元外資系企業ITマネージャーの徒然なるままに

日々の所感を日記のつもりで記録

柳家三三独演会「横浜三三づくし」@横浜にぎわい座。 直ぐに切符が売り切れる訳がわかります。面白い、師匠小三治と同じく名人系落語一直線って感じじゃないでしょうか。前座も無く一人で三席

2016-11-01 21:19:22 | 芸術(美術展・映画・コンサートなど)
柳家三三独演会「横浜三三づくし」@横浜にぎわい座。

直ぐに切符が売り切れる訳がわかります。面白い、師匠小三治と同じく名人系落語一直線って感じじゃないでしょうか。前座も無く一人で三席ですが、飽きたりだれることもなく時間がたつのを忘れてしまいました。

小田和正の横浜コンサートと同じように、地元神奈川ネタ満載、余計に「横浜にぎわい座」では、直ぐ売り切れちゃうわけです。(三三師匠は小田原出身)


夏目漱石の「三四郎」を聞いていると、思わず「そうだ、これだ」と膝を打ってしまう事が度々ある。この「三四郎」もただの青春小説ではない。登場人物に語らせる世相が見事だ。

2016-11-01 09:22:39 | 読書
夏目漱石の「三四郎」を聞いていると、思わず「そうだ、これだ」と膝を打ってしまう事が度々ある。この「三四郎」もただの青春小説ではない。登場人物に語らせる世相が見事だ。

落語の小さんと圓遊を比較するセリフもあって、今なら小さんが小三治、圓遊が権太楼って感じじゃないでしょうか?(敬称略)
要は権太楼師匠が演るから面白い、一方小三治師匠の芸は小三治師匠が消えてしまうんです。
以前私は、名人系とお笑い系と称したのと同じですが、表現方法が文豪とは天と地の差。

以下「三四郎」より
「小さんは天才である。あんな芸術家は滅多に出るものぢやない。――圓遊も旨い。然し小さんとは趣が違つてゐる。圓遊の扮した太鼓持は、太鼓持になつた圓遊だから面白いので、小さんの遣る太鼓持は、小さんを離れた太鼓持だから面白い。圓遊の演ずる人物から圓遊を隠せば、人物が丸で消滅して仕舞ふ、小さんの演ずる人物から、いくら小さんを隠したつて、人物は活溌溌地に躍動するばかりだ。そこがえらい。」

小三治師匠
「落語というのはセリフをしゃべっているのでなくて、その人、その人の気持ちに瞬間、瞬間なっていく。セリフは気持ちの現れですから、セリフから気持ちが入っていくんじゃなくて、気持ちからセリフが出てくるもんだと、わたしは思っています。」