鎌倉評論 (平井 嵩のページ)

市民の目から世界と日本と地域を見つめる

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記者会見を締め出された不満  排除主義がマスコミ界にもひろがって来たか

2017-06-28 16:21:44 | 日記

PCがまた壊れていたのでアップが遅れたいたが、去る23日、岩田薫氏の市長立候補表明記者会見が市役所であったのだところ、その席に筆者、鎌倉評論は、会員でないという理由で排除されたのだった。

たしかにメンバー制だから当然と考えられるが、だがこれまで何度もこの記者会見場には出席しており、これまで排除されることはなかった。近年特に無資格者やメンバー以外の者を厳重に排除しようとする傾向が感じられる。

メンバー外の者でも隅に一人座らせるくらい何でもないはずだ。ましてことは市長候補の表明会見ではないか。そんな不寛容が日本社会の中にも強まってきたように感じられる。

その不寛容、差別は、持てる者と持たざる者、強いものと弱いものの差別だ。筆者の鎌倉評論は、弱小メディアの代表のようなものだが、マスコミの原点をいく評論紙、弱いものの見方に立つものと自負している。鎌倉マスコミ界にも有力エスタブリッシュ紙と弱小メディアがある。エスタブリッシュ紙(持てるもの)は、弱小紙(持たざる者)に不寛容不人情を示すようになった気がづる。

メンバーでないことは確かに正当な排除理由だが、そんな理屈を言って不寛容になってくる時代の空気が嫌ではないか。

筆者が言いたいのは、世界中でこの金のあるなし財のあるなしによって、社会を分断しようとする時代の空気があるということだ。

アメリカなどでは、もはや決定的に富者と貧者を分ける社会になっており、保険や租税率にしても貧者が不利なように作られている。日本にもこのような差別社会がゆっくりと広がっている。銀行などは真っ先にある時からがらりと変えて、開放的な構えをやめている。商店もだんだんひそかに金持ち用と貧乏人用に分かれてきている。

このような差別意識、排除主義の空気が、最も自由を尊ぶはずのマスコミ界の中にも忍び入っているような気がする。

筆者が締め出されたとき、東京新聞の草間記者こういうのだ。「いやな話はやめて、楽しい話をしましょうよ。楽しい話だけするんです」筆者はこの言葉に、社会の嫌なことには目をつぶり、楽しい話、和気あいあいのニュースだけを取り上げようとする近時のマスコミ人の心を見たように思った。エスタブリッな体制の姿勢には無批判になり、白雉的なハッピーなことばかり書こうとする空気である。とくに読売新聞にはそんな精神が横溢しているような気がする。

世界的規模でみれば、この排除主義思想は、資本主義の末期的状況を示している同時に、かのテロリズムを誘発している原因となっているものに思える。

 

          歯ぎしりをして枇杷をはむ新聞種 

 

 

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