は無しで入った噺は「元犬」。
声も、お顔形もすっきりと素敵で、
話し方、仕種、癖がなく爽やかです。
帰って検索したところ、昨年の一月に入門、
今年七月に前座になったばかりとのこと。
将来が楽しみな、出来立てほやほやの噺家さんです。
噺だけでなく、
座布団を返して、師匠が置いていった羽織を持って帰ったり、
紙切りの正楽さんの後に、少しだけ落ちていた紙片を、
懐から出した手拭いに集め、また懐に入れて帰る等々、
高座での働きも、丁寧できびきびしていて感心してしまいました。
   
美馬さんに続いてのこの日の出演者は

 林家まめ平
 ジキジキ
 柳家小せん
 三遊亭窓輝
 アサダ二世
 春風亭柳朝
 桃月庵白酒
 鏡味仙三郎社中
 鈴々舎馬櫻
 柳家権太楼
 林家正楽
 鈴々舎馬風

  中入

 林家たけ平
 ロケット団
 春風亭一朝
 吉原朝馬
 三増紋之助
 林家正蔵

この中で特に印象に残った方々を、
勝手気ままに書かせていただきます。

音楽パフォーマンスの「ジキジキ」さん、
お二人とも歌がとてもお上手、
そして可笑しさは問答無用でした。

白酒さんは「子ほめ」を。
艶のある明瞭なお声、安定感のあるきっちりとした語り口に、
品を感じます。

権太楼さんの「家見舞」。
初めて聞いた噺ですが、わかりやすいすじ、
展開はだいだい予想できるのに、どうしても笑ってしまいます。
やはりさすがです。

トリの正蔵さん。
実は今まで、失礼ながら面白さを感じとれなかったのですが、
この日の「幾代餅」、とても惹きこまれました。
さらりとした可笑しさと、登場人物それぞれの誠実さが伝わる熱演に
感動しました。
このような人情噺が合っていらっしゃることが実感されました。

また仙三郎社中の太神楽、紋之助さんの曲独楽、
江戸の芸の美を感じました。


   

寄席の魅力を堪能した一日でした。

最近出会った美しいもの   ・・・ 「帝釈天騎象像」など  

2019年05月04日 | 日記


   まず一つ目は・・・



東京国立博物館の『◌国宝◌ 東寺 空海と仏像曼荼羅』展にて出会った「帝釈天騎象像」です。


右側からのお顔も




左側からのお顔も




素敵でしたが、私の好きな角度は



このあたりでした。

それに真横からのお姿も



美しかったです。


この仏像曼荼羅の中で、能に関心のある私にとり、
その名前にあっと思ったものがありました。
「宝生(ほうしょう)如来坐像」です。
財宝にかかわる仏様とのことでした。

撮影可能だったのは帝釈天のみでしたので、
絵葉書を買いました。



能シテ方の5つの流儀(観世、宝生、喜多、金剛、金春)のうち、
「観世」は、文様やお菓子の名前などで、
「金剛」は、例えば「金剛力士像」、また今回の展示の中にも
頻繁に登場しますが、
それ以外はなかなか目にすることがありませんので、
令和初日に「宝生」にお目にかかれ、嬉しくなりました。









   二つ目は・・・



3月初めの、箱根からの富士山です。




久しぶりに乗ったロマンスカーは





昨秋からの最新の型だと、すぐ前に並んでいた方が
話していらしたのを聞いて、あわてて撮りました。



車内から段々大きく見えてくる富士山に、
旅の楽しみも膨らんでいきました。









   三つ目は・・・




豚しゃぶのお肉です。


そして、お店を変えて楽しんだデザート、



視覚的・味覚的にだけでなく、満ち足りた気持ちにもなりました。





  名古屋への小旅行  

2019年02月26日 | 日記
大変ご無沙汰してしまいました。
いかがお過ごしでしたでしょうか。
お立ち寄りくださった皆様には、
気まぐれな更新をお詫び致します。
今後ともよろしくお願いいたします。


旅のお土産になるような、その地の名物の包装紙に、
とても魅きつけられることがしばしばあります。
先日行くことのできた、名古屋1泊3人旅行でも、
素敵な意匠に出会いました。


   

 

    




37年ぶりの名古屋は、ひつまぶしの昼食から始まりました。

 

完食できるか心配だったので、私はうな丼にしました。

 


うなぎに、二人から分けてもらったわさびをのせて頂いたところ…。
初めて味わう絶妙な風味、感動です。


おなかもいっぱいになったところで、次に訪ねたのは、
名古屋城の正門に近い「名古屋能楽堂」です。

 

 

 

 

 


今後ご縁ができそうなこの能楽堂に、
前もって訪ねてみたいというのも、旅の動機の一つでした。

  

ロビーの明り取りも素敵です。

  


公演がない日ならば中の見学ができるそうですが、
この日は思いがけず、学生さんたちの入場無料の発表会で、
第二部最後の、仕舞三番を見せていただくことができました。

3つの流儀で、同じ「胡蝶」を舞い比べるという趣向で、
最初は観世でしょうか、そして宝生、最後は金剛です。
皆さん、一生懸命稽古なさって臨まれたことがよくわかる、
立派な舞、謡でした。

片膝を立てる、その膝の右・左に始まり、流儀による違いは様々。
興味深く、また 若い方が研鑽されている姿を
頼もしく嬉しく拝見しました。  

舞台の佇まいの美しさを感じただけでなく、
上で人が舞い、謡うところを見ることができ、
とても幸運に思いました。


能舞台をあとにして、お城へ。

 


復元の成った本丸御殿の絢爛たる内部も見学しました。


 

 

 

 

 

現在天守閣は復元工事中、外から威容を楽しみました。

   

   



夕食を済ませ、ホテルへ。

 

居心地のよい部屋に大満足です。

 

 




翌日は熱田神宮を参詣、先程の美しい鈴の包装紙の清め餅を買い、
次は絞りと町並みで名高い有松を散策しました。


 

これも先程の、お土産の紙袋のデザインとなっている、
有松絞りのお店・井桁屋さんです。

有松は、宿場町としてよりも、
大きな商家が並ぶことで、この街並みが形成されたとのこと。
「うだつ」も見られました。

 

   


お昼は和食の「やまと」、風情のあるお部屋で、
私は「一期一会」という定食、後の二人は釜飯定食です。

 

 

   

 



上りの新幹線を待つ間に、名鉄百貨店限定の、
青柳の黒糖のういろうも購入、帰路につきました。

小さな旅行でしたが、私にとってとても充実した、
心に残る2日間となりました。

 ある句集より

2018年04月30日 | 日記
図書館で手にとったある作者の句集から、十句ご紹介させていただきます。


風鈴も鳴らず八月十五日

隣の子をたのまれてゆくウソ替え(*1)に

分譲地今年限りのつくし萌ゆ

この垣根この茶の花も父の家

婚礼の荷が湖畔ゆく揚雲雀


少し前の時代の、例えば寅さんの映画の中に出てきそうな情景です。
平易な言葉の、ゆったりとした印象の17文字なのに、読み手に、景色や状況、ちょっとしたドラマまでも、明確に豊かに想像させてくれるように思います。


水鉄砲孫二十分にて飽き果てし

屏風ゆっくりと倒れ子供の笑い声

日蔭より日蔭へ移る立ち話

打ち水に打たれたがりの裸ン坊


顔が綻んでしまうような描写を、何でもないように読み手にポンと渡して、作者はすましているような感じがします。
作者の名前をご覧になったら、ああその人らしいとお感じになるのではないでしょうか。


うちの子でない子がいてる昼寝覚め  桂米朝



* 以上『桂米朝句集』(岩波書店)より


*1「ウソ替え」(鷽替え)

「新年」の季語としか知りませんでしたので、ウィキペディアで調べてみました。

「主に、菅原道真を祭神とする神社(天満宮)において行われる特殊神事である。
鷽(ウソ)が嘘(うそ)に通じることから、前年にあった災厄・凶事などを嘘とし、本年は吉になることを祈念して行われる。」
とあります。
もともと大宰府天満宮で行われてきた神事が、全国に広がったそうです。

「木彫りの鷽の像を「替えましょ、買えましょ」の掛け声とともに交換しあう」
そうで、また大宰府天満宮に、
「道真が蜂に襲われた時に、鷽の大群が飛んできて助かった。」
という伝承があることから、木、張り子、土人形の鷽が配られるところが多いそうです。

大宰府では1月7日ですが、他の天満宮では別の日(1月25日が一番多い)のようです。

* これもウィキペディアで初めて知ったのですが、米朝さんは、実家が兵庫県姫路市の「九所御霊天神社」の神職だそうで、ご本人も神職の資格を取得していたそうです。



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心惹かれる俳句    ・・・  句集『星祭』 より

2018年02月27日 | 日記

一羽たち一羽追ひたつ枯野原


白魚の水に影さへなかりけり


ひとところやがて一面青田波


芒原道あるようななきやうな


落蝉の鳴きつくしたる軽さなる



句集『星祭』 甘糟怜子 平成26年文学の森発行。
図書館で出会った本なのですが、好きな句があまりに多かったので、すぐにネットで購入しました。


聞き役となる二つ目の栗をむく


端居して身の末たのむ話など


ひとりの灯ともしてよりの花疲(はなづかれ)


甘糟怜子(あまかすれいこ)さん。
著者略歴にはこうあります。


昭和4年6月15日 台湾台北市生れ
台北州立台北第一高等女学校卒業
昭和57年9月 カルチャースクール俳句教室にて高野悦男に師事
昭和58年  「海」創刊入会
平成6年   同人


この他には、ご本人による簡潔な「あとがき」と、師・高野悦男さんの書かれた「序」、そして俳句から得られる情報だけです。
そこからわかったのは次のようなことでした。


長年の社宅生活の後、駅に近い場所にご家族で住むことになったこと。
駅にあるカルチャースクールに高野先生の俳句講座があり、通い始めたこと。
(計算すると53歳で師に巡り会われたことになります。)
「欠席をしないことをモットーに」「時には母に家族の世話をたのんで」吟行にもいらしたこと。
(お母様のお近くに居を定められたのでしょうか。)
しばらくして御主人が亡くなられ、その後
「娘一家を迎え入れ、16年の同居の末、二人の孫が大きくなったので、東京のマンションに移り住みました。」


平成元年から五年までの句に、次のようなものがあり、60代前半にご主人を亡くされたことが推察されます。


しつかりと寒肥やりて入院す


初花やうす紙をはぐように癒え


制服の衿真つ白に進級す


春曙死はやすやすときたりたり


寒中に入院なさり、回復の兆しが見えたのに、お孫さんでしょうか、新学期を迎えた四月、あるいは五月の最初、御主人は旅立たれたことになります。
淡々とした平易な句一つ一つに、作者の胸掻き毟られるような思いの凝縮を感じずにいられません。


閂(かんぬき)の真一文字に寒に入る


少しページが進んだところにありましたので、そうと気づかなかったこの句のことを、師である高野悦男さんが「序」の中で、次のように書いておられました。


≪御主人を亡くされた直後の句である。
この句にも、何も言わない作者の心底が見えている。
「閂」は「真一文字」に歯をくいしばって悲しみに堪えている作者に他ならない。≫

直後の句で「寒に入る」ということは、入院の頃について詠まれたものでしょうか。
そうならば「閂」は、御主人の病状が深刻であることを、作者の心の中だけにおさめようとしている決意のようにも感じられます。
また、「真一文字に」「閂」の掛けられた門が、御主人が再び元気に門を開けて戻って来ることを拒んでいるかのような、冷たく寒い冬の情景のようにも思います。


遅い気づきですが、記事を書き始めて、おそらく発行された年、新聞もしくは何かの雑誌の書評欄に、この『星祭』が取り上げられていたことを思い出しました。
おそらく多くの方が感銘や共感を覚える句集ということで、注目されたのだと思います。

この句集を読み、私も甘糟さんの17文字の世界に心惹かれました。
またいくつかの句には、父を看取った母のこと、また母を見送った頃のことを重ねてしまいました。

作者の53歳から84歳位までの作品。
どれも深い情景、深い気持ちを孕んで、237ページの句集、最初手に取った時より、ずしりと重く感じられました。



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あけましておめでとうございます   ・・・ 古い手紙

2018年01月06日 | 日記
昨年の二月に始めた言葉の散歩、このところ少しペースダウン、ご無沙汰をお許しください。
今年もよろしくお願いいたします。



皆様にとって、良い一年になりますようお祈りいたします。



皆様のお宅のお年越し行事も、そろそろ一段落なさった頃でしょうか。
我が家では、元旦に身内が来てささやかな新年会というのが、ここ何年かの恒例です。
二日は中休みで、年末・元旦に録画した番組、『ベルリン・フィル ドキュメント&第九演奏会』でサイモン・ラトルのベートーベンを聞いたり、『新春能狂言』で宝生流の能「草紙洗」(シテ・當山孝道)を見たりして、のんびり過ごしました。

そして気になっていた探し物もしていた最中、処分してしまったと思い後悔していた、ある先輩からのとても古い手紙を見つけ、嬉しい気持ちになりました。

その先輩に初めてお会いしたのは、私が大学を卒業したばかりの頃です。
初めて、と申しましたが、それ以降お会いしない年月が30年近くですので、「たった一度」と言い直した方が良いかもしれません。
同窓、且つ同じ流儀の謡・仕舞を習っているというご縁で、15歳も年下の私に、親しく話をしてくださいました。
その時の会話の内容は、実はすっかり忘れていましたが、今回御手紙を読み返し、私が次の発表会で「野宮(ののみや)」(*1)の仕舞を舞うこと、ちょうど同じ時期に別の場所で、その先輩は「野宮」の能を舞われることも、話題に上がっていたことがわかりました。
また御手紙から、今の私からすればとても若い30代後半だった当時の先輩の、能への熱い気持ちが伝わってきて感銘を受けるとともに、最近になってようやく能や謡・仕舞に再会した気がしている現在の私に、励ましや課題を下さっているようにも感じました。

お会いした時に撮った写真をお送りしたことへの御返事、30年以上も経っていますし、お名前や地名など詳しいところは伏せることにして、ご紹介させていただきたいと思います。

***

うっとうしい梅雨空がつづきます
お元気で御活躍のことと思います
うれしくお便り拝見しました

野宮の能、決まってからほぼ一年になります
忙しくて稽古の密度は決して濃いとはいえませんが、
思いだけは抱きつづけてきました

今度立つ舞台は、僕の祖母にとっても思い出の深い舞台なのです
今年がはからずも33回忌にあたります
前回能を舞って以来18年ぶり、二度目の能に、
祖母が好きだった野宮を選びました
師に(舞うことを)許された時には本当に嬉しかった
しかし深い能ですから、どういう舞台になるでしょうか

世阿弥作とはいかぬようですが
井筒(*2)で夢幻能を完成させた世阿弥が
晩年砧(*3)を書き、人間の生を表現した
そして同位異相の野宮を作ったと
思いたいのです
僕の思いでは、世阿弥が佐渡配流から帰洛して
自分自身の生と重ねて、
もう一度夢「現」能を作ったと・・・。
(観世寿夫は「現」とした方が良いと言っていますね)

鳥居と小柴垣、これは夢「現」能とするにふさわしいすごい装置だと思います
こなた(現)とあなた(夢)を隔離する
そしてあなたへの思いをはせる
宇宙的な広がりがありますね
すごい能だと思います
後シテ、鳥居の向こうから、カラカラと音をたてて車が出てくる
そんなふうに演じたいですね

僕のことばかり申してすみません
31日はもう間近ですね
ここはもとよりかたじけなくも、と合掌しますね
あなたはその思いをどうしますか
鳥居にあるのか、それを超えてずっと遠くの天空にあるのか
どう解釈しますか

静かで気品があって、女性の深い思いを描いている野宮
作品論は作者を超えて考えていかねばと思います
いい仕舞であって欲しいと思います

お元気で過ごしてください

  ***

能を舞われる会のプログラムと、「来れたら楽しいですね」というメッセージとともに、こんな御手紙をいただいたのでした。
この時に、どのようにお返事を書いたのか思い出せませんが、拝見するには旅行ということになってしまうため、入社したばかり、大学の試験勉強より大変に感じた研修の最中だった私が、その会にうかがわなかったことは確かです。


改めて読み返したこのお手紙には、先輩の能への思いが溢れていると共に、後輩の、能楽師である先生の舞をなぞるだけで精一杯だった私に、能や謡・仕舞へのアプローチの仕方は様々あることを教えて下さっていることを、今更ながらとても有り難く感じました。


実は数年前、その先輩にお会いした場に居合わせた友人(彼もまた能への情熱ただならぬ人です)のお蔭で、思いがけなくこの先輩との再会が果たせました。
先輩も私も、30年近い月日に、見た目はだいぶ変わっていましたが、先輩の熱さは健在で、また人を喜んで迎えて下さる暖かさも変わっていませんでした。
そしてこの時に初めて拝見した先輩のお能は、想像を超えて端正で美しいものでした。

東京の大学を卒業後、郷里に戻られ、初めてお会いした当時教師の道を歩んでいらした先輩は、その後学業ばかりでなく甲子園や駅伝等スポーツでも名を馳せる文武両道の高校の校長を勤められました。
在職中は常に関わってはいらっしゃれなかったと思いますが、退職後は、大人のお弟子さんの指導はもちろん、県内の中学生にも謡と仕舞を教え、地域としての能の継承に力を注いでいらっしゃるとのことでした。
県内の舞台では毎年能を舞われますし、今年も東京の舞台にも立たれるなど、ご自身能を楽しみつつ、「教える」という天性のお仕事も続けていらっしゃることがわかりました。
(こうしたことは、ご本人の口からではなく、友人から聞きました。)


今は、撮った写真はその場ですぐ共有でき、長いこと会っていなくても、色々な手段で消息を知ったり再びつながったりできる、良い時代だと思います。
でも、折り癖が強くついてしまった便箋を伸ばし伸ばし読む、少し色褪せた万年筆での(しかも達筆な)古い手紙には、画面で見る規格の文字のメッセージとはまた違った力があるように思います。
今年はもう少し深く能に関わろうかと持っているのも、この古い手紙に導かれてのことなのかもしれません。





*1 *2 *3 いずれも能の題名。「ののみや」「いづつ」「きぬた」


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東京大学の構内散歩

2017年12月02日 | 日記
勤労感謝の日、午前中の雨も午後になって上がりましたので、文京区本郷の東京大学の構内を歩いてきました。
日差しがあまりなく、色鮮やかな写真にはなりませんでしたが、添えさせていただきます。

今回は赤門からではなく、「本郷三丁目」交差点から、春日通りを湯島方向に数分歩いたところにある「春日門」から入りました。
入るとすぐ左に、隈研吾さんが意匠設計した「ダイワユビキタス学術研究館」があります。

   



その少し先にある懐徳館庭園。
公開はホームカミングデーだけだそうで、庭園の門の外から覗き込んだ写真です。

   

この庭園は、旧加賀藩前田家のお屋敷だったところを東大が継承したもので、2015年3月10日に国の名勝に指定されています。
ここの歴史はキャンパスの歴史にも大きく関わるように思いましたので、入手した庭園のパンフレットを参考に、少し書かせていただきます。


「江戸時代、本郷キャンパスの大部分は加賀前田藩の上屋敷でした。
 明治4年に屋敷地が収公されて文部省用地となりましたが、
 旧上屋敷の一角、赤門から南側の1万3千坪は前田家の敷地として
 残されました。」(引用)


明治後期、前田家はこの地を本邸と定めました。
天皇行幸を目的として、明治38年に日本館(北沢虎造設計)、40年に西洋館(渡辺譲設計)が建てられました。
特に後者は、東京にあった家族・貴族・実業家の邸宅の中でも第一級と認められる、充実したものだったそうです。

パンフレットの年表によると、1910(明治43)年7月8日には明治天皇の行幸、10日は昭憲皇太后行啓、13日は皇太子殿下・同妃殿下台臨とあります。
 
 * 「台臨」という言葉を、私は初めて知りました。
   手持ちの国語辞典には載っていませんでしたが、
   漢和中辞典(角川書店)によると
   「皇后、皇族がおいでになること」
   とのことでした。

この時には臨時に、能舞台が建設されて(北沢虎造設計)13日には能「鞍馬天狗」が舞われたそうです。
舞台はこの後撤去されました。

その後大正期の年表には、「露国親善使節ジョルジュ・ミハイロビッチ大公台臨」「英国使節コンノート公台臨」「スウェーデン国皇太子妃台臨」という記事が並び、この庭園は外交の場ともなっていたことがわかります。

けれども大正時代後半、本郷キャンパスの拡充のため、敷地の交換などにより、前田家から東大にこの庭園が移管されました。
日本館、西洋館も寄付されましたが、東京大空襲により焼失、1951年総長宿舎(東大迎賓館)として新築されたのが、現在の懐徳館だそうです。
(懐徳館は門の所からは見えませんでした。)



少し歩いたところの東洋文化研究所・東洋学研究情報センター、入り口には立派な獅子がありました。
左の獅子と右の獅子、阿吽ではありませんでしたが、足で踏みつけているものが違いました。

  向かって右側
   

  左側
   



内側から撮った赤門です。
ご存じの通り、加賀藩13代前田斉泰(なりやす)が、11代将軍徳川家斉の娘溶姫(ようひめ)を正室に迎えた際に建立された門です。

   



   

   


大イチョウがありました。
周りで子供たちが遊んでいる風景は、なんだか夢の世界のように思えました。

   

   
 


一度門を出て信号を渡り、農学部へ。
農学部正門には、雪の結晶を思わせる装飾が施されています。

  



門を入ってすぐ左に、農学部の教授だった「上野英三郎博士とハチ公」の像がありました。

  

  


ハチ公が幸せそうで、嬉しい気持ちになりながら、また赤門の方のキャンパスに戻り、安田講堂、三四郎池へ。


  


本郷キャンパスには、歴史と趣のある建物が多く、この安田講堂をはじめ東京都の登録有形文化財に指定されているものも多くあります。

ウィキペディアによると、その文化財の多くが内田祥三の設計で、

 「これらは共通する特徴を持ったゴシック様式の
  建物であるため、設計者の名前を取って内田ゴシックと
  呼ばれている。」

そうです。
文化財以外にも内田祥三さんの設計のものはたくさんあり、先程の農学部正門もその一つだそうです。


 三四郎池
  


帰りは「根津」駅まで歩きました。


この日「春日門」から入ったのにはわけがあります。
最初にご紹介した「ダイワユビキタス学術研究館」の一角に、和カフェがあり、そこに行ってみたかったのです。

  


写真の一番奥(中から撮りましたので、実際には一番門に近く)の、ガラス張りになっているところが、「厨(くりや)菓子 くろぎ」というお店です。

最初店内は満席でしたので、外のテーブルに案内されました。
電気ひざ掛けが用意されていて、寒さは気になりませんでしたが、すぐに中の席が空き、移動しました。
店内は低い音でジャズが流れ、おしゃれな雰囲気です。

三人のうち一人は「安倍川もち」を

  

私ともう一人は「おぜんざい」を頼みました。

  

この美味しそうにふくらんだお餅、そして小豆の上に輝く金箔に、テンションが高まり、何枚も写真を撮ってはしゃいでしまいましたが、お餅の網の下に炭が仕込まれて保温され、冷めませんでした。
優しい甘味とお餅の香ばしさ、視覚面だけでなく、お味にも大満足でした。

「おぜんざい」1300円(税別)、「安倍川もち」1000円と、ゴージャスなお値段ですが、この日は美しい秋のキャンパス見物付でしたので、お得だったように思いました。
最初に腹ごしらえしましたので、その後の長時間散歩も苦になりませんでした。

趣ある建物、構内にたくさんある大きな木や並木を見ると、心が安らぎます。
時々訪ねたくなる、私の好きな場所です。



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雨の降る日に     ・・・ 「五月雨」の俳句

2017年06月30日 | 日記
「五月雨」の俳句というと、松尾芭蕉の

 五月雨をあつめて早し最上川 

が浮かん来るのですが、これからはこちらの句になるかもしれないという作品に出合いました。
6月17日(土)日本経済新聞の俳壇、黒田杏子さん選の一句で、
横須賀の門馬恵子さんという方の、次のような作品です。

 さみだるる金色堂も師の肩も

平泉中尊寺、師と歩いている。
五月雨が、金色堂に、そして師の肩に降りかかっている。

もちろん字数を考えての語選び、でも「師」という言葉に、私は後ろにいる人の、前を行く先生に対するあたたかい気持ちを感じました。
尊敬、思慕、あるいは心配でしょうか。

例えば、敬愛する先生と、今共に中尊寺にいて、一緒の雨に打たれているという感慨。

また、例えば恩師との中尊寺、かつてはどこかに行く時は先生に引率されていた自分達なのに、今は先生の足元が気にかかる。
そのような年齢になられた先生の肩にも雨が降りかかっている。
懐かしい記憶、師弟それぞれに流れた長い時への思い、先生にいつまでも元気でいていただきたい気持ち。
そんなふうにも感じました。

私も訪ねた中尊寺、二度とも「先生」と一緒の旅でした。
それで一層この俳句に、とてもしみじみとした余情を感じるのかもしれません。

そしてまた、

 五月雨の降り残してや光堂

を作った芭蕉に従う、曽良の気持ちにも思えました。



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