言葉の散歩 【歌舞伎・能・クラシック等を巡って】

日本の伝統芸能や音楽を中心に、感じたことを書かせていただきます。

Bunkamura ル・シネマで、カズオ・イシグロの『日の名残り』を見てきました

2017年12月18日 | 映画
カズオ・イシグロという名前を知ったのは、『日の名残り』がブッカ―賞に輝いた頃で、イギリスに住んでいた友人の手紙ででした。
「今読み終えて、とても感動している。」
とありました。

その頃私は、ひどいつわり、出産、初めての子育てという時期で、翻訳されてからもなかなか本を手に取ることができず、随分たってから、本より先に、レンタルビデオ店で見つけた映画を見てしまいました。
読んだのは、さらにしばらくしてからです。

映画を先に見てしまうと、どうしてもイメージが固定してしまいますし、逆に読んだ小説を映画などで見ると、自分の想像とは違っていてがっかりすることも多くあり、両方に満足できることはなかなかないように思います。

でも私にとって『日の名残り』は、映画と本のどちらも、大きな感動を与えてくれました。
本は言葉で、映画は演技・映像で描かれるドラマが、完全に一致しないのは当然として、その違いを味わうのも楽しく思いましたし、舞台である英国のカントリー・ハウス「ダーリントン・ホール」や、そこで繰り広げられる華麗な世界は、むしろ映像になっていることが、私には大きな魅力でした。
また映画で描かれる主要登場人物(主人公である執事スティーブンス、同じハウスで働くミス・ケントン、ダーリントン卿、ハウスの次の主人となるルイス)は、原作にないシーンが加わったり、ルイスについては原作とは設定が異なったりしましたが、これも映画という形での、人物の感情や性格を想像させる種になっているように感じました。


この映画は是非スクリーンで観てみたいと長年願っていたのですが、今回のカズオ・イシグロのノーベル賞受賞の記念として、渋谷Bunkamuraル・シネマで期間限定で上映され、12月15日に行くことができました。

   


感動の余韻が冷めないうちに本も再読しようと、少し黄ばんだ文庫本を取り出し、読み始めたところです。




この日は、Bukamuraへの行き帰りに、東急百貨店本店前のこんなクリスマスツリーを楽しめる「おまけ」もありました。

   


麓は、四方がこのようになっています。

   

   

   
   
   



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東京大学の構内散歩

2017年12月02日 | 日記
勤労感謝の日、午前中の雨も午後になって上がりましたので、文京区本郷の東京大学の構内を歩いてきました。
日差しがあまりなく、色鮮やかな写真にはなりませんでしたが、添えさせていただきます。

今回は赤門からではなく、「本郷三丁目」交差点から、春日通りを湯島方向に数分歩いたところにある「春日門」から入りました。
入るとすぐ左に、隈研吾さんが意匠設計した「ダイワユビキタス学術研究館」があります。

   



その少し先にある懐徳館庭園。
公開はホームカミングデーだけだそうで、庭園の門の外から覗き込んだ写真です。

   

この庭園は、旧加賀藩前田家のお屋敷だったところを東大が継承したもので、2015年3月10日に国の名勝に指定されています。
ここの歴史はキャンパスの歴史にも大きく関わるように思いましたので、入手した庭園のパンフレットを参考に、少し書かせていただきます。


「江戸時代、本郷キャンパスの大部分は加賀前田藩の上屋敷でした。
 明治4年に屋敷地が収公されて文部省用地となりましたが、
 旧上屋敷の一角、赤門から南側の1万3千坪は前田家の敷地として
 残されました。」(引用)


明治後期、前田家はこの地を本邸と定めました。
天皇行幸を目的として、明治38年に日本館(北沢虎造設計)、40年に西洋館(渡辺譲設計)が建てられました。
特に後者は、東京にあった家族・貴族・実業家の邸宅の中でも第一級と認められる、充実したものだったそうです。

パンフレットの年表によると、1910(明治43)年7月8日には明治天皇の行幸、10日は昭憲皇太后行啓、13日は皇太子殿下・同妃殿下台臨とあります。
 
 * 「台臨」という言葉を、私は初めて知りました。
   手持ちの国語辞典には載っていませんでしたが、
   漢和中辞典(角川書店)によると
   「皇后、皇族がおいでになること」
   とのことでした。

この時には臨時に、能舞台が建設されて(北沢虎造設計)13日には能「鞍馬天狗」が舞われたそうです。
舞台はこの後撤去されました。

その後大正期の年表には、「露国親善使節ジョルジュ・ミハイロビッチ大公台臨」「英国使節コンノート公台臨」「スウェーデン国皇太子妃台臨」という記事が並び、この庭園は外交の場ともなっていたことがわかります。

けれども大正時代後半、本郷キャンパスの拡充のため、敷地の交換などにより、前田家から東大にこの庭園が移管されました。
日本館、西洋館も寄付されましたが、東京大空襲により焼失、1951年総長宿舎(東大迎賓館)として新築されたのが、現在の懐徳館だそうです。
(懐徳館は門の所からは見えませんでした。)



少し歩いたところの東洋文化研究所・東洋学研究情報センター、入り口には立派な獅子がありました。
左の獅子と右の獅子、阿吽ではありませんでしたが、足で踏みつけているものが違いました。

  向かって右側
   

  左側
   



内側から撮った赤門です。
ご存じの通り、加賀藩13代前田斉泰(なりやす)が、11代将軍徳川家斉の娘溶姫(ようひめ)を正室に迎えた際に建立された門です。

   



   

   


大イチョウがありました。
周りで子供たちが遊んでいる風景は、なんだか夢の世界のように思えました。

   

   
 


一度門を出て信号を渡り、農学部へ。
農学部正門には、雪の結晶を思わせる装飾が施されています。

  



門を入ってすぐ左に、農学部の教授だった「上野英三郎博士とハチ公」の像がありました。

  

  


ハチ公が幸せそうで、嬉しい気持ちになりながら、また赤門の方のキャンパスに戻り、安田講堂、三四郎池へ。


  


本郷キャンパスには、歴史と趣のある建物が多く、この安田講堂をはじめ東京都の登録有形文化財に指定されているものも多くあります。

ウィキペディアによると、その文化財の多くが内田祥三の設計で、

 「これらは共通する特徴を持ったゴシック様式の
  建物であるため、設計者の名前を取って内田ゴシックと
  呼ばれている。」

そうです。
文化財以外にも内田祥三さんの設計のものはたくさんあり、先程の農学部正門もその一つだそうです。


 三四郎池
  


帰りは「根津」駅まで歩きました。


この日「春日門」から入ったのにはわけがあります。
最初にご紹介した「ダイワユビキタス学術研究館」の一角に、和カフェがあり、そこに行ってみたかったのです。

  


写真の一番奥(中から撮りましたので、実際には一番門に近く)の、ガラス張りになっているところが、「厨(くりや)菓子 くろぎ」というお店です。

最初店内は満席でしたので、外のテーブルに案内されました。
電気ひざ掛けが用意されていて、寒さは気になりませんでしたが、すぐに中の席が空き、移動しました。
店内は低い音でジャズが流れ、おしゃれな雰囲気です。

三人のうち一人は「安倍川もち」を

  

私ともう一人は「おぜんざい」を頼みました。

  

この美味しそうにふくらんだお餅、そして小豆の上に輝く金箔に、テンションが高まり、何枚も写真を撮ってはしゃいでしまいましたが、お餅の網の下に炭が仕込まれて保温され、冷めませんでした。
優しい甘味とお餅の香ばしさ、視覚面だけでなく、お味にも大満足でした。

「おぜんざい」1300円(税別)、「安倍川もち」1000円と、ゴージャスなお値段ですが、この日は美しい秋のキャンパス見物付でしたので、お得だったように思いました。
最初に腹ごしらえしましたので、その後の長時間散歩も苦になりませんでした。

趣ある建物、構内にたくさんある大きな木や並木を見ると、心が安らぎます。
時々訪ねたくなる、私の好きな場所です。



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