鎌倉評論 (平井 嵩のページ)

市民の目から世界と日本と地域を見つめる

ポピュリズムとは何か  近代主義の正義を堅持することが重要

2017-04-24 11:29:16 | 日記

ポピュリズムとは何か

         歴史に根をもった民族の思想

         現代の正義の思想にあらがうもの

民主主義につきもののポピュリズム

世界各地にポピュリズムという暴風が吹いている。ポピュリズムとは何か。それは衆愚政治、愚民社会、反知性主義といった言葉と同類のものだろう。一つの明確な思想ではなく、民衆の心情的思想である。それは民主主義社会においてこそ生まれ、民主主義の特徴といえるものである。我々の民主主義はいつでもそれを現しうるということだ。

ポピュリズムといわれた民主主義の姿は、すでに20世紀の初めから見られた。資本主義社会の発展とともに、労働者大衆が出現し、浮き草のような都市民は不安と憤懣を抱えて理性的であるより感情に流されるようになっていた。心理学者エーリヒ・フロムは『自由からの逃走』でそのような現代民衆の心理を描いて言う。自由を獲得した現代民衆は、その自由の中で孤独と不安、無力感に囚われ、次第にヒトラーのようなファシストーー規律と目的と意義と力への充実感を与えてくれるものに、自らの自由をくれてしまった、と。「モブ(暴衆)」の発生である。それが底抜けの悪事をやってのけた大戦の結果、日本やドイツではファッシズムへの嫌悪は今も強いが、民衆心理の置かれた状況は昔と変わっていないし、これからも変わらず、民主主義への不安要因であり続けるはずだ。

ニュースによると、ロシア人はソビエト時代の大ロシアを懐かしんでおり、イスラム社会はサラセン時代をあこがれており、アメリカ白人はグレートアメリカを復活させ、中国人はアジアの盟主であった中華帝国を復活させようとたくらんでいる、という。卑小な個々の民衆がアイデンティティーを過去の自国の栄光の時代に求めるという心理は、フロムが言ったように、ヒットラーを求めたかつてのドイツのモブと同じ心理ではなかろうか。もしそうなら、フロムが言うように、第二次大戦前と同じく、国家が覇を争って戦争をする構図である。極めて危険な兆候といわねばならない。

 そこで筆者はポピュリズムの定義をこう試みる。ポピュリズムとは、現状社会への不安や不満の中で、歴史の記憶から蘇る古い思想や感情であり、それは現在我々が信奉する正義にあらがうものである、と。こう定義すれば、当然「我々の信奉する正義」が何であるかを確認する必要が出てくる。現代は相対主義やニヒリズム、アイロニズムの風が強い時代だ。正義不正義などというものが簡単に言えるものかという人がいるのだ。しかしそれゆえに、我々は自分のスタンス、立ち位置、パースペクティブをしっかり確認し検証する必要がある。数ある現代の正義思想の中で基本的なものだけ論じ、そのあと現代の各地のポピュリズム、我々の「信奉する正義」に反する思想を挙げてみたい。

個人主義(インディビデュアリズム)  単なる自己主義やミーイズムでなく個の尊厳を信じること  

人間は個人としてそれ自体尊厳を持ち、王権など独裁権力によって侵されない存立基盤を持つという思想は、西洋人的エートスの中でプロテスタンティズムにおいて思想として芽生えたといわれる。それは心の中で11で神と向き合うという信仰姿勢が個の確信を生み、それはやがてカント、ヘーゲルなど近代哲学において彼らの精神が神から独立する思想となった。彼らが人間存立の基盤としたのが「理性」だった。人間は理性によって自然環境と対峙でき、そうすることで自然を開発することができると考えた。近代科学の発展はその結果だった。

 近代文明はまさにこの個人主義、理性に拠って立つ個の発見から始まった。このことはBC500年頃にギリシャ、インド、中国で同時に起き、歴史家が「精神革命」と呼ぶ人間革命につぐ第二の精神革命だった。それは西洋においてのみ起こり、西洋はそれを植民地主義とか帝国主義という侵略によって広めていった。当時、彼らの「個人主義」も西洋人だけのものであり、他民族の人間は考慮の外だった。しかしこの個人主義思想が発展し、基本的人権思想、人権尊重、男女同権思想、拷問その他残酷な刑の禁止、そして次に述べる自由主義が生まれてきた。女性人権の尊重は今日なお進展中であり、身障者や弱者への思いやりは、人間個の尊厳を重んじる思想なくしては進まない。

自由主義  権力からの個の開放

個人の尊厳を重んじる思想から、国家権力との関係において個人の自由は最大限に認められねばならない。自由の権利は具体的な形で法に刻まれた。信仰の自由、集会の自由、言論の自由、所有権の自由、そして幸福追求の自由(金儲け、蓄財の自由)は特筆して認められた。この権利こそブルジョワ階級の必要としたものだった。しかしこの自由は現在欲望の肥大化を招き、分別を超えた格差や巨大企業を生み、制御不能となって世界を不安にさせている。我々の信奉する自由主義の正義も、時とともに悪相を呈するようになっている。なんとかせねばならないのだが、どうにもならない状態だ。

人間個体がどこまで自由でありうるかという「自由意志」の問題は、昔から重い哲学のテーマである。だが筆者は人間が権威や権力に打ちひしがれず、自由にのびのびと暮らせることは、国家や社会という人間共同体のあるべき姿、普遍的在り方であると信じる。ポピュリズムとは、往々にしてこの普遍的在り方、自由でのびのびした人間生活を、権力者が抑圧しようとする思想であり、それは過去の古い権力主義思想に依存するものが多い。中国や北朝鮮の独裁国家の権力主義やイスラムの宗教的抑圧も我々の正義ではない。

 民主主義  政治における個人主義

個人を重んじ個人の自由を重んじる政治は、民主主義よりほかにない。全体主義、ファッシズム、独裁政治、王権政治といった政体は今日も各地にあり、民主制の国にもその復活を目指す動きがあり、民主制の運営は多難である。無数の人間がたった一票の頼りない選択権によって権力者代表を選ぶという作業には、様々な不正、誘惑、幻滅、失望、下品、愚かさといったあらゆる気力を萎えさせるものが伴う。チャーチルはしかしそれでも、過去のどの政体よりましだ、といったのは有名だ。隠密で陰気で不透明な独裁政治や官僚政治より、ばかげて間抜けていようとも、明るく透明で公開性の高いみんなの政治のほうがいい。小池百合子都知事の政治姿勢に人気があるのは、日本政治の権力主義や官僚支配を国民が嫌っているからだろう。

この民主主義政治を支える手段として、議会制があり三権分立がある。こうした制度は人間への不信と社会の最高知を求めようという欲求からきている。

グローバリズム 数百年前からの流れ

人類社会一体化への流れは数百年前から始まっている歴史の方向であり、人が意識しようとしまいと文明としての正義であると考えるべきだ。人間はいまだ国家とか民族とか部族といった共同体に固まって争っている。しかし国家主義や民族主義が人類の宿命的在り方と考えるのは間違っている。 人類がいつの日か世界政府を作り、国家や民族はローカルなものになる日が来るという夢ははるかに遠い気がするが、国連とか国連軍もあり、EUという国家を超える領域政府もヨーロッパにできようとしている。この流れは現代の正義と認識すべきだ。したがってエゴイスティクで偏狭な国家主義や民族主義はポピュリズムであり、過去的精神のよみがえりである。現在、世界には国家や民族の壁を強化しようとする動きが強いが、それはグローバリズムの流れから見れば一時的反動と考えられる。

侵略は悪という平和主義思想

 これは世界政治において、他国を武力で侵略してはならないという考えだが、第二次大戦の悲惨への反省から東京裁判やドイツ裁判で決まったことだった。このことは人類の暗黙の正義となっていると考えてよい。ロシアのクリミア侵略や中国の強引な南シナ海進出が国際社会で非難されるのはそのためだ。

だが現在どの国も他国に疑心暗鬼で戦力を蓄えている。日本も憲法のぎりぎりの解釈で戦争に備えている。世界の平和主義正義も極めて危うい。

自然保護思想

 これも思想として確立しているものでないかもしれないが、荒れ狂う自然現象の多発から、それが人間の欲望主義の営みの結果であり、このまま放置しておけば人類の存亡にかかわるという世界的認識から生まれた考えだ。アメリカのトランプ政権は欲望優先経済第一から、この正義をでっち上げと否定している。明らかにポピュリズムであり、半知性主義だ。

現代各地のポピュリズム

以上我々の立ち位置とすべき正義思想をいくつか挙げたが、基本思想が大きく揺るがされる時代に、自分の正義の位置を思索し確認することがポピュリズムを言う前に必要である。以上の立場に立って各地の現在のポピュリズムを考えてみたい。

ヨーロッパ  不幸にも難民やテロの多発によって、再び過去の民族主義や国家主義をよみがえらせている。ヨーロッパはEUによって、国家主義や民族主義の克服を先駆していたが、イギリスの離脱や民族主義政党の台頭で、その志は危機に瀕している。古い思想のポピュリズムが勝つか新しい正義が勝つか、ヨーロッパには典型的な姿で二つの思想の戦いが見られる。

アメリカ  この国はあらゆる点で近代主義の指導国だ。民主主義も自由主義もグローバリズムも民族融和も国際政府を目指すこともだ。だが彼らがどこまで自国の使命を自覚しているかはわからない。彼らは人類史的理念より自国を優先する一国家主義に立っている。特殊な一国家として歴史的民族的に特別な個性を持っている。アメリカは我々の正義思想の旗手であることを意識してもらいたいものだ。日本は軍事同盟国という以上に同士として助けたり助言をすべきだ。

 トランプ大統領はまだ多数を占める白人層のポピュリズムが現れたものだ。彼らは政治的にも経済的にも強いアメリカを求めるだろう。

ロシア  ロシア人はソヴィエト時代、世界を二分して指導した時代を懐かしんでいるそうだ。典型的ポピュリズム心理というべきで、プーチンの独裁政治に人気があるのも、ツアーリ時代からある独裁嗜好の国民性の上にそうしたポピュリズム心理に支えられている。しかしロシアは民主制の国だ。国民意識の改変により民主的になりうる。

イスラム諸国  アラーの神は唯一にして絶対で永遠であるとされている。全く変更のきかない神という支配者である。その信仰の中には「天国」や「ジハード(聖戦)」、「天命」という現世否定的思想があり、信者を呪縛している。西洋人は、同じ一神教ながら長い苦労のすえ脱宗教化してきたが、イスラムは頑固にコーラン(神の命令)を守ろうとする。古い宗教にしがみついて離れないのは保守主義を通りこして狂気のポピュリズムに思える。しかしながら、彼らの信念は人間の生き方に、そして我々の信奉する近代主義に、何か根源的問いを突き付けているように思えてくる。

中国  この国は独裁国家であるという点で我々の正義に根本的に対立している。我々の価値観からすれば折り合うことのできない政治思想上の相違があり、それは前時代的でありポピュリズムだ。中国は大国ゆえに民主主義という同じ体制を取らねば、我々と同じ土俵で相撲が取れず、世界の厄介者になるだろう。

日本   日本は近代主義を憲法で高らかに掲げており、いわば近代正義の申し子といえる戦後、アメリカは日本に新憲法を与えたわけだが、GHQの役人は、自分たちが学んだ理想的な近代思想を書き込むよりほかに、更地の日本に示すものはなかったはずだ。ただ天皇条項と9条の平和主義だけは時代を反映し特殊日本的である。

現在日本にもポピュリズムのしゅん動が見られる。ヘイトスピーチに見る排外主義、軍国主義へのあこがれ、森友問題にみる国体思想の復活、安倍内閣の権力主義への政策、などだが、我々の正義の思想からは受け入れられないはずだ。

   地球は選挙のニュースに騒がしく 追いすがらんとわが命老いゆく