きまぐれ日記

高知県室戸市の地域情報と写真などの趣味の話。時々エッセイ風に。

薩長同盟締結の場所 近衛邸跡

2008年09月27日 08時54分02秒 | 観光スポット

同志社大学の新町キャンパス



分かりにくい場所にある『近衛家邸址」の石碑



正門からすぐ近くある説明板


いよいよ、今回の旅での重要な場所に向かいます。

その場所とは、『薩長同盟』締結の場所です。

薩長同盟は、1866年、1月21日に、小松帯刀の邸宅にて、龍馬立ち会いのもとに締結されました。

この歴史的な重要な場所がどこであるのかということは、あまり研究されていないのですが、ある方の研究によると、薩摩藩邸から、西の方向にある、『近衛殿』とか、『桜御所』とか呼ばれていた場所で、『近衛邸』が江戸時代以前にあった場所だということです。

今回の旅では、ぜひ、この場所を確認したいと思っていました。

薩摩藩邸跡のある、烏丸今出川の交差点から、今出川通りを西に進んで、新町通りと交差する場所から、(上京区区役所を過ぎたところの南北の道路)北の方向に進むと、左手に学校のような建物が見えてきます。

ここが、江戸期以前まで、近衛殿のあった場所である、同志社大学の新町キャンパスです。

同志社大学は、今出川と、新町にキャンパスがあって、二つのキャンパスとも、薩長同盟に関しては、大変に重要な歴史的な場所にあります。

小松帯刀は、この新町の近衛殿の屋敷の一部を借りていたのか、敷地内に邸宅を建てていのかは分かりませんが、近衛殿のあった場所に小松帯刀の邸宅があったのではないかと思われます。

薩摩の島津家と、近衛家は、縁戚関係にあったと思われるので、薩摩藩の老中である小松帯刀が近衛殿のあった場所に邸宅を構えたのは、納得できるところです。

小松帯刀は、あまり、歴史の表舞台には登場しないのですが、龍馬とは、同い年で、仲もよかったようですから、薩長同盟の締結に関しては、小松帯刀の尽力によるところも大きかったのではないかと、個人的には、推察します。 

同志社大学の新町キャンパスが『近衛殿址地』であるならば、何かその証拠があるはずです。

ネット上での情報では、大学の正門を入ったところに、『近衛家址』の石碑があるはずですが、どうもそういうものは見当たりません。

同志社の新町キャンパスも出入りは自由にできるようでした。

目的のものが見つからないので、門衛の方に、近衛邸址の石碑の場所を尋ねてみました。

少し、不審に思われたかもしれないのですが、そんなこと気にしていられません。

「どちらさんですか」と、門衛の方にきかれたので、素直に名前を答えました。

かといって、相手は、こちらが何者か分かるはずもないのですが、石碑のある場所を教えてくれました。

正門からまっすぐに奥に進んで、左手の建物の階段の下にありました。

この場所だったら、ふつうに、このキャンパスに入っても分からないと思います。

どうも、もともとは、正門の近くにあったものが、こういう分かりにくい場所に移されたものと思われます。

このキャンパスは、発掘調査が行われていたようで、校舎の建物も一部建て直されているようでした。

とにかく、目的のものを見つけることができて、よかったと思います。門衛の方にきかなければ、なかなか、『近衛家址』の石碑は見つけることができなかったと思います。

同志社大学の新町キャンパスの建物は重要文化財でもなくて、観光スポットでもないし、『近衛家址』の石碑をわざわざ見に来る方はいないと思います。 


薩長同盟が締結された歴史的な場所に立って、しばし感慨にふけってみたいのですが、旅は先を急ぎます。

薩長同盟の締結の場に立ち会った龍馬は、伏見区の寺田屋に向かいます。そして、そこで、二日後に事件が起こります。 

龍馬の足跡を追って、旅は、伏見区の寺田屋へと続きます。

実際には、その途中で、『上七軒』と、北野天満宮に立ち寄ったのですが、それは後ほどレポートします。






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