言葉の散歩 【歌舞伎・能・クラシック等を巡って】

日本の伝統芸能や音楽を中心に、感じたことを書かせていただきます。

 ある句集より

2018年04月30日 | 日記
図書館で手にとったある作者の句集から、十句ご紹介させていただきます。


風鈴も鳴らず八月十五日

隣の子をたのまれてゆくウソ替え(*1)に

分譲地今年限りのつくし萌ゆ

この垣根この茶の花も父の家

婚礼の荷が湖畔ゆく揚雲雀


少し前の時代の、例えば寅さんの映画の中に出てきそうな情景です。
平易な言葉の、ゆったりとした印象の17文字なのに、読み手に、景色や状況、ちょっとしたドラマまでも、明確に豊かに想像させてくれるように思います。


水鉄砲孫二十分にて飽き果てし

屏風ゆっくりと倒れ子供の笑い声

日蔭より日蔭へ移る立ち話

打ち水に打たれたがりの裸ン坊


顔が綻んでしまうような描写を、何でもないように読み手にポンと渡して、作者はすましているような感じがします。
作者の名前をご覧になったら、ああその人らしいとお感じになるのではないでしょうか。


うちの子でない子がいてる昼寝覚め  桂米朝



* 以上『桂米朝句集』(岩波書店)より


*1「ウソ替え」(鷽替え)

「新年」の季語としか知りませんでしたので、ウィキペディアで調べてみました。

「主に、菅原道真を祭神とする神社(天満宮)において行われる特殊神事である。
鷽(ウソ)が嘘(うそ)に通じることから、前年にあった災厄・凶事などを嘘とし、本年は吉になることを祈念して行われる。」
とあります。
もともと大宰府天満宮で行われてきた神事が、全国に広がったそうです。

「木彫りの鷽の像を「替えましょ、買えましょ」の掛け声とともに交換しあう」
そうで、また大宰府天満宮に、
「道真が蜂に襲われた時に、鷽の大群が飛んできて助かった。」
という伝承があることから、木、張り子、土人形の鷽が配られるところが多いそうです。

大宰府では1月7日ですが、他の天満宮では別の日(1月25日が一番多い)のようです。

* これもウィキペディアで初めて知ったのですが、米朝さんは、実家が兵庫県姫路市の「九所御霊天神社」の神職だそうで、ご本人も神職の資格を取得していたそうです。



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  春の一日

2018年04月23日 | 歌舞伎・能など
ご無沙汰をしてしまいました。
今年は肌寒いかと思うと夏のような暑さ、春の嵐も例年以上にひどかったように思われますが、皆様、体調のお変わりやご被害にはあわれませんでしたでしょうか。
影響がおありでしたら、心からお見舞い申し上げます。
私は、身近の者の忙しさ、あと一か月で104歳だった伯母の見舞い、続く葬儀と、少し落ち着かない春でした。
でも、以前から約束してしまっていた二つの謡会、また一日は能の舞台の鑑賞、自分の不調の通院…。
つまりせわしなさは自分のせいでもありました。

お能の鑑賞の日は、
「この演者のこの演目は、是非見た方が良い。」
との友人の呼びかけに、以前同門であった仲間が、大変久しぶりに能楽堂に集まりました。
それぞれ都合のついたタイミング、方法でチケットを購入しましたので、席は離ればなれです。
それで鑑賞後「ちょっと軽く」ということになり、先輩一人もご一緒に、6人で暖簾をくぐりました。

観たお能は宝生流の「春の別会能」。
「景清(かげきよ)」「熊野(ゆや)」「道成寺 披キ(どうじょうじ ひらき(*1)」の三番です。

ちょっとうるさい連中ですので、
「誰それが良かった。」
「昔の別会はもっとこうだった。」
「誰それは声が大きいだけだ。」
「あの人のあそこの謡は、他流の名人が言っていることに符号している。」
等々談論風発…とは大げさですが、好き勝手なことを述べ合う場となりました。

でも一番目の「景清」(*2)が実に良かったという点では皆の意見が一致して、呼びかけてくれた友人も満悦の様子。

元は勇猛果敢な平家の武将、その後源氏に従うことを拒み目をくりぬき盲目になり、乞食の琵琶法師として藁屋(わらや)に日を送る景清。
一曲の内に、彼の様々な心理、そして心理の変化があり、謡と少ない動きによって表現しなくてはならない、難曲であり名曲でもあります。
宝生流では、還暦を過ぎてから演じることを許されることが多いそうですが、今回のシテは58歳とのこと。
まさにその特例的な演能が納得できる舞台で、感情の深さが、音量や声の違いにではなく、謡にこめられた息の緊張と抑制に表れ、胸に迫る一番でした。

その日は、「景清」の後すぐに「佐渡狐」という狂言が演じられました。
演劇としての意義はもちろんですが、涙を禁じ得ない場面で終わる「景清」の後、気持ちを元に戻してくれる存在としても、狂言はなくてはならないものと、この日は特に実感しました。


残念なことにお酒の飲めない私は、カルピスウォーター、梅のおにぎり、玉子焼き一切れ、誰のお箸で割ったのかわからないメンチカツ四分の一で空腹を満たしました。
少々問題ありのメニューですが、心の栄養には満点の夕食を終え、ここで解散です。
日曜の夜なのに会社に戻る人、新幹線で帰る人、皆それぞれの方向へ。

名残り惜しかったのは私だけではなかったようで、騒音の多い広い道路の向こう側から、先輩の「さよならー」という、鍛え抜かれた声がしました。
「失礼しまーす」と返しながら、声が届く自信がなかったので、私は大きく手を振りました。





*1「披キ」とは、家元から舞台にかけてよいと許された演目の「初めての披露」という意味です。
  特に「道成寺」の「披キ」は、これを許されて、初めて能楽師として一人前と認められる、意味あるものです。

*2「景清」のあらすじを、『すぐわかる能の見どころ 物語と鑑賞』(村上湛著 東京美術)から引用させていただきます。

鎌倉・亀谷(かめがやつ)の遊女人丸は、平家の勇将・景清の娘。
逃亡の果て盲目となり、今は日向の国(現在の宮崎県)で平家語りに落ちぶれているという老父に一目会おうと、人丸は九州に下る。
みすぼらしい庵に住む景清は、突然の来訪者が、生後すぐ長(ちょう。遊女の統括者)に預けた娘であると悟り、知らぬ顔でやり過ごす。
が、事情を察した在所の者に、捨てたわが名を呼ばれ、一度は激怒しながらも、人の哀れみを受け露命を繋ぐ身の上を省み、短気を詫びる。
取りすがる人丸。
初めての対面が、今生の名残でもある。
景清は人丸に、屋島合戦での武勇を語る。
物語果て、人丸は涙ながらに去り、景清は見えぬ目で見送る。


* この日の「景清」の演者

 シテ 金井雄資
 ワキ 工藤和哉
 人丸 藪 克徳
 従者 高橋 亘

 大鼓 國川 純
 小鼓 鵜澤 洋太郎
 笛  藤田 朝太郎

 地頭 三川 淳雄



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