鎌倉評論 (平井 嵩のページ)

市民の目から世界と日本と地域を見つめる

テロリズムを考える   一神教の妄執 この妄念を解くのは仏教しかないのでは

2017-07-06 12:48:40 | 日記

非対称世界大戦の始まりか

世界各地にテロが頻発し、今日まさにテロによる非対称の第3次世界大戦が始まった感がある。日本には発生していないが、もし2,30人も一度に死ぬテロが発生すれば、災害と違って、安心安全教に酔っている日本人は発狂するのではなかろうか。ヨーロッパは多くのイスラム教教徒難民を受けい入れ、度重なるテロに襲われ、警備強化や監視カメラにみられる社会になりながら、それでも自由、民主、博愛、寛容の理念を保っているのはリッパという外ない。それでも排除主義や閉鎖主義の勢力がすぐ背後に迫っている。テロ戦争が拡大すれば世界政治はどのように変化するかわからない。

 70年代日本にもテロが多発した。95年のサリン事件を除けば、その原因は過激共産主義思想によるものだった。今日のテロはほとんどがイスラム過激思想によるものだ。過激思想は構築性の強い観念思想から生まれる。共産主義もそうだが、イスラム教は一神教の中でも最も構築性が強く、しかもそれは永遠にして絶対的教えとされている。ISという組織的テロ国家は世界中にテロをばらまいたため殲滅の憂き目にあっているが、この組織が滅んでも彼らに思想的エネルギーを注ぎ込んだイスラム教は世界に16億人の信者を擁して健在だ。

 宗教をけなしたくないが、テロリズムがイスラム教に生まれ、彼らの宗教信条が、一見まったく平凡でまじめな若者を突如テロリストに豹変させていることを考えると、アジアの東端にいて石油取引のほか縁の薄い我々も、関心を向けざるを得ない。そこでイスラム教の権威井筒俊彦氏の本など読んでイスラム教を考えたい。

イスラム教は仏教と対極にある

ハンチントンが、冷戦終了後は文明の衝突の時代になるといったのは有名だが、現在の状況はそれが的中した感がある。しかし文明の衝突といっても衝突しているのは一神教という同類の宗教同士である。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、アブラハムの宗教といわれて先祖を同一にし、経典宗教といわれて各自の教典を神の言葉とあがめ、その教えを守る宗教だ。一神教の最大の特徴はその教典主義にあり、教典に書かれた強い構築性のある教えを守ろうとする。構築性とは人間の作り上げた物語であり、思想であり、虚構である。一神教の神はみな自分だけを拝め、他の神を拝めば滅ぼすと言う自我の強い神である。

また一神教のどの宗教も怒りと闘争を原理とした世界観を持っている。それは母体のユダヤ教の成り立ちからそうなったと考えられる。ユダヤ人は古代に他民族からの長い抑圧の歴史に生き、その苦難に耐える宗教として存続してきた。そこには、いつか神の救いがやってくるという当にならない希望主義やどん底の民族にも拘らず神に選ばれているという選良意識を持っていた。それは弱小であるが故に生きるために持つ必要があったものだろう。こうした意識はキリスト教にもイスラム教にも受け継がれている。各宗の原理主義者はこうした意識を持っている。イスラム原理主義は、コーランを神の言葉として厳格に守ろうとするが、そこに展開する価値観は7世紀のままで、それは男性オンリーの社会とか、ナイフで首を切る処刑とか、少女に教育も施さないという女性差別や女性の妙な恰好に、我々にも見える形で表れている。

キリスト教にも今も原理主義があり、アメリカに福音派として生きている。彼らは進化論を信じず、聖書の言うことを正しいと思っている。彼らの構築思想への偏執は我々には呆れるばかりだが、しかし信じるものは存在するのだ。

さて仏教だが、仏教は教祖ブッダの時から闘争性や支配欲、選良意識、差別意識などはまったくない。仏教は宗教とされているが、一神教のような絶対神はいない。如来や菩薩といわれる聖者は悟りを開いた人、ないしその境地であり、絶対神ではない。仏陀の悟りは、人間存在は空であり、無常である、という極めて現代の存在論哲学と同じ思想を基盤にしている。人間の恨みや妬みや復讐欲、闘争欲はすべて煩悩であり克服されねばならない、とする。

仏教思想の歴史は、なぜ存在は空であり、どういう理由で空なのかという存在探求の歴史といって過言でない。それは現代西洋哲学がやっよ取り組み始めたテーマであり、脳科学や精神医学が追いかけている。将来、人間の存在は虚妄であり、存在してないもので、生きているとは、我々の先祖が口癖のように歌にしていた夢まぼろしであるということが科学的に証明されるかもしれない。人間の存在論という哲学の根本問題を、アジアではブッダにより既に2千年前から取り組まれている。だが仏教はあまりに煩瑣な専門語を使って議論が民衆に開かれず、寺に閉じこもったままだった。

 一神教の虚妄思想の精神と空思想の仏教とはあまりにも隔たりが大きい。

イスラム教の天国はリアリティーを持つ

 日本人も「天国に行きました」という表現を日常するが、気休め以上のものではない。ところがイスラム教徒の天国は、現世現実とセットになっていて、現世同様確実な存在とされている。そこは緑あふれる緑園で美女と美酒が待っている。しかもそこは永遠の命があるところだ。

我々には全くの嘘話にしか聞こえないが、イスラム社会ではアラーが保証し、教師やすべての人が信じている疑い難い事実である。死は単なる通過点に過ぎず、死の壁を通り抜けるとそこに天国が待っている。自爆テロをして肉体は四散しても、その瞬間魂は天国に入るのだ。死は少しも怖いものではないし、むしろ天国への入り口として歓迎すべきことになる。

彼らの天国思想は妄想に過ぎる。現世現実は確かな手触りや美しさがあり、そこに在ることの命としての喜びがあるという感覚は、天国を固く信じた彼らにもあるはずだ。

イスラム教の内輪ケンカ  スンニ派とシーア派

そもそもこの二つの宗派ができたのはカリフの跡目争いからだったが、次第に宗教的体質の違いとなっていき、やがてのっぴきならない政治闘争に発展した。この両派は今日でも犬猿の仲で、接触すれば火の出るようなケンカになる。このケンカは千年以上も続いており、これまで悲惨な殺し合いを繰り返してきた。それでもまだ妥協も仲直りもしようとしない。呆れるばかりの頑固さと愚かさではないか。キリスト教もカトリックとプロテスタントが16・7世紀には凄惨な殺し合いの歴史を繰り広げたが、今ではヨーロッパ人はすっかり脱宗教化し、信者が減った教会は商売替えに忙しいという。ヨーロッパ人は無神論の日本人になってしまった。もはや宗教戦争など起こりようがない。

我々としては、イスラムのこんな内輪ケンカにかかずりあう理由はない。「いつまでも好きなだけやりなさい」と突っ放しておけばいいと思うものの、これが国家規模のケンカになってくるとそうもいかなくなる。

スンニ派はサウジアラビア、シーア派はイランであるが、この二国は現在陣営を作って国交断絶というありさまだ。彼らは相手に対してテロを繰り返している。仏教から見れば彼らは阿修羅である。愚かな憎しみの連鎖から逃れられない無明の徒というしかない。

なぜテロを行うのか   解けないエニグマ

井筒俊彦氏の本を読んでも、イスラム過激派がなぜ残酷な暴力をふるい、西欧にたいしテロを行うのか分からない。これには歴史的、宗教的、政治的、経済的事情が複雑に絡んでいるようだ。自爆テロなんていう手段は一説では日本軍の神風特攻から学んだというが、ほんとならとんでもないことを教えたものだ。

イスラム教がコーランという神の教えを永久絶対の教えとして守るのは勝手として、その彼らの教義からなぜ近代先進国を呪い、それにテロを仕掛けるのかか、それに関する情報は全くない。ただ「過激思想」と言われるだけで、それがどのような内容なのか誰も教えてくれないし、知ろうとしない。

歴史的原因として、西洋とイスラムの長い闘いの歴史が考えられる。十字軍という西洋のイスラム侵略に始まり、次は西洋へのイスラムの侵攻、そして再び西洋のイスラム植民地侵略。19世紀からのイスラムの弱体化はなぜ起こったのか。その弱体化は現在も続いており、この時代になっても、政治的経済的に失敗している。イスラムという妄想宗教にこだわっている毛切り近代化できるわけない。経済は、アラーの贈り物といわれる石油に頼り切っており、政治は惨憺たる状態だ。19世紀フランスの思想家トックビルは、イスラム諸国がうまくいかない理由はその宗教にあると、すでに言っている。

 ますます混迷する中東の政治状況

 アラブ人の性格について言われることに、彼らは砂のようにまとまりがなく、しっかり握りしめていないとバラバラになるというのである。つまり権力で締め付けないと共同体とし統一できないというのだ。イスラム教ができる以前、ジャーヒリーア(無明時代)といわれ、彼らは部族単位以上のまとまりを示すことができなかった。そこでムハンマドは、アラーの神を王と見立て、宗教によって国家統一を果たした。そのやりかたがアラブ人には適していたと見え、たちまち大サラセン帝国を築き上げた。この成り立ちから考えても、イスラム教は極めて政治性の強い宗教であることがわかる。

民主主義はアラブ人には適していないのではないか、現在の政治状況を見れば誰でも感じるだろう。アラブの春といわれた一時の期待は今や消し飛んでアラブの冬だ。イラクのフセイン独裁は砂のようなアラブ人を閉じ込めていたが、アメリカのブッシュ政権は何を思ったか、原爆があるなどと口実をつけて、戦争を仕掛け倒してしまった。中東に民主主義を広めたなどと言い訳をしたが、アラブは日本とは違っていた。フセイン独裁が倒れた後、イスラム原理主義のテロが各地に飛散した。アラブの春は民主主義どころか、リビア、シリア、イエメンなど破綻国家を作っただけだった。

 そして難民のヨーロッパへの襲来だ。これがこれからの政治不安の要因となり、世界政治がどう変わるかわからない状態だ。そう考えると、イラク戦争は歴史の転換点だったといえるのだが、それを指導したのはアメリカであり、アメリカ近代主義の傲りであったと思えるのだ。◇◇◇

                近づくは誰の足音不気味なる癲癇病棟の部屋の夜の闇

 

 

 

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 記者会見を締め出された不満... | トップ | 『わびは美に非ず』   わ... »

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。